そちらの真実は嘘つき様御用達でございます



宮野明美を保護してからも穂波シエの生活は変わりなく続いている。

決まった曜日に大学に顔を出し、バイトに勤しみ、定期的に例のマンションに出入りする。その都度明美と世間話をしながら、今後のことを合間に挟む日々だ。


『髪染めるのとバッサリ行くのどっちがいいですか?』
『バッサリだとむしろ顔が見えやすくなるんじゃないかしら』
『じゃあ染めましょっか。アッシュブラウンあたりどうです? いっそ突き抜けて金パ?』
『金髪! いいわね、ワクワクする。私、髪染めるの初めてなの』


死んだことになっている人間とは思えない軽さだった。

それでも延々と泣いて自堕落に暮らすよりはマシだ。結局金髪は目立つということでアッシュブラウンに染め、現在は立ち居振る舞いの練習をしている。既にマンションに出入りしている面々には住み込みのお手伝いさんということで紹介済み。演技が完璧になれば外出することも可能になるだろう。

早くも卒論の目途が立ち、期間限定のカバーゆえに就職活動をする必要もない。バイト先にそのまま就職すると嘘をついてのんびり残りの学生生活を満喫していた、その最中。


『ハロー、シエ。大学は順調かしら』
「ハロー、クリス。じゅんちょーじゅんちょー。今年は卒論だけだから結構時間あるのよねー」
『あら、それは良かったわ。少しお手伝いをお願いしたくて』


という電話が来たのがつい先日のこと。

長い黒髪のウィッグ、ブルーグレイのカラーコンタクト、濃いめの化粧に黒縁の大きな眼鏡を掛けた気の強そうな女。一年ぶりに使うルシア・デンのカバーになってクリス・ヴィンヤードの前に現れた。

場所はアメリカ、ニューヨーク。とはいえ用事があるのは東都の方だ。ルシアが今までニューヨークにいて、クリスと一緒に来日したと見せかけるためにわざわざ密航したのだ。

ニューヨークに行って戻るフライトを終え、頼まれたことといえばクリス・ヴィンヤードとして故人を偲ぶ会に参加する際の付添人だ。

何故、という問いは当たり前に出てこない。ルシアらしく快活に笑いハキハキと喋る様子を周囲に印象付けながら二人は杯戸シティホテルへとやって来た。

ルシアの役割はクリスのマネージャー兼通訳。会場内でもぴったりとクリスの隣で挨拶回りに精を出している。その途中で会った枡山と初対面を装って挨拶しようと、彼とクリスがさりげなく意味深長な視線を交わそうと、ドゥルシネーアは我関せずルシアを演じ続けた。

ルシア・デンらしく行動すること。それが今回の最優先事項だと言われたから。


「いてっ」


見知った気配が動くのに合わせて、わざと前を横切った。


「Oh...ごめんなさい。どこか痛くない?」
「あっ、ううん、大丈夫! ボクの方こそ、前を見てなくてごめんなさい!」


黒髪の男の子と眼鏡をかけた赤茶色の髪の女の子。女の子の方はともかく、男の子の方とは面識があった。忘れもしない、明美の代わりにジンに撃たれたあの日、あの場所に何故か駆け付けた男の子だ。組織の人間を探してここにたどり着いたのだと、軽く探っただけでも彼の決意に満ちた内心から伝わって来る。

クリスは武器を持っていない。恐らくは枡山か、ドゥルシネーアが面識のない組織の人間が人を殺すのだと。

それを知っていながら、また、危ない場所に自ら飛び込んでくるなんて。


「いいえ。ところで、あなたの親はどこに行ったの? そっちの子はお友達? 二人だけで来たの?」
「えっ!? えっと、今パパとママを探してるから。じゃあねお姉さん!」
「待って」


とっさに男の子の腕を掴んで引き留める。

ルシア・デンはアメリカ生まれのアメリカ育ち。人種的にはヒスパニック系だが中身は生粋アメリカ人……ということになっている。だから価値観もアメリカだし、常識もまたアメリカ準拠になる。日本にやってきたからといってすぐ日本の常識に適応できるわけがない。

“小さな子供だけで外出させるのは虐待だ。”

という建前の元、ドゥルシネーアは精一杯悲痛さを意識した苦笑いを浮かべた。


「あなた、親にneglect……いじめられている? 子供を夜に連れ出しておいて一緒にいないのはおかしいことよ。警察に相談しなければ」
「け、警察!? だ、大丈夫だよ! パパもママもちょっと離れただけだから!」
「それは、置いてったんじゃ……」
「違うよ!? 違うからね!?」
「……」


男の子が否定すればするほど、親の愛を疑っていない可哀想な子供に胸を痛ませている──風を装って、近くにいたホテルの給仕に二人とも預ける。

たとえどれほど正義感に溢れ、賢く聡明であろうと。起こると知っている殺人を子供に見せる所業は看過できなかったからだ。

ついでに会場に紛れ込んでいたカメラマンをヒステリックに騒ぎ立てて追い出し、水を受け取ってからクリスの隣に戻った。


「あの男の子……」
「知り合い?」
「いえ、どこかで見たような……どこだったかしら」


遠目でルシアの動向を見守っていたらしい。

故人の秘蔵フィルムの試写会が始まってすぐ。薄暗がりの中で交わされた会話は、すぐにシャンデリアの落ちる音でかき消される。それも薄く伸ばした覇気で全部見届けていた。やはり枡山が殺す手はずだったのだ。子供を外に出しておいて本当に良かった。

罪のない子供が死に触れるのは、“あの時”だけでもう十分だ。

目を閉じて、また開く間。ドゥルシネーアはどこかに行って、ルシアの顔に戻る。枡山の任務はつつがなく、クリスとルシアの驚愕の演技は滑らかに。故人を偲ぶ会は事件現場として完成された。



***



『故人を偲ぶ場に許可なく忍び込むパパラッチにはいい思い出がなく、ついカッとなって場を騒がせてしまったのは謝るが、それで犯人扱いを受けるのは納得がいきません。弁護士を呼ぶ時間がほしい』


シャンデリアが落ちる前に不審なことはなかったか。

という質問に対して誰かが証言したのだろう。直前にカメラマンを追い出したルシアに対して、刑事たちは最初は懐疑的だった。何か疚しいことがあるのか、犯行を写真に撮られることを危惧したのでは、と。だが、上記の内容を早口の英語でまくし立てた後、落ち着きを取り戻したようにゆっくりと日本語で自己弁護するルシアを見て取ると、すぐに納得して次の事情聴取に行ってしまった。

海外芸能通の誰かがシャロンの葬儀でのエピソードを知っていたのだろう。人が良すぎる刑事たちに拍子抜けしてしまったドゥルシネーアだった。


「ドゥルシネーアがいる任務は楽ね。何も言わなくたって良く動いてくれるもの」


事情聴取後に合流したジンの車の後部座席。ベルモットが煙草に火をつける。塗り直したばかりの口紅が移らないよう、器用に吸って吹きかける姿からは疲れなど見られない。


「まさかあの会場にカメラマンが紛れていたなんて。何かの間違いで写真を撮られていたら大変だったわ。ピスコも運がいいこと」
「カマトトぶっている割に鼻のいい番犬ってか」
「女性を犬扱いするのは無粋ではなくて?」
「フン」


一時期仕事を回されまくってストレスフルだったせいか、ジンに対して少しだけ棘が出てしまう。それも銃口を向けられない程度には許されているらしい。

だからといって別段、あの時から仲が修復されたわけではない。むしろ明確に引かれたボーダーラインを少しでも踏みつければ、ドゥルシネーアの心臓は数十秒ほど穴だらけで役に立たないゴムポンプになるだろう。加えて今回のは恐らくジンの愛車に血飛沫を飛ばさないための配慮だ。


「そうだ兄貴。コイツにシェリーを探させりゃいいんじゃないですかい」


シェリー? 誰だそれは。

と言う疑問を首を傾げることで示すと、ベルモットがすかさず口を挟んだ。


「ウォッカ。ドゥルシネーアは私のものであって、あなたやジンの部下じゃないのよ」
「へ、へい。すいやせん」
「いいじゃねえか。犬にはちょうどいい仕事だ」
「ジン!」


ベルモットの牽制も何のその。犬呼びでしつこく当てこすってくるジンの中では既に決定事項らしい。すぐさま仕事用の携帯に画像が送られて来た。

十代後半の、赤茶色のショートヘアの女の子。



「コードネーム、シェリー。本名は宮野志保。組織から逃亡した裏切り者だ。嗅ぎつけ次第飼い主に報告しろ。分かったな?」



了承の声は、ちゃんと出ていただろうか。


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