お嬢様主と氷室



「名前!」


WCが開催されている体育館の通路。お手洗いに立って戻る途中で聞いたことのある声に名前を呼ばれた。

うちのお父様がいつの間にやらスポンサーになっていたらしいこの大会で、変な噂を流されたせいで私は毎日ここに通うハメになっている。なによ婿探しって。絶対バスケ選手の息子が欲しいだけだ。娘を生贄にしてまで欲しいってどんだけバスケ好きなのよ。

最初は学校で鏡夜くんに教えられてマジギレしながら乗り込んだものの、もともとバスケは好きだし今の高校バスケはレベルが高いからズルズルと毎日見に来てしまっている現状。だって楽しいんだもの。リコにも毎日会えるもの。


「タツヤ?」


近寄ってきた男性を見上げれば、確かにこの泣きぼくろのイケメンはタツヤだった。サラッサラの黒髪や浮かべる笑みの柔らかさは本当に会えて嬉しいって顔だ。


「久しぶりね、たしか三年ぶりかしら」

「いいや、君がジュニアハイスクールに入る前だから四年ぶりになるね」


軽いハグとほっぺにちゅーして久しぶりの会話を楽しむ。タツヤの後ろにいるゴリラみたいな人がいきなり泣き出したのはビックリしたけど。


「私、毎日ここに来ているからタツヤの応援もするね」

「それはタイガのところと当たってもかい?」

「わーお」


それは究極の二択だ。というか私にとっては三択だ。タツヤの高校を応援するかタイガの高校を応援するか、リコの応援をするかである。今のところタイガとリコが二人もいる誠凛高校のほうに分があるけど。

困って黙り込んでしまった私にタツヤが苦笑して首を振った。


「冗談だよ、オレは君を困らせたいわけじゃないんだ」

「どっちも応援するっていうのはダメなの?」

「うーん、今のところはそれでいいよ。でも、」


するりとタツヤの手が私の髪を耳にかけ、そのまま輪郭を確かめるように私の頬を撫でる。


「名前はオレがもらうからね」

「うん?」


もらう、とは?

何回か頬を撫でてからタツヤは手を振って部員の人たちの方向に戻ってしまった。いつも優しい顔や真剣な顔ばかり見てきたから、さっきの顔はどこか切ないものでびっくりした。彼に一体どんな考えがあってそんなことを言ったのか。純粋にバスケットボールを一緒に追いかけた大切な友人が、どこか別の誰かに思えた。



***



今では遠い昔のことだけど、オレにとってはつい最近にも感じられる。

アメリカで出会った同じ出身の友達が、いつの間にか手に入れたい存在になって、手を触れてはいけない宝物だと知った。あの子が好きなんだと意識した瞬間に、それがしてはいけない恋だと知った。アレックスの苦々しい顔も、無表情のメイドが言い放った言葉も、オレを彼女から遠ざけるための鎖だった。

彼女とは一緒にバスケをして、一緒にバスケを見て、一緒に成長した。当たり前にそこにいるその日々が当たり前じゃないことを知ったのはずっと前のこと。彼女の家柄を、いつかは見知らぬ誰かのものになることを教えられて、涙を流して諦めようとしたのは昔のことだ。

今は違う。置かれた境遇を泣いて恨む日々はもう終わった。

彼女はもう手の届く範囲にいる。オレが諦めなきゃいけない現実はもうどこにもないんだ。じゃあ、足掻くしかないじゃないか。天才になれなかったオレにだって、叶えられるものがあるはずだろう?

彼女はオレのことを好きじゃなくて、ただの友達だと思っていることを知っている。けれどこれからのことは誰だって分からないじゃないか。オレが彼女を好いたって問題は何もない。その事実だけがオレに勇気と未来を抱かせた。


「待っててね、名前」


君に好きになってもらえるように、オレは戦うから。



(高校生氷室さんとの絡みということでWCで再会してもらいました。緑間落ちが目標のこの設定で氷室さんのこんなお話を書くってとんだ鬼畜ですよね。氷室さんは女の人にはモテるけど本命には振り向いてもらえなそうだなという私の偏見が暴走しました。申し訳なさと同時並行でとても楽しかったです)
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