荒れていたパティシエ主



ぐちゅり。

口の端からこぼれ落ちる生々しい音が辺りの静寂を犯す。薄暗い東京のとある裏路地。そこに蠢く影が二つ。地面にしゃがみこんで何かを漁る女と、壁に背を預けてそれを見つめる男。白い髪と金の髪。どちらも光を当てれば輝く色をしている。けれど生憎とその日は月が出ない曇り空で、切れかけの電柱という淡い光源しかその場にはない。

女は口の周りのベタつきを気にすることなく手にしたソレを弄り続ける。拾っては捨てまた漁り、たまに僅かな光源に透かして首を傾げては捨て、ごくごくたまに口に運んで飲み込んだ瞬間に眉を寄せて舌を出す。

奇行以外の何物でもないその行為をぼんやりと見ていた男は、思いついたように疑問を口にした。


「そういえばさー」

「うーん?」

「なんで名前は共食いなんかはじめたの?」


ぐちゃ。う、うぅ……。

粘着質な音と共に低い呻き声が鼓膜を引っ掻く。それに今まで寄せていた眉をさらに釣り上げ、女の手に力が入った。

ぐちゃ、ぬちゃ、ぴちゃん。

おぼろげな影に薄い線が現れ、伸び、切れて垂れ下がる。上向いた顔が大口を開け、切れた線の端から女の影に重なって、消える。しばらく続く咀嚼音を男はより近くで聞くために壁から背を離して女のそばにしゃがむ。青白い頬が膨らんで、しぼんでいく毎にその赤い瞳が朧げに濡れた。それはなにが悲しいというわけでもなく、なにが悔しいというわけでもない。そう男は思った。女にそういった冷めた感情はないと彼は思っていたし、それが真実だと絶対的に信じていた。


「さあな」

「質問に答えてよ。気になるじゃん」

「ウタが知りたがるほどのモンじゃねえよ。単なる気まぐれってヤツ」

「ふぅん、嘘つきだね」

「勝手に言ってろ」


一口で収まらなかったのだろう。まだ手に残っていたそれを一息で飲み込んで、赤い目と赤い目がお互いを覗き込み、見つめて、女は耐え切れないと言わんばかりに片頬を吊り上げた。


「ま、こんな舌いらねェっていう八つ当たりでもあるんだけどよ」


肩がぶつかっただけ。難癖をつけられたわけでもつけたわけでもない、一言謝れば丸く収まったはずの相手は、もう、この世にいない。たった今、女の手によって見るも無惨に駆逐され、その口に押し込まれた赫胞が喉を通ったことで呆気なく淘汰された。その理由が、その軽口の中にすべて含まれている。たったそれだけの理由で東京から喰種の数が僅かながらに削られていくのだ。


「なにそれ、どういう意味?」

「バカだなァ。もうちょい自分で考えることを覚えろよ」

「それ名前が言っちゃうの?」

「当たり前じゃん。これでも一応はお嬢だぜ」

「すっぽかしてきたクセに」

「へいへいそれでもお嬢ですよ、っと」


転がった頭が勢いよく壁にぶつかって水風船のように弾け飛ぶ。

詰まらない。男は頬に付着した飛沫を親指で拭った。こんな投げやりな蹴りなど女のものではない。こんな静かな動作など女に似つかわしくない。たった数分前に起こったあの惨劇こそが女の真骨頂なのに。あの狂った悲鳴も暴力も、その場にいるだけで火傷してしまいそうなほど一瞬で燃え上がり、惜しむ間もなく鎮火されていくあの感情も。あれこそが女の魅力だというのに。

一気に興ざめしたのは恐らく女も同じで、お互いが何も言わずに肩を竦めて去っていく。どうせ連絡先など持ってはいないし、あったところで教えない。そんな程度の関係のくせにそこらを歩けばまた会えるのだろう。

これが運命と言うのか呪いと言うのか、それこそ男と女にはどうでもいいことだった。



(パティシエ主が荒れていた頃のお話でした。だいたい原作の十年前くらいで、自分の舌が大嫌いで八つ当たりしている時期です。ウタさんは主人公が暴れまくっているのを見て楽しんでいたよーという薄ぼんやりした内容になってしまいました。彼のキャラが謎すぎる)
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