夜半のいじらしさ



ロサンゼルス郊外の某公園にて。一組のカップルがベンチに並んで座っていた。

大きな黒いパーカーにダメージジーンズ、白いゴツめのスニーカー。長い金髪を適当なポニーテイルに纏め、無駄に大きなサングラスで周囲を威嚇する女の方。どこのゴミ捨て場から拾ったのか、手元にはゴシップが売りの薄汚れたマガジンが広げられている。にも関わらず、微笑みを浮かべる口元や芯の通った背筋はさながら聖書に目を通すシスターそのものだった。

隣に座るのは白いTシャツに黒いスキニー、女と揃いのスニーカー、メジャーの地元チームのロゴが入ったキャップを目深に被って膝に頬杖をついている男。彼にとっては女のそれがとてつもなく解せない錯覚だった。何故犯罪組織に所属している女が聖職者に見えるんだ、と。


「もう少しそれらしくしてくださいよ」
「努力するわ」


そう言って優雅に長い足を組む。自然と呆れの溜息が漏れた。

まさか上品すぎることに苦言を呈すことになるとは。初対面の馬鹿丁寧なお嬢様口調が適度に砕けたことを考えればまだマシか。


「しょうがない人だ」


キャップを目深に被り直して苦笑いする。ベンチに置かれたアメリカサイズのコークは汗をかいていた。

バーボンの現在の任務は継続して例のマフィアの幹部から情報をかすめ取ることである。弱味を握ってこちら側に寝返らせ、最終的にスパイに仕立て上げる。そのためには以前無事に掴めた違法カジノの証拠だけではまだ弱い。組織の金を使い込むまでとはいかなくともマフィアはそれなりにカジノは嗜むものだ。もうひと押し弱味になるものが欲しい。幸いというべきか相手はまだ叩けばいくらか埃が出そうだ。秘かに動向を探りつつ辿り着いたのがロサンゼルス郊外のこの街だったわけだ。

相手方は現在進行形で何かしら後ろ暗い取引に手を染めているらしい。その何かしらがまだ掴めない。ここからがバーボンの探り屋としての力の見せ所だろうと、カップルのフリをして相手の動きを探っていた。

はず、だった。


「次はココらしいわよ」
「はい?」


ペラペラ読んでいるのかいないのか分からない微妙な速さでめくっていた手が止まり、あるページの一点をこちらに見せる。覗き込むとロスの中でもそこそこハイクラスなホテルの広告だった。そのページには誰かが張り付けたガムがページ同士をくっつけていて、たとえ立ち読みするとしても絶対に手に取らないだろう。少しだけ眉を顰めながら相手を見れば、訳知り顔で雑誌を見下ろしている。


「先ほど様子のおかしい方がいたから少し気になって。わざわざゴミ箱の横にコレを捨てていったの」


ああ、まただ。背筋に薄ら寒い何かが走る。

西海岸に沿ってゆっくりと南下しながら任務を熟すこと一月。初春から初夏の気配が見え隠れし始めるまでの期間でバーボンは焦りにも似た決意をその胸に抱きつつあった。

目を瞑って遠くの人間の気配を感じ伝えてくる女。千里眼の如く何もかもを見通す能力が任務遂行に一役買っていることは分かっている。マフィア構成員の気配、尾行の有無、情報収集の当て。不可能をやってのける荒唐無稽な超能力を信じることは見も知らない相手からの飲食物を飲み込むような気持ち悪さだ。

この一週間以内に例の幹部がどこぞの企業家の資金集めパーティーで何やら金を動かすという情報を入手していた。が、件の企業家が羽振りのいいことに三日も連続で、それも日毎にホテルを変えて同程度の規模のパーティーをするというのだから、肝心の場所が特定できていなかった。こちらとしては三日連続で参加するのも手ではあったが、ヒスパニック系のドゥルシネーアならともかく、アジア系が色濃いバーボンの顔は流石に目立つだろう。それは最悪の手段として、できるだけ情報収集をしておきたいと思い悩んでいた矢先にコレだ。指定の場所を示した雑誌を一般人が拾わないように汚して捨て、相手方が偶然拾った風に見せかけて取引場所を把握する。このような明るい公園で堂々とマフィアが情報交換をしているとは夢にも思うまい。バーボンは感嘆とも畏怖ともつかない息を吐いた。今まで何度吐いたか忘れるほどの溜め息だった。


「流石の洞察力ですね、いつも惚れ惚れしますよ」


この女を野放しにしてはいけない。今は組織上層部からの信用が薄く大きな作戦には組み込まれていないが、いつか必ず公安の壁として降谷零の前に立ち塞がるだろう。そうなった時、果たして彼は彼女を完璧に出し抜くことなどできるのだろうか。

ドゥルシネーアという脅威と一ケ月も共に行動して、バーボンは内心で二つのカードの内どちらを切るべきか悩んでいた。


「ふふ、お世辞がうまいこと。あなたに褒められるとなんだか嬉しいわね」
「事実ですよ……あなたは最高のパートナーだ」


排除か、懐柔だ。



***



「お手伝い、しましょうか?」


高級ホテルの一室の前で、さっきまでエスコートしていた女を見下ろす。

上品なローズ・マダーのベルベッド生地。反してデザインと言えばイブニングドレスらしい大胆な露出で、彼女のほっそりとした肩と白い背中を照明によって眩しいほどに晒している。首元を飾る大粒のダイヤがちりばめられたネックレスが彼女の首筋をより華奢に見せ、ドレスに縫い付けられたバラの刺繍は程良く豊満な肢体をより蠱惑的に演出した。緩く巻いて左に流した金髪は触れて口づけてしまいたいほど美しい。紅茶色の瞳が艶やかな笑みを象り、ドレスに合わせたローズ・ピンクのルージュがカクテルを飲むたびにグラスに吸い付く。

ジョークを言う余裕もないほど極上の美女をエスコートするハメになったバーボン。くびれた腰に手を回し体を密着させつつの談笑は、果たしてどれほどの羨望と嫉妬を浴びたことだろう。瞳に宿した熱を隠しきれていないターゲットからの情報収集と、彼女にわざと接触をさせてつけた盗聴器。既にバーボンの部屋で盗聴と同時に録音されているだろう取引の内容。ここまでくれば後は明日、他の客と同様に堂々とホテルをチェックアウトすれば任務は終わる。目立ちすぎたことを除けば思いの外スムーズに任務を完了させてしまった二人は、不自然でない足取りで自分たちの部屋まで戻ってきた。

やるなら今だ。

カードキーをたった今通そうとした手が止まる。チラとこちらを見上げる微笑みに困惑は見て取れない。相変わらず可愛げのないことだ。自前の甘い顔をさらに甘く緩めたまま彼女の背中に覆いかぶさる。そのままカードキーを持った右手に己の手を重ねて、焦らすようにゆっくりとセンサーに通させた。

ピッ。機械的な音が知らせるのは、ドアロックの解除。


「素敵なドレスですが、きっと脱ぐのも大変でしょう」
「まあ、親切なのね。でもごめんなさい。坊やと遊ぶ趣味はないの」


ドアノブが回り切り、部屋の全貌が見えかけた瞬間、バーボンは無理やり彼女を部屋の中へ押しやった。ガタンと乱暴に閉められたドア。そのまま自動でロックがかかったことを耳で確認しながらバーボンはその肢体を壁に押し付ける。


「本当に僕が坊やかどうかは、ご自身で確かめてみてはいかがですか」


何か言おうと開いた唇は、どうせ含みのある言葉しか吐かないのだろう。僅かな苛立たしさをぶつけるように自身の唇で相手の口を塞いだ。

鼻に漂う淡いローズの香り。唇に吸い付くルージュの感触は想像以上の柔らかさだ。文字通り目前には丸く見開かれた紅茶色が揺れている。ああ、この女でも動揺することがあるのか。鼻を明かしてやったと、愉快な気分のまましばらく感触を楽しんでからバーボンはそろりと舌先で唇を舐める。すると思いの外簡単にこじ開けられたものだから、愉快さは留まることを知らなかった。


「んっ……ぁ、んっ、んん……」


なんだ、その気はあるんじゃないか。坊やだのとこちらを下に見たくせに拒むことなく受け入れようとしてくる。気味の悪い力を持ったところで女であることは変わらない。顔がいい男に良い寄られれば気が良くなるのは止められないのか。だいたい、見た目からして自分より年下に見える相手から坊や扱いされることにそろそろ嫌気が差していたのだ。


