君の矛盾だって全部美しいと思ってしまうんだ



金木名前は生まれてこの方、自分の立場というものを明確に認識できたことがない。優しい母と大らかな父のもとに生を受け、後に弟が生まれ、家族四人で裕福でないなりに幸せな日常。突然の不幸で父が亡くなった後も、優しく穏やかな母と大人しい弟に囲まれた暮らしは確かに慎ましやかな幸せだったのかもしれない。

けれど彼女にとって、それはおままごとのような現実味の薄い日常だった。


「母さん、母さん、なんで」
「大丈夫だよ、研くん」


服を強く握る小さな弟の手を握り返す。今までこうも大胆に彼が姉に甘えたことなどなかったのだから彼女も僅かながらに動揺した。咄嗟に出た言葉もほとんど空っぽなまま唇から滑り落ちて行く。果たして何が大丈夫なのか、それは言った本人にも分からなかったけれど。

この子には私しかいないのか、と。ストンと素直に心臓まで理解が落ちてくる。そしてすぐ己で己に暗示をかけた。または、命令をしたと言い換えられたかもしれない。


「姉さん、姉さ、」
「二人だけになっちゃったけれど、頑張ろうね」


"ケン"。

その時浮かべた微笑みは、初めて彼女が他人に似せて作った表情だった。菩薩のような、女神のような、母のような、微笑みだった。



***



その家には獣が住んでいた。

犬のように鼻を鳴らして床に座り込んでいる、獣。他者の獲物を横取りして我が物とする、ハイエナのような一匹の人間だった。


「ごめんなさい、すいません、出来心だったんです」


似たようなことを繰り返すその女を、見下ろす眼は八つ。戸惑いに揺れる瞳と、軽蔑を浮かべる瞳の二種類が、女の醜態を丸く映していた。

カネキはその時何が起きているのか分からなかった。日もとっくの昔に落ちた夜、隣りにいたはずの姉が布団にいず、階下から聞こえた金切り声を気にして寝ぼけ眼で階下へ降りれば、いなくなっていた姉は知らない男二人とともに女の前に立っていたのだ。正確に言うならば、その間には見知らぬ壮年の男が入っていた。姉は男の服を握りながら、長い髪の毛で俯いた顔を隠していた。


「私たちに謝ったところでねえ」
「あなたは出来心で子供を痛めつけていたんですか」


壮年の男が気のない風に顎を撫でる横で、少しだけ若い男が憤りを隠せない様子で女を見下ろしている。


「ち、違う! それはやっていない!」
「じゃあ、この傷はどう説明するんです」


壮年の男が姉の手を取る。その子供特有の白くて柔い腕には見るも無惨な青痣。棒状の何かで叩かれた跡以外に考えられない。嘘だ、何かの間違いだ。そう呻くと共に頭を抱えた女の目が階段に立ち尽くす少年の姿を捉えた。カネキは、その女が自分たちを引き取った伯母だということにやっと気付いた。


「研くん、おばさん、なにもしてないわよね? ねえ?」


頭の中が真っ白になる。どこかテレビの向こう側の世界を覗いている気分が一瞬にして霧散し、自分がテレビの当事者になってしまったのだ。まだ小学校も卒業していない彼が大人に詰め寄られて咄嗟に出る言葉など何もない。


「黙ってないで何とか言いなさいよ」


それは伯母の神経を逆撫ですることだった。


「なによ、あなたも私を悪者にしようっての!? 全部あんたたちが悪いんじゃない! 人に迷惑かけるだけの穀潰しが! あんたたちなんかなんで生まれてきたの、姉さんと一緒に死んじまえばよかったのに!!」
「やめなさい!」


唾を飛ばして口汚く罵る伯母を若い男が取り押さえる。手を締め上げられながらも声を荒らげて泣く姿は、確かに畜生のように惨めなものだった。

すっかり覚めてしまった眠気と浴びせかけられた悪意に身を縮こませるカネキ。その震える手を握りしめたのは、さっきまで男の影に隠れていた姉だった。


「大丈夫だよ、ケン」
「姉さん、でも、」


両手が添えられた手を見つめて、カネキは今さらながらに思った。


「大丈夫、これからも大丈夫だよ」


そういえば、寝る前に見た姉の腕にこんな痣があっただろうか、と。

数年後、カネキが聞いたことのあらましは、伯母が母の遺産を食い潰していたこと。姉が虐待を受けており、夜中に伯母の目を盗んで警察を呼んだこと。そして、結果的に二人は養護施設に預けられることになったのだと。一つ上の姉が普段の柔和な顔をとても苦しげに歪めていたから。カネキがその事件の真相を知ることはついぞなかった。


もしもカネキ姉に転生したら。ヤンデレではないけれど弟絡みになると"たまに"笑顔で恐ろしいことをやってのける天然。原作知識有りか無しかで悩みます。

← back
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -