どうぞご笑味くださいませ



アパートの前に停まった一台のバイク。見慣れない二人乗り用のFXDBに跨る女は黒いコートを着込んだ女に手を振った。


「スカートはやめてって、伝え忘れたわ」
「いいじゃない、たくし上げれば」
「あら、はしたないことは苦手でしょう?」
「“苦手”と“できない”は違うのよ?」
「減らない口ね。今度動きやすい服を贈るわ」
「まあ、楽しみ」


妖艶な身体のラインを見せつけるライダースーツの後ろに、マキシ丈のスカートをたくし上げた女が跨る。顕になった黒いパンストが彼女の長い足を美しく際立たせた。渡したヘルメットを被ると同時に滑り出すバイク。プラチナブロンドの髪の女たちは颯爽と夜の倉庫街へと走り出した。


「これだけは絶対に守ってほしいことがあるの」
「ジンのご機嫌は損ねるな?」
「ジンはいつだって不機嫌よ」
「気難しい方なのね」
「殺されるわよ」
「ふふ」


殺せないことなんて分かっているくせに。そういう意味を込めた失笑を耳元で受け取ってベルモットは息を吐いた。こちらの気苦労も知らないで、お茶会に招待されたとでも勘違いしているのか。苛立ちと少しの心配を乗せてエンジン音でかき消されないように声を張った。


「いい、怪我だけは絶対にしないで」
「輸血パックは体中に仕込んでいるわ」
「頭を打ち抜かれたら一発でバレるじゃない」
「その時はその時よ」
「は?」


あまりの適当さに秀麗な眉が歪む。

ドゥルシネーアの身体は傷を負ったそばから再生する。皮膚の一片、血の一滴すらも元あった彼女の身体へと戻っていくのだ。だからこそ撃たれたふりや刺されたふりは通用しない。傷を負った場所が服の下であろうとまったく出血がないのなら一目でその不可解さが露見してしまう。出血の偽装のために輸血パックを仕込ませたものの、服の下を探られてしまえば致命的だ。それどころか、ジンお得意のヘッドショットが脳天に撃ち込まれたなら、彼もベルモットと同じ光景を見ることになるだろう。

ジンに不老不死の存在が知られ、ボスの耳まで届くことは避けなければいけない。その危惧を恐らく彼女も察しているだろうに、なんて能天気な。


「本当に緊張感がないわね。これだから箱入りは」
「おかげさまで、クローゼットの外はとっても楽しいわ」
「悪かったわね。次はちゃんとしたスイートに軟禁してあげる」
「冗談よ、本気にしないで」


ベルモットの腰にドゥルシネーアの腕が強く絡む。甘えるように、戒めるように。どちらも同じだけの信憑性を持ってベルモットの心臓を掴み取る。弧を描く唇はヘルメットに隔てられて分からないというのに、ベルモットの背はさらに強く抱きしめられた。


「Thank you,my dear Chris.」
「ずるい神様」
「神様はお礼なんて言わないでしょう?」
「……それもそうね」


それでもあなたは、何よりも神様らしい。

神と呼ばれることを良しとしない彼女のために、ベルモットは言葉を飲み込み続ける。目的地の倉庫の前に立つサングラスの大男。銀髪の男の姿が見えないことに訝しみつつ、二人を乗せたバイクは停止した。



***



しみったれた倉庫の真ん中でタバコを銜えて立つ男。黒いコートと黒い帽子。腰まで真っ直ぐ伸びた銀髪。鋭い眼光が捉えた先にはこの倉庫唯一の出入り口。先ほど使いに出したウォッカと呼びつけたベルモット。そして見慣れない金髪の女が一人。ジンの睨みを物ともせず、優雅に、そして堂々とこちらへ足を進めている。足首までの長いスカートと同じ丈の黒いコート。革靴のヒールがベルモットとは別の甲高い音を立てた。

それだけならば肝の据わった女だと鼻を鳴らすだけに留まったはずだ。けれど現実は女が確かな足取りで歩むごとに変容した。ヒールの音が一つ二つと増えれば増えるほど異様な雰囲気が辺りに蔓延しようとしている。まるでジンを威圧するかのようにふてぶてしく。“目隠しをされた女”は微笑んだ。

なるほど、いけ好かない。


「ウォッカ、ベルモット、そこを動くな……」
「ジン?」


ジンがおもむろに右手を挙げた、次の瞬間。広い倉庫の中に響く発砲音と同時に、目の前の女が体勢を崩した。


「ジン、どういうつもり!?」
「どういうつもりだァ? それはこっちのセリフだぜベルモット……」


ベルモットの非難の声も我関せず、ジンの目はずっと女の動向を睨み続ける。


「あのお方が自由にさせているからといって、こんな他所者を組織に関わらせやがって……」
「ドゥルシネーアは私の直属で、いずれは組織の一員になる人間よ」
「なら何故すぐに入れない……何か疚しいことでもあるんじゃねェのか?」
「あなたには関係のないことよ。あの方にも了承はもらってるわ」
「あの方からの命令だ。本当にベルモットの言っていることは正しいのか調べて来いと……」


ジンの瞳には崩した体勢から元に戻った女の姿が映った。大きな倉庫とはいえ100ヤードにも満たない距離の狙撃だ。外したというよりは避けられたという方が圧倒的に有力だろう。チラリと視線をやった先でキャンティが忌々しそうに再度スコープを覗き込んでいた。


「俺がいない間に日本でドンパチやった時、ターゲットの指定をコイツがやったそうじゃねえか。監視カメラもスコープもなしに、目を瞑って、取りこぼしなく全員殺させやがった……」


ベルモットがジンに一言も漏らさなかった存在。ドゥルシネーアという聞きなれない女がそんな奇妙で不可解なことをやってのけた事実。その二つがジンの不信感に火をつけた。ちょうどその時期に本堂というスパイがキールに返り打ちにあったのも関係している。加えて最近で言えばスコッチが公安の回し者だと発覚し、ライに始末されたことも拍車をかけた。まだだ。まだこの組織にはどこかから入り込んだネズミがいるに違いない。そう確信付ける予感がジンにはあった。

疑わしきは罰する。だが、この女に関してはボスからの命令は『確かめろ』とのことだ。殺すのはