宵が醒めたら逢いにいらして



チャルロスと共にオークション会場に辿り着いた時にはオークションは終盤に差し掛かっていた。

チャルロスが地に伏せた奴隷をひとしきり蹴りつけてから案内に従って席へと歩いていく。一歩一歩踏み出す度に観客の視線がこちらを向き、怯えたようにすぐ逸らされる。どんな理由で天竜人の怒りに触れるか彼らには分からないからだ。その視線を、己の奴隷たちからも向けられている事実を、周りの貴族たちも気づくべきだろうに。


「天竜人……!」
「また来たわ、世界貴族」
「逆らえば海軍大将がやって来るってやつか」


チャルロスの後ろを歩きながら周りの声に耳を傾ける。息を飲む声とは別に僅かな囁きが聞こえてきて、女の意識はそちらに向いた。視線がこちらから逸れたところで盗み見れば、あの海賊狩りと同じく、昔見たことのある面々が並んでいた。本当に変なところに生まれてきたものだ。何十回も思った感想を笑みの下に零す。

そうして、観客席からこちらを見る顔に目を丸くした。

手配書は見ていた。どんな顔に成長したのかも知っている。それとなく動向も探っていたためにこの島に来ていることも知っていた。けれど実際にその顔を見るとまた違った感慨があるというものだ。たった三年、されど三年。共に生活した子供の姿を見つけて、口の端がいつも以上に吊り上がった。


「ドゥルシネーア様ァ、早く行くえ〜」
「……ええ」


酷く不機嫌そうな顔。世界政府に対する恨みはまだ晴れていないのだろう。当然か。ベールとサングラスで見えないのをいいことに浮かべたのは満面の笑み。それだけ本心からの喜びだった。女にとって残った家族は、彼を含めて二人しかいないのだから。

少しだけ浮上した気分のまま、用意された座席に腰を下ろす。


「遅いえ、ドゥルシネーア。お前がいればチャルロスも寄り道をしないと踏んだのが間違いだった」
「あなたの息子はとてもマイペースなのよ、ロズワード」
「フン、言いたいことはもっとはっきり言うものだえ」
「まあ、これでもはっきりと言ったつもりなのだけれど?」
「お前というやつは、口答えばかり上手くなりおって……」


呆れたいのは女の方だった。ここまで息子を馬鹿にしておいて一端の親のつもりなのだ。世界貴族の中で変人扱いを受ける女の方がおかしいという認識がロズワードには根付いている。同じ年で家柄も大差ないというのに上から目線でモノを言う。それだけに譲歩するのはいつも彼女だった。

浮上した気分はすぐに元通りになり、時間が経つにつれマイナスに落ちていく。

奴隷になる恐怖で舌を噛み切った男。金魚のように水槽に入れられた人魚。手のひらを突き出して大金を叩く世界貴族。魚人差別の最前線を見せつけられ、ピストルの音が響いた時には吊り上がっていた唇は辛うじて真一文字より上という形に変化していた。

それでも笑みを形作っているのが、彼女にかけられた解けない呪いだった。


「ふふふふ、ふふふふ、ふふ」


しかしその数分後、女は上機嫌でその場で寝転がりたくなった。

こんなにも愉快だと思ったのは生まれて初めてかもしれない。麦わら帽子を被った黒髪の少年。思いっきり振りかぶった拳がチャルロスの顔にぶち込まれたその瞬間。なんと爽快な気分になったことだろう。暴力なんてものはどんな理由であれ目を塞ぎたくなるもののはずなのに、こうまではっきりと善悪が区別されていると楽しいものである。勧善懲悪ものが一定層に人気があるわけだ。閉じた唇の隙間から漏れる声がどこかのフラミンゴと同じ笑い方になっていることに本人は気付いていない。

シエの持つこの世界の事前知識は微々たるものだ。主人公である麦わら帽子の少年とその仲間たち。それでさえ見たことのないリーゼントの男と骨人間がいるのだからアテにできるものでない。結局この世界はシエにとって未知の世界なのだ。

だから女はロズワードが鼻の長い男の下敷きとなった時、いそいそと護衛二人を引き連れて会場の端に座り込んだ。目立たないところで高見の観戦、というやつだ。主人公たちの活躍を巻き込まれない場所で他人事のように眺め、シャルリアの強行も芝居でも見ているような感覚でいた。舞台の奥から彼の伝説がこちらを見た時だけは慌てて唇に指を当てたが。もちろん彼の冥王がここにいることなんて知らなかったし、今天竜人として主人公の前に出るのは自殺行為だと理解していた。

ひとしきり暴れ回り、外の海軍を相手取るために出て行った船長三人を確認したところで女は立ち上がる。顔に触る度に押し返してくるのが面倒で既にシャボンは破いてしまった。破いたついでに結い上げていた髪も適当にかき混ぜて下ろすと、もう彼女が天竜人だと判じるのは宇宙服のような着物ぐらいしかない。


「……お前ェ、さっきの」
「て、天竜人!? まだいたのか!?」


緑頭の青年の声で一気にその場の船長を除いた海賊たちがこちらを見る。特に麦わらの一味の視線が鋭く、護衛二人が身構えたのを手で制する。これも護衛をする上でのポーズでしかなく、女を守る意味などもともとないのだ。静々と足を進める女に向けられる殺気と敵意。それを意にも介さず、とうとう出入り口の大きな扉の前まで辿り着く。どれほどふてぶてしい態度に見えることだろう。剣先も銃口も視界に入れながら女の笑みが死への恐怖に歪むことはない。

だって女は死なないのだから。


「あ、あんた、なんでそんなに笑ってられるのよ。さっきルフィが殴った天竜人、あんたの家族かなんかでしょう!?」


オレンジの髪の女が意を決して尋ねた内容に、そういえば、と頷いて見せる。家族という括りに入れられることは女にとって屈辱的ではあったが実質遠い先祖は同じようなものだ。初対面の彼女たちからすれば天竜人である時点で仲間のようなものだろうし、この場合は女の方がおかしな存在に思われても仕方ない。視線をぐるりと辺りに滑らせてから、その場に似つかわしくない茶目っ気を口の中でたっぷりと滲ませる。


「余所の女をペットにしたがる男に、あなたは魅力を感じるの?」


言外に"スッキリした"と言ってのけた女に、海賊たちは目を丸くしたのだった。

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