行方知れずのわたくしがおっしゃるには



不条理なんてことは誰だっていつかは知ることなのだ。

大人になっても、ならなくても。世界は広いし、世間は厳しい。何故ならそれは、一個人のために存在しているものではないからだ。何万何千何億何兆何京……と存在する生物にいちいち構っている暇などない。理由などない。感じない。無関心。それが当たり前だと理解した頃には、彼女は彼女という人格を自分だと認識するのが苦手になっていた。

いろんなものを自分のために切って捨てて失って、しばらく経った後のその身で。

少女はまた世界の枠を飛び越える。



***



だらしなく体を机に突っ伏した状態で、名前は目を開ける。

至近距離にある木目と具合が悪くなりそうな木の匂い。固い木の机と椅子。腕の隙間から覗いた黒ずんだパイプといい、どこかの学校のそれだとすぐに分かった。とはいえ、分かったことといえばそれくらいなわけで。

知らない感覚。記憶の乏しい脳。自身がどうしてこの状況に陥っているのか分からない現状。思い出せるのはこの世界に渡ってきた直後のこと。何故か希望ヶ峰学園というある意味仰々しい名前の学校にスカウトされ、久しぶりの高校生活もいいかもな、と軽いノリで頷いた。そこからの記憶は、ない。

それはおかしい。

名前は誰にも見られないことをいいことに眉間にグッとシワを寄せる。女子が浮かべるには些か凶悪な表情を晒しながら、体勢はピクリとも動かさない。

確か……確かに渡ってきた第一印象はこの世界が元いた世界と類似したところであると安心した。もしかしたら類似しているだけで危険な組織や化物が隠れている可能性もあるが一先ずは安心できた。

が、そうやすやすと知らない場所で眠れるほど、彼女の危機管理能力は低くはない。たとえ今は人の気配がなくとも、教室にいるということは少なくとも最初に新入生が何人かいたはずだ。知らない人間に囲まれて落ち着いて熟睡などできるわけがない。

その根拠をきっかけに幾つもの違和感を一つ一つ挙げて連ねて、はっきりと覚醒した意識と頭で名前は得心した。

何か仕掛けられている、と。

ジッと耳を凝らす。無音の空間が支配しているように感じるそこは、機械特有の動力音が部屋の隅から聞こえてくる。これは、レンズを振り絞る音。つまり監視カメラの存在を教えていた。誰かに見られている。ならばこっそりやるしかないだろう。敵かどうかは分からないが素直に手の内を見せる必要は微塵もない。


『青い鳥症候群(ファンシーメイキル)』


机から顔を上げることなく、口の中で小さく音を鳴らす。舌先を転がって口の中ですぐ溶けていった羽の感触を追う間もなく、瞬時に空っぽに近かった頭の中身が図書館の本棚のようにギッシリと記憶で満たされる。この木目も匂いも、見て触れて知っているものになった。

「(記憶操作とか、何やらかしてくれてるんだか)」


急激に増えた二年分の記憶に精神的な疲れを感じた。何かおかしいとは想像していたものの、それ以上の異常事態になっているとは思わなかったのだ。

本当に、この世界に化物が潜んでいるなんて。

二年分の記憶の中に強烈に刻み込まれたピンクゴールドの髪。彼女を思い浮かべればあまりの手強さに疲れもするだろう。すっかりやる気がなくなって二度寝の体勢に入った名前を数分もしない内に起こしたのは奇妙な気配を纏ったダミ声だった。さらにやる気がなくなったのは仕方ないことで。


「ちょっとちょっと! いつまで寝ているつもりだよ! このまま眠り続けてコールドスリープみたいに何百年後の未来にでも行けると思ってるわけ?

ーーま、凍らせるにはこの教室は暑すぎるし、そもそも凍らせたところで溶かすことが出来ないんですけどね!」


どこからともなく現れた熊のぬいぐるみのおかげで、名前のやる気はさらに減少の一途を辿って行った。ちなみにどこからともなく、というのは言葉の綾で名前はちゃんとその気配が壁で沈黙していた物体が命を持ったようにいきなり動き出したのだと感知している。

すぐ隣に存在する気配に気持ち悪さを感じながら、あたかもたった今起きましたという風に半目で上体を起こす。そしてすぐに右側足元に目を向け、とりあえずの白々しい挨拶を落とした。


「ーーーーおはようございます?」
「遅いよ! 時代は速さなんだよ? スピードなんだよ? 君の挨拶はもはや遅ようございますだよ! 遅ようございます!」
「じゃあ、遅ようございます」
「はい、遅ようございます!じゃなくてさあ! もうみんな体育館に集まってるんだから名前さんもちゃんと行ってよね! こんなこと学園長自らが言いに来るなんておかしいけど、ボクの優しさに感謝してくださいね!」


うぷぷぷ。

不気味な笑い声をあげながら一方的に捲し立てて消えて行った人形。神出鬼没に見えるそれも、気配を追えばまた同じ壁に収まったことはすぐ分かった。

名前は逆らえばこれ以上面倒なことが起きそうだと察知して、凝り固まった身体を解すように大きく伸びをする。とりあえずは移動するべきかと教室の入り口へ向かう足取りは重く、耳の奥にこびりついたさっきの笑い声が酷く懐かしく感じた。


「みんなって誰だろ」

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