冷たさを孕んだ指で触れて



本当に気難しい方だった。飛んで来る弾丸を避けながらどうしたものかと思案する。

ドゥルシネーアの体力ははっきり言って並以下だ。毎日を広い屋敷の中で過ごし、たまの遠出以外は外を歩く程度の運動をするばかり。何十年と過ごしてきたお嬢様生活で体力などつくわけがない。それは大学生活を満喫している今も変わらずそのままだ。加えて彼女のスタイルは避けずに受け止めるもの。勝手に治る身体への心配などとうの昔に投げ捨てたものだ。だからこそ攻撃を避け続けるということは彼女にとって慣れない行為だった。

彼女の息はとっくの昔に切れているし足は棒のように動かしづらい。喉は酸素を求めてひりつき、汗が上気した頬に髪の毛を張り付かせる。少しでも気を抜けば汚いコンクリートのベッドに勢いよくダイブしてしまいそうだ。それでも動き続けられるのは彼女の身体が普通じゃないから。筋肉疲労も酸素不足もすべて傷の一種として不老不死の身体は処理してしまう。どれほど辛く苦しい思いを繰り返そうとある程度のところで回復が拮抗し、いつまで経っても疲労と息切れを保ったまま動き続けられる。もはや拷問に近いその行為が始まってどれほどの時間が経っただろう。

動き回って標準を定めさせず、たまに足を止め引きつけてから避ける。ランダムで動いて動かないでを繰り返し、あとは相手の苛立ちを誘うだけ。大なり小なり相手方の精神を揺さぶりかければいつかは持ち弾はゼロになる。どのスナイパーも一流の腕を持っているのだろう。彼らが思った場所にドンピシャで弾が飛んでくるのだから逆に避けやすい部類だ。目隠しの下で目を瞑って永遠と相手の思考を探り続ける。もはや目隠しの意味は微塵もないが、目では何も見ていないという確証を与える役には立っているだろうか。それもジンという男に通じるのか甚だ疑問だ。

ドゥルシネーアはベルモットから電話で初めてジンの存在を知った。ジンが会いたがっている。突然そう言われて間髪入れずに了承したのは組織についての情報を何も持っていないからだ。後ろ暗い組織なのだろうな、という曖昧な認識。実際は後ろ暗いどころかすべて真っ黒だということすら把握出来ていない。むしろ彼女にとってこの世のどの悪よりも自身の血筋の方が罪深いものだと信じていた。どれほどの人を殺し国を荒し悪虐を尽くしたところで自分たちのしてきたことの方が何倍も悪であろう、と。だからこそ今、ドゥルシネーアとして犯罪の手伝いをしているという認識が酷く薄いのだ。

ただベルモットの言う通りに動くだけ。ベルモットがジンの指示を聞けと言うのならドゥルシネーアはその通りにする。ジンのためでなく、組織のためでなく、ベルモットのために動く。それが穂波シエの人生を用意してくれたベルモットへの感謝と恩返しだ。どうせ何をしたってドゥルシネーアは死なない。どんな酷いことになってもならなくても、いつかは過ぎ去ってただの記憶になる。彼女の身一つならいつだって思うがままに動き続けられるのだから。

ドゥルシネーアは微動だにしない男の内心を探る。彼女が何度50ヤードも離れていない距離からの狙撃を避けようと、ジンの心情に恐怖は浮かばなかった。あるのは殺気と警戒、そして純粋な好奇心。高揚感にも似たそれが一回一回の狙撃を避けるごとに高まっていく。むしろ隣の大男の方が面白いくらいに怖がってくれてその差が歴然としていた。いつまでも手を離さない銃の存在。このまま弾がなくなるまで避け切ったところでこのジンは満足してくれそうにない。この時間に飽きてしまえば再び左手の銃でドゥルシネーアを撃ってくるだろう。それも眉間を狙って、だ。さすがにこの疲れ切った身体と並の反射神経でまた避けられるかといえば五分五分になってくる。

その銃口がいつこちらを向いて、いつ火を吹くのか。ドゥルシネーアとしても好奇心をくすぐられるものだが、その前に。

そろそろ終わりにするのも悪くないと、進行方向をその男へと急転換させた。


「あ、兄貴!!」


ジンに向かって走っていく彼女に対して、銃弾の雨は徐々に止んでいく。ジンに被弾することを恐れてだろう。どこかから聞こえてきた舌打ちと、ウォッカと呼ばれた大男の慌てよう。ベルモットの怪訝な雰囲気を感じながら、ついにそこまで辿り着く。走り抜ける勢いをそのまま残し、身体は一直線に銃を構える男の元へ。

広い倉庫に発砲音が一つ。

いつかベルモットを庇ったあの時のように、ドゥルシネーアはジンの体を押し倒した。


「どういうつもりだ」


銃口が押し付けられたのは左胸。血が溢れ出したのは左肩。体温でぬるく温められた血液がコートに黒いシミを作った。

背後では女のヒステリックな声が飛んでいる。その相手はドゥルシネーアではなく、彼女の左肩を仕留めたスナイパーに対してのものだ。

この場にいるスナイパーの腕は皆一流。だがメンタルはそうではなかったらしい。スナイパーは場所を知られればすぐに退避するもの。自分の居場所を知られた状態で動く的を撃ち続けるのは不慣れな作業だったのだろう。加えて相手は目隠しをしているくせにヒョイヒョイと避けまくる女だ。それは不気味で気持ち悪かったに違いない。ただ早く当てて終わらせたい。その一心で女を狙っていた。だが、恐怖と焦りは正常な判断を奪っていく。彼は愚直にドゥルシネーアを狙撃し続け、ジンに当たるかもしれないという危惧すら思考の外に放り投げたのだ。

そのことをすべて知りながら、ドゥルシネーアはジンの元へ誘導した。押し倒さなければ確実に彼に当たっていたであろう銃弾を肩に受け止めて、ポーズで構えられた銃口を見ないふりをして。ジンの余っている右手を掴んで目隠しに充てがう。


「これ、外してくださる?」


それは、ゲーム終了の催促。

目隠しを取ってドゥルシネーアにジンの素顔を見せたなら、それは少なからず認めたということになるだろう。そうすればこの茶番も終わる。ボスの命令は十分に果たしただろうし、認めたのなら殺す理由はもはやない。ただ、殺すのに理由もいらないのがこの男の難しいところだ。

自分よりも大きな体に覆い被さり、直接見えもしないジンの顔を見下ろす。汗と輸血パックから漏れた血がジンのコートに吸い込まれていった。


「それとも、」


左肩からの出血は尋常な量ではなく、けれど口元に変わらず浮かぶ微笑み。頭の中が警鐘を鳴らし、目隠しの下で開いた目には生理的な涙が浮かんでいる。元々流していた汗に脂汗が混じり始めた頃、撃たれた傷が再生を始め身体が熱を持った。目隠しの隙間から上気する頬がどれだけ色気を含んだものか、彼女は理解していない。

痛みを耐えているようにも、欲情している風にも捉えられる。それは壮絶な笑みを浮かべながら。


「ずぶ濡れの私は、もういらない?」


化物は死神の手に指を絡めた。

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