皐月と流子と姉妹if
※アニメ終了後
名前が目を覚ました時、見えるのは決まって真っ白い天蓋の裏だった。
重さを感じない滑らかなシーツに身を包み、枕に頭を沈めて迎える朝。使用人の平坦な声とノックで迎える朝。それが彼女にとっては酷く味気なく、既に慣れてしまったものだった。
鬼龍院名前には前世の記憶がある。一般家庭のごく普通の家に育った少女としての記憶が、この巨大な家に生を受けた事実を受け入れ難いものにしているのだ。世界有数の大企業鬼龍院財閥の娘として生まれた凡人の立場を、彼女は深く思い知り、噛み締め、飲み下して生きてきた。これからもそれは変わらないと、そう思っていたはずなのに。
「……名前」
扉の向こう。いつもの感情をひた隠しにした使用人の声が聞こえない。仰々しい様付けもない、聞いたことのある声。名前は思い当たる可能性がまったくあり得ないものだと知りつつも、とりあえずその人物の呼びかけに応じることにした。
「おはようございます、お姉様」
ベッドから抜け出して扉を開ければ、いるはずのない麗人がそこに姿を現す。凛々しい眉を寄せた険しい顔つきは、この15年見続けてきた絶対的な姉の認識を僅かに揺るがせた。
二つ上の鬼龍院皐月は天才だった。母である鬼龍院羅暁の才能を遺憾なく受け継ぎ、自分のものへと昇華させた紛れもない逸材。鬼龍院家の安泰を確固たるものとするには充分な存在であることは間違いない。
対して、名前は優秀ではあれど一般的な枠組みから抜け出すことは決してない、鬼龍院の名を冠するには役不足な凡人である。そんな人間が周りから認められるはずもなく、一族の人間は名前をパイプ強化の道具としか考えていなかったし、羅暁や皐月に至っては存在すら無視していた。
そう、皐月という血の繋がった他人は名前という名ばかりの妹を無視していたはずなのに。
消化しきれない困惑が半笑いという形で名前の顔に現れる。本人にとっては『困った時は笑っとけ』精神の産物だが人が見れば心を痛めてしまうほど悲痛な微笑みに見える。それを険しい顔つきのままジッと見つめていた皐月だったが、後ろから軽い衝撃を受けることで視線が横にズレた。
「おい、自分から声かけたクセになに妹をガンつけてんだ」
「流子……」
「とりあえず場所変えろ。アンタも、着替えてダイニングに来な。揃さんに朝飯作ってもらってっから」
「あ、はい。ありがとうございます、流子お姉様」
「おねッ!? それはやめろって前に言ったろーが!!」
そう言われても。
という顔をする前に、彼女は大股で去っていった皐月を面倒臭そうに追っていった。つい先日、突然告げられた生き別れの姉。それが纏流子という先ほどの彼女である。
名字が違うこと。言葉遣い。赤メッシュ。態度。すべてにとって鬼龍院という箱庭で飼い殺ろされてきた名前には新鮮そのもので、そしてそれだけだった。
母は灰汁の強い人間だったらしいから、浮気の一つ二つくらいしてたっておかしくない。隠し子が一人いたくらいでもう驚かない。そんな境地に立たせるくらいには名前は達観せざるを得ない環境で育ってしまった。
だからこの後、ダイニングで朝食のスクランブルエッグを口に運んだ瞬間に皐月に頭を下げられても、流子が真剣な顔で家族になろうと言ってきても、彼女は変わらず咀嚼をし続けた。
ちなみに、皐月が本当は名前のことを大事に思っていて、それを悟られて羅暁に人質にされないように無関心のフリをしていたということは揃と伊織のみの機密事項である。
(鬼龍院家に転生ってのは考えたことがなかったのでとても楽しく書けました。問題は楽しく考えすぎて設定から何から凝ってしまったことです。凝りすぎたら絶対に書ききれないと判断して変なところでぶつ切りにしました。この後は妹に対して不器用すぎる皐月様と何事にも無関心すぎる主人公のすれ違いハートフルボッコストーリーが始まる予定です)
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