気高く聖く



人間の体は細胞の増殖と老化を繰り返して生きている。短いスパンで新しい細胞が作られ、役目を終えたものから老化し捨てられる。特に成体になるまでの間は成長という名の下に増殖スピードは老化を上回るが、ひとたび成体となればその勢いは失われていく。いつしか増殖を老化が上回るようになり、緩やかに体は老いていき、そこかしこの機能が落ち、最後は眠るように死ぬ。人間が生きて死ぬまで体は細胞を産んで殺すことを繰り返すのだ。

そのことを踏まえて。もし人間が不老不死を実現させるとするならば、それは永遠の成長と言い換えられるだろう。細胞の増殖が老化を上回ったまま、成体というゴールが見えないまま、完成をする気配もなくどんどん大きくなっていく。巨人族も伝説の魔人をも越えて大きくなり、それでもまだ未完のまま成長を続ける。生きた年月の分だけ、大きく、大きく。理論上、生物の不老不死とはそういうことなのだ。

だからこそ、それは異常だった。

若い姿のまま。身長の1ミリも、髪の毛の1ミリも、爪の1ミリですら伸びない。何十年、下手すれば何百年とそのままの形を保つ人間。完成体から退化することなく在り続ける存在。

政府の科学者は長い年月の中、次のような仮説を立てる。もしも見た目が老いることなく在り続けるられるのだとしたら、それは生体を固着させているのではないか、と。死体をホルマリン漬けにして長年保管するように、人間の細胞を生きたまま固着させこの世に留めているのだと。常人と変わりない成分の血液を試験管越しに眺めながら述べる。その赤い液体は依然として試験管のコルクを押しのけて元の場所に戻ろうと必死なのだが、それすら愉快な実験材料にしか見えないのだろうか。

黙って話を聞いていた"人間"は柔らかく微笑んだまま。何もかもを受け入れるように、はたまた何もかもがただ無関係であるように、深く深く頷いたのだ。


「私、もう死んでたのね」



***



いつまでこの状態が続くのだろう。

両手足をベルベッドのリボンで包装するように縛られ、最高級の手触りのベッドの上に転がされて。ドゥルシネーアは微笑みながら嘆息した。視界はアイマスクで遮られ、今回は猿轡まで噛まされている。

この格好になってから一日、この状況になってから既に数時間は経過している。

穂波シエは今年、大学生三年目から四年目に突入した。最高学年の最終学年。今年いっぱいがこの生活のリミット。来年からは組織の一員としてベルモットが死ぬまでこき使われる覚悟で過ごしてきた。それが突然、彼女からの電話により一気に予定が狂ってしまったのだ。


『今年いっぱい留学手続きを取ってほしいの』


電話一本。たったそれだけの要件で理由は聞かなかった。なんでとかどうしてとか質問する前に一言『うん、いいよ』と頷いてしまったのは、シエの意見など最初から求められていなかったからだ。決定権はすべてベルモットにある。重々承知の上で深く納得していたからこそ、電話を切った直後に大学への手続きの電話を入れていた。こうして彼女は一日にして四年生での留年が決定したのだ。

イギリスのロンドンに留学。書類上はそうなっていたが、果たしてその通りの場所に行けるのだろうか。そもそも事実上の休学をさせてまでベルモットがさせたいこととは何か。考える時間は皮肉にも拘束されている間たっぷりあった。が、結論は数秒で出てしまったものだから退屈で仕方なかった。

恐らくは昨日。マスクを剥ぎ取りドゥルシネーアになったところで黒スーツの男たちに拉致され、車に乗って飛行場へ移動。ベッドのような者に固定された状態で飛行機に乗り、数時間のフライトを経てまた車。さらにまた別の飛行機に乗り、数時間後に降りた先で車移動。そして降りたと思えばエレベーターの浮遊感を感じ、またベッドに横たえられ、両手足の拘束が肌触りの良いリボンに変わる。体感でたっぷり一日、彼女は空輸される荷物の気分を味わった。

まあ、それももうすぐ終わることが分かっていたのだが。


「なっ、大丈夫ですか!?」


扉の向こうから近づいてきた気配が部屋の中へと入って来る。第一声がこちらを心配するものだったため、ドゥルシネーアはやっと荷物の状態から解放されることを喜んだ。

丁寧に猿轡を外されアイマスクで閉ざされた視界がゆっくり開かれていく。部屋中に満たされた光に瞳孔が収縮運動を始めてしばらく、内装を見渡して思ったのは二つ。呆れとおかしさ。まさか本当にスイートに軟禁されていたとは思わなかったから、ドゥルシネーアはここにいないベルモットに対して笑みを浮かべた。あれはジョークではなかったのか、と。

問題は、目の前にいる相手に彼女の内心を知るすべがなかったこと。彼女が誰に対して笑みを浮かべたのか分からないまま、妙に凝った拘束を解いていく。


「ありがとう、助かりました」
「いえ。それで、あなたがあの?」
「あの、とは?」
「……とりあえず、自己紹介でもしましょうか」


体の自由を奪われていた女の反応にしては落ち着きすぎている。これは何かの罠ではないのか。相手の考えていることが手に取るように分かってしまう。完璧な笑みに完璧な笑みを返されながら、ドゥルシネーアは一人で納得した。

この男が今回のお守役なのか、と。


「初めまして、ドゥルシネーアと申します」
「初めまして、バーボンです」


反射にも近い速さで警戒心を抱いた彼が、少しだけ諸星大を思い出させた。

← back
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -