きみを死に至らしめる為の言の葉を、ぼくはもうずっと探しています



私が初めてフランツ・カフカの『変身』を読んだのは小学校五年生の時です。通信教育の国語の教材の文章で、冒頭の目覚めのシーンを一部抜粋したものでした。最初、私はタイトルからどんな話かも想像できないその物語が、まさか人間が朝起きて毒虫になっているなんて展開だとは思わずに、ただただ己の異形さを丁寧に説明する主人公と一緒に混乱したのを覚えています。節足動物特有の足の動きや、ベッドで仰向きになって見る虫の視点や、人間には到底理解し得ないものをよく文章に書き現わせたものですよね。そうそう余談ですが、毒虫という表現は日本語に訳した言葉で、ドイツでは虫以外にも害獣も含まれる意味合いの言葉だったと小耳に挟みました。私は最初、ベッドから仰向けで起きられないという言葉から勝手に主人公はゴキブリのような甲虫類に変じてしまったのだと検討をつけていたのですが、人によってはそれに限ったことではありませんよね。


「カネキ様は、どんな姿を想像されましたか?」


流れるように天井の端から端へ視線を滑らせていた彼女は、まるでそこが始めから終着点だと決めていたかのようにカネキに目を留めた。真っ白い髪に真っ白い服。黄色人種にしては比較的白い肌の中で、意思を持つその目だけが黒く浮いて見える。怪異談や百物語で人間が目を怖がるのはそのからはっきりと意思が読み取れるから、と言っていたのは何の本だったか。カネキは一瞬だけ逡巡してから、目の前の人が……人の姿をした人外が、先ほどの長いセリフの答えをまだ待っていることに気が付いた。


「そう、ですね。僕は勝手におどろおどろしい怪物の姿を想像していましたが、よく考えればムカデに似ていたような気がします」


酷い皮肉だった。何せ今ではその怪物がカネキを表す名前として人間から使われているのだ。半赫者として、発現したおどろおどろしい毒虫の成れの果て。自分が人を喰う化物になってしまったと知った時、唐突に思い浮かんだカフカの話がまさにその通りになっている。そう自嘲したくてももはや笑うことさえできない。


「ムカデ……それは確かに、怪物のようですわね」


朗らかな、それでいて薄っぺらい笑み。その切れ目から僅かに興味深いという感情が見え隠れしている。本人も隠す気がないのだろう。このカウンター越しに対面する彼女とは別の彼女は、そういった配慮に無関心だった。だから、これもきっとタチの悪い皮肉だ。


「そういえば私、お恥ずかしながらこのお話の結末をまったく知らないのです。良ければ私に教えてくれませんか、カネキ様」


ゾッとした。その質問は今一番カネキが聞かれたくなかったことだった。だって、そうだ。今までその毒虫を自分のようだと重ね合わせていた話の末路まで、自分と重ねてしまいたくなかった。その絶望を、自分のものにしたくなかった。

こみ上げる吐き気に近い何かを喉の奥に押し込む。それは、腐りかけの魚のハラワタよりも飲み下すのに苦労を有した。


「家族に、林檎を投げられて、」


それは悲劇だ。不条理だ。


「その傷が原因で、死にます。それで、」


救いのない。どうしようもない終わり。だけどそれ以上に、自分が死んでしまう以上に、



「遺された家族は、別の土地で、以前よりも幸せに暮らすんです」



自分のやってきたことを、自分自身に否定されることだけは耐えられない絶望だった。

自然と滲んだ冷や汗がコメカミを伝って落ちていく。乾いた喉を潤したくて目をやったコーヒーの表面に眼帯をした自分を見つけて気分が悪くなった。


「それは、気の毒ですね」


そんな少年の姿を前にして、何も知らない顔で名前は白々しく笑う。彼女こそ本当の毒虫ではないかと、カネキは怖気だった。


カフカの変身で言うところの家族を東京喰種で言う人間側だと仮定すると、人間から毒虫になったカネキくんの終わりは1巻の時点で予告されていたんだなあと思ったので(投げられたのは林檎なんて可愛らしいもんじゃありませんでしたが)。
カフカネタが使い古されていることを自覚しつつ書きたいものは書きたかったんです。

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