総北ifの続き
「あ、ごめん。その日はインハイの応援行くんだ」
決して、盗み聞きをしていたわけではない。結果的に盗み聞きのようなものになってしまったとしても手嶋にとってはどうしようもできないことだった。だって気になるし。
「え、なに、もしかして今泉くんの応援!?」
「うっそ名前ってそんな積極的だっけ」
「よく自転車部のインハイだと分かったね」
「今泉ファンの友達が言ってた」
「へえ、今泉くんってすごいんだねぇ」
女子たちの姦しい話に耳を傾けながら、書いていた日誌の文字が歪んでいく様を見つめていた。今泉の応援に行くことは否定しないんだ。笑えばいいのか泣けばいいのか。所詮フツメンの凡人がイケメンエリートに敵うわけないのか。以前に今泉に手を引かれて去っていく名前を見て、感じた劣等感が降って沸く。合宿の時点で一年に負けた自分がインハイで応援されるような立場でないことは明らかだ。
やっぱインハイ出てえ。
色恋を理由にするつもりはないが、その思いはよりいっそう増した。たとえインハイに出れたとして自分が応援してもらえるわけではないのだが。いや、もしかしたら今泉のついでに応援してもらえるのでは……それはそれで悲しいものがある。
「手嶋くん、どうかしたの?」
「いやあ、オレも今泉みたいにインハイで応援してもらいたいなーと」
深く肩を落として、不意打ちでかけられた声に思わず返してしまったのは本心からの願望だった。聞き覚えのある声。ぐるんと勢い付けて顔を上げた先で大きな黒い瞳がこちらを見ていた。名前だった。
「み、みみ御堂筋さん!?」
「はい、御堂筋ですよ」
「いや、これはあの、盗み聞きとかじゃなくて」
「聞こうと思わなくても聞こえちゃったんだよね? うるさくしてごめんね」
「あ、全然。こっちこそ聞いちゃってごめんな」
淡色の髪を揺らして微笑む名前はいつ見ても可愛らしい。神々しさすら感じる。これが惚れた色眼鏡だと手嶋は気付いていない。
「あと、インハイには今泉くんの応援に行くわけじゃないんだ、私」
「へ?」
「弟の応援に行くの」
手嶋はこの時、その言葉は嘘だと思った。何故なら、彼女の浮かべる表情が先ほどの笑顔とは違った甘くとろけたものに変わったのだから。どう見ても好きな人を想う類いのそれだった。どういうわけか名前は手嶋に今泉とのあれこれを隠したいらしい。手嶋に隠したところでなんの得があるというのか。苦く笑って相槌を打った彼は知らなかった。
インハイ当日に長身痩躯の弟をこれ以上の甘い表情で応援する想い人の姿なんて。
***
インハイ当日の江ノ島。御堂筋を探してあてもなく探していた今泉は人ごみの中で知っている姿を見つけて駆け出した。
「オイ、あんた」
「え?」
細い手首を掴んで前を歩いていた名前をこちらに振り向かせる。何故ここにいるのかという謎や以前怒濤の惚気を聴かされた拒否反応はさておいて。今泉は一刻も早く御堂筋に会うためにすべてをかなぐり捨てて名前に尋ねた。
「御堂筋がどこにいるか知っているか」
「あ、私も今探してたんだ。今泉くんも一緒に探す?」
「チッ」
使えない。お金持ちのいいとこ育ちとは思えない行儀悪さを発揮したところで、スピーカー越しに聞き覚えのある声が二人の耳に届いた。
『京都伏見ですわ』
「御堂筋!」
「翔くん!」
この瞬間だけは息がピッタリだった。声の元であるステージの方へ、今泉は名前の腕を掴んだまま、名前はそれに全く気付かないまま、二人は二人三脚のレースもかくやという速さで走り出した。意外とこういうところでは似た者同士かもしれない。
『御堂筋翔くん。このインターハイを踏み台にして世界に羽ばたく男です』
「御堂筋!!」
「翔くん!!」
「あ、千葉の弱泉くん…………なんで名前ちゃんがおんの」
御堂筋のぎょろりとした眼が名前を見つけて不機嫌そうになった。正確には今泉に握られている彼女の腕に関してだが。御堂筋のマイクパフォーマンスに集まっていた注目が途中乱入してきた今泉と名前にも集まる。その一見居心地の悪い空間ですら、姉の弟への愛を前にすれば関係ないらしい。
「翔くん! お姉ちゃん応援に来たよ!」
しーんと一拍。先ほどとは別のどよめきがステージ前に広がった。
「似てねえ」
「似てないな」
「生命の神秘だ」
「アンタ御堂筋の兄弟だったのか!?」
今さらかよ。そうツッコミを入れるべき彼女は弟のことで手一杯で今泉のことなんか眼中にもなかった。
「翔くん、今日頑張ってね! 応援するからね、差し入れあるからね!」
「空気読めや……ホンマ、アホは怖いわ……」
先ほどとは別の異様な空気の中、どのように場を収めるべきか。金城と福富は黙して同じことに悩んでいたとかいなかったとか。
(無記名の方からもたくさんリクエストしていただいた総北ifでした。手嶋くんと今泉くんとの関係性について掘り下げるとこすっ飛ばしてインハイの話です。分かりにくいですが「似てねえ」の下りは荒北新開東堂今泉です。地味に薄っすら箱学を絡ませたかったので。本当に分かりにくいですね)
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