「ずっと、あなたに触れたかった」


キスの合間の甘言などお手の物。得意げなバーボンは口内で寝そべっている舌を自身の舌ですくい上げる。唾液を刷り込ませるように絡めてはたまに甘噛みしてやればか細い肩が僅かに揺れる。ちゃんと快楽を拾って淫らにキスを続けるこの女が、ただ浅ましい。愉悦と嘲りで高められた気分が舌の動きをより大胆にする。理性と欲望の狭間、引き絞られた綱の上でバランスを取りながらジッと対象を覗き込んだ。


「口の中、切ってますよ」


ココ、と相手の左頬に親指を這わして微笑んでやる。余裕を滲ませながら唇を舐めれば人工的なルージュの味がした。


「お遊びは済んだかしら」


擦れたルージュごと指で唇を拭うドゥルシネーア。酸素不足で顔を赤らめ息を整える様はそれは色っぽいが、声音は平時通りまったく何も感じていない。その様子がバーボンの闘志に火をつけた。


「そうですね、では……ここから本番だ」
「っん」


噛みつくようにキスを繰り返し、手は忙しなく相手の体を撫でまわす。片手で細腰を抱き、もう片方で背中のファスナーを下せば、すぐに露わになるドレスの下のなんと艶めかしいことか。吸い付く白い肌を直に撫でさすり相手の興奮を確実に高めていく。甘さを含んだ吐息が耳にかかるたび、バーボンの胸中に得も言われぬくすぐったさが生まれつつあった。

流石に一ケ月で溜まっていたのか。懐柔のためとはいえ女を抱く時は興奮する。中身を別にすれば相手は美しい女だ。それが己の手によって乱れるのだから、これが嫌いな男などそうそういないだろう。

長いキスを中断して首筋に強く吸い付いたバーボン。ドレスはとっくに床に落ちていて、上下総レースの下着のみが相手の肢体に残っている。コルセットもどきの黒い下着は外すのが面倒そうだ。左手で胸を柔く揉み、右手はゆっくりとコルセットのリボンをほどきにかかった。


「素敵なご趣味で。まるで身持ちの固いご令嬢だ」
「そう、ね……っ、その通りかもしれないわ」
「へえ?」


ここまで平然としておいてカマトトぶっているのか。ついには全てのリボンをほどき終わって露わになった膨らみに頬を寄せる。いくつか痕を散らす、この行為は純粋な女ほど喜ぶものだ。いい男に求められて、独占欲丸出しで所有物の証しを残そうとしている様は気分がいいのだろう。瑞々しい肌は簡単にバーボンの唇で赤い花を咲かせてくれる。


「だって私、初めてなんですもの」
「…………………………?」




?????

????????

ん???????????


「今、なんと?」


この女、何て言った?????


「だから、初めてで坊やと遊ぶ趣味はないのよ」


赤らんだ頬のまま、小首を傾げて胸に顔を埋めるバーボンを見下ろす。緩く細められた紅茶色は鮮やかな色気をしとどに濡らしているというのに、言っている内容は現実との落差でひどく乾いて聞こえる。

いや、いやいやいや。処女がこんな慣れたように男のアプローチを受け止めるわけがないだろう。部屋にいきなり踏み込まれて、ディープキスされて、ドレスも脱がされて、今彼女はほとんど裸のような恰好をしているのだ。バーボンにつけられたばかりの赤いキスマークがデコルテや首に散っているのを知っていて、堂々と肢体を見せつけてくる。キスで乱れた髪をかき上げ、小さく息を吐くこの女のどこが処女だと言うのだ。


「う、嘘でしょう?」
「嘘でも本当でも、あなたには関係ないわね」


ニッコリ。公園で天気が良いことを喜んでいた時と同じ表情を浮かべるドゥルシネーア。突然霧散した色気に驚いている間、呆然としたバーボンが気を取り直したのは彼女によって部屋の外に追い出された後だった。


「着替えの手伝いありがとう。良い夢を、坊や」


バタン、ピッ!

……………………。

………………………………。


「………………………………だ、」


だから、僕は、坊やじゃないッッッ!!!!!!

高級ホテルの廊下で叫ばないだけの理性が残っていたことを、後にバーボンは自画自賛した。

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