お嬢様主が遠月に編入する



『続きまして編入生の挨拶を、名字名前さん』


ざわついていた空気が一瞬で静まり、すぐに小波のような囁き声が新しいざわめきに変わっていく。「名字ってあの名字か」「あそこは製薬会社だろ? なんでそこのお嬢様が」「名前お嬢様だよ、偏食家で有名な」「あの?! 集めた料理人を片っ端から一言で斬って捨てたっていう」「昔彼女の一言で大きな店一つ潰したって」「遠月出身の料理人に不味いって言ったらしいぜ」うるさい。黙って人の話を聞く知能もないのか。

マイクのすぐそばに口を寄せて咳払いを一つ。ざわめきが一気に小さくなったことを確認してあからさまな作り笑いを披露した。


「暖かな春の風に乗って桜の花弁が舞うこの良き日に、わたくし名字名前は、遠月茶寮料理學園の始業式に参加できる誉れを人生で無二のものとしてとても嬉しく思います」


一言、一句、一音、口にすればするほど私の中の決意が鋭く尖っていく気がした。

高い壇上で、下から見上げてくる人たちの顔はよく見える。さっきの幸平くんがした宣戦布告のせいだけじゃない、私の不名誉な噂をコソコソと言い合っていた者からの警戒心と畏怖と殺気とが視線になって私の肌に突き刺さる。それもいいと思った。だって好都合だ。


「長い言葉は皆さんの有限の時間を無駄にすることになりますので、簡潔に答えさせていただきます。

――わたくしは、あなたたちと競い合う気はありません」


私のことを下に見る連中に敬意なんて払いたくない。好きになってもらう努力もしたくない。


「あなたたちはわたくしの友になりはすれど、敵になることはありません。わたくしは、わたくしのために料理を作ります。どうぞ、わたくしなど捨て置いて己の研鑽にご尽力くださいませ」


私はあなたたちと目指している場所が違うのよ。


「以上の言葉を所信表明とさせていただきます。ご静聴ありがとうございました」


最後ににっこり笑ってお辞儀を一つ。会場は空気も何も冷え冷えと冷め切っていて、私にはそれが火照った体にちょうど良いくらいだった。壇上から降りて垂れ幕の裏で対峙する二人に出くわした。一人はさきほど大々的な宣戦布告を披露してくれた幸平くん。そして総代の薙切えりなさん。

あの御方の孫。それだけでじっくりとその姿を眺めてしまった。美しく、凛々しく、堂々とした立ち居振る舞い。確かにあの御方の血を引いているのでしょう。私にとってはそれだけにしか興味がない相手だ。人のことは言えたもんじゃないけど、才能が服着て歩いているだけだわ。あの御方のようにまだ人として完成されてない。正直関わる気はゼロの人間だ。


「そういや、名字さんだっけ?」

「……はい、わたくしになにか?」


避けて通り過ぎようとしたところでまさか話しかけられるとは思わなかった。一拍置いてから、なるべく平坦な声音を心がけて返事をする。


「アンタさ、料理してて楽しい?」

「と、言いますと?」

「客のために美味しい料理を作ってこそが料理人ってモンだろ? 自分のために作ってなにが楽しいわけ?」

「まあ、それはそれは……」


なんというか、ムカつくなあ。


「それは、あなた個人の視野のものではないでしょうか?」

「視野?」

「あなたのお考えと同じ枠組みを他人に当て嵌めようとする行為は、決して褒められたことではありませんよ」


そういうのを傲慢って言うのよ。

舌の上で踊ったその言葉を「ご機嫌よう」の一言に変換して会釈をする。顔を上げた先に見えるあの御方のご尊顔と目が合って、少し熱くなってしまった自分を恥じた。



「俺は楽しいかって聞いたんだけどな」



***



「まさか僕の試験から合格者が出るなんてね」


堅苦しいネクタイの結び目を緩めて、やっと息ができたような心地になった。

遠月の編入試験で合格者が出ることなんて滅多にない。というのもその審査のほとんどが遠月十傑評議会によるもので行われる。食の頂点に君臨する学園の頂点に君臨する人間が簡単に他人の料理を評価するものか。一筋縄でいかない連中の舌を簡単に満足できる人間が簡単に集ってくるものか。

例年と同じく張り詰めた空気の中行われた編入試験。お題は米を使った料理。日本食はもちろん、中華やフレンチ、イタリアンなどと数多くある米料理の幅は広く、けれどどれもパッとしない出来のものばかりで正直飽き飽きしていた。もう何度の不合格を言い渡したか定かではない。そんな時に出された真っ白い一皿に目を丸くした。


『おにぎり、かい?』

『はい、おにぎりですわ』


にっこり。人が浮かべたものにしては無機質な笑顔を貼り付けてその子は肯定した。後ろに引っ詰められた後れ毛一つない髪の毛がとても綺麗な女の子だった。彼女が髪を下ろしている写真を見たことがある。評議会で配布された資料を見た時に注視した子だ。財界では小さいながらも話のタネにされている偏食家のお嬢様だ。けれど僕たちには、僕にはそれだけの子ではないという予感があった。

なにせ総帥と彼女が知り合いだという情報が流れてきたのだ。

果たして食の魔王が偏食家の子供一人と顔を合わせる価値を見出すだろうか。なにか、隠れて見えない真実があるのではないか。頭の仲を蠢く様々な憶測を一時打ち消して、そのシンプルすぎる料理に口をつけた。

そして憶測は確信に変わる。


「そういえば、今日が始業式か」


彼女はどんな所信表明をしたのだろう。

名字名前の資料に押された合格の二文字と、自分が記した一色慧の名前を確認してファイルに挟み込んだ。



(無記名の方からもたくさんのリクエストがあった食戟の続きでした。キャラとのほのぼのを期待していた方には大変申し訳ありませんがこんな感じになりました。お嬢様主は幼少期にいろいろありすぎたせいで人間不信気味です。薙切のおじいちゃん信者でオリキャラ師匠リスペクトなスーパードライお嬢様。おじいちゃんにだけ優しい彼女に果たして需要はあるのか)
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