祈る神には程遠く



黒い髪の毛が好きだった。茶色い瞳が好きだった。いや、ただ懐かしいだけなのかもしれない。それも仕方ないことだろう。よほど強いコンプレックスを持っていない限り、どんなものであれ慣れ親しんだ自分の顔が一番だと。彼女は深くそう思う。

それなりの艶を放つ黒髪を横に流し、強めの日差しに少し釣り目気味の目を瞬かせる。ゆるいロゴ入りのTシャツと細身のジーンズ。動きやすいスニーカーで歩く様子はどこからどう見てもただの大学生だ。少々地味目な出で立ちではあったが、最低限に施された化粧とどこかお嬢様然とした足取りが垢抜けない印象をうまく払拭していた。

彼女は今年の春に入学したばかりの大学生だ。平均的な可もなく不可もなくな見た目に、絶えない微笑みが印象的な女性。ちょっとした事情で二年遅れの入学であることを除けば、どこにでもいる普通の人間。

だからこそ、と言うべきか。彼女は簡単に学生の群れの中に溶け込むことができたのだ。


「先輩って美人さんですよね。恋人とかいるんですか?」


他者とのコミュニケーションは相手に興味を持つことから始まる。相手への興味を効率よく伝えるには質問することが手っ取り早いと、まず手始めに適当な質問を目の前の女性に振った。同じサークルの二つ上の先輩。実質同い年で気性が似ているからか、二人は驚くほどすぐに仲良くなった。

それが始まり。


「この人私の彼氏。諸星大くんって言うの」
「どうも」


一目で、いや、目を瞑っていても感じる警戒。それを気取られまいとうまく隠しているが、奇しくも彼女には分かってしまった。浮かれていたのか、気を抜いていたのか。目に映るものとはまた別の気配から、男が堅気の人間ではないことが流れ込んでくる。

ああ、残念だな。少しの落胆は当たり前に表情に出ることはない。


「穂波シエです」


にっこり。“本当の自分”を取り戻した彼女は、見た目相応の笑顔を浮かべた。



「明美さんと諸星さんの馴れ初めってどんなんだったんですか?」


たまたま、講義が早く終わっていつもより早い時間に大学を出ると、その門前に見知った姿を見つけた。明美の迎えだろうと参段をつけて挨拶をして、ふと、唐突に気になっていたことを尋ねた。「明美さんに聞いても教えてくれなくって。照れてるんですかね」と付け足すと、相手は納得してスラスラと語り出す。まるで他人の話を語るみたいだな、という感想が自然と心中に湧いた。


「彼女の車に気付かずに俺が飛び出してしまってね。病院で目を覚ましたところに彼女が見舞いに来てくれて……」
「へえー、ずいぶんバイオレンスな出会いですね」
「自分でもそう思うよ」


口の端を引くような愛想笑い。見る人によっては照れ隠しのようにも感じられるかもしれない。柔らかい音を持った声が本心かどうかは探らないように努めた。


「でもそれって、明美さんの車に轢かれて心も惹かれてってヤツですね」
「…………」
「……シャレ、ですよ?」
「分かっているさ」
「え、意図的な無視ですか。ひどいなー、明美さんなら笑ってくれるのに」
「彼女は優しいからな」
「諸星さんは意地悪ですね」
「自分でも思うよ」


肩をすくめる動作が妙に様になっている。海外に住んでいたのかも。探らないように努めたそばから推測することをやめないのは、彼がいつだって最低限の警戒を怠らないからだった。警戒をお得意の笑みで知らぬ存ぜぬと封殺することは慣れている。その微笑みの下でアレコレ考えるのも、染み付いて抜けない彼女の癖だ。悪癖、とも言い換えられるかもしれない。


「意地悪なだけで済んでくれたらいいのに……」


現に。適当に放ったボロを纏った餌に彼の目が鋭く光る。


「それはどういう意味かな?」
「諸星さん、カッコイイから浮気しそうだなって」
「ホー。褒められているのかそうじゃないのか微妙なところだな」
「釘を刺しているんですよ、チクッと」
「釘ならチクッとでは済まないのでは?」
「軽くだからチクッとでいいんです」
「そういうものか?」
「はい、そういうものです」
「なんの話してるの?」


さり気ない探り合いと不釣り合いなゆるい世間話の間に弾んだ声が飛んできた。講義が終わったらしい明美がちょうど門から出てきたところだった。小走りで寄ってきて不思議そうに二人を見比べている。そして何を思ったか、口元に手を当てながら可笑しそうに肩を揺らしたのだ。


「どうしたんだ?」
「だって大くん、シエとの会話は長く続くんですもの。なんだか妬けてきちゃって」


その割に嬉しそうなのが彼女の彼女たる所以というべきか。混じりっけなしの純粋さに二人から毒気が抜けていく。片方は無意識に、もう片方は意識的に。やっぱり残念だ。シエは以前と同じ感想を密かに抱いた。この男に明美はもったいなさすぎる、と。彼女の長年の勘が、この幸せは長く続かないことを教えてきたから。


***


『ハロー、シエ』
「ハロー、クリス。どうしたの、そっちは夜中でしょ?」
『少し気になって。大学生になった気分はどう?』
「最高だよ、とっても。いますぐそっちに飛んでってチューしたいくらい」
『熱烈ね。半日かけて私にキスを送ってくれるのなんてあなたくらいよ』
「よく言うわ。世界中から熱視線のシャワーを浴びてるくせにー」
『あら、嫉妬してくれるの? 嬉しいわ』
「あなたもジョークを言うのね。意外」
『ジョークじゃないわ。本心からの、言葉よ』
「はいはい、そろそろ寝たら? どうせ何の用もないんでしょ」
『ええ、あなたの声を聞けて安心したわ。じゃあ、また電話する』
「グッナイ、クリス。良い夢を」
『グッナイ、シエ』





『Good night,My God.』

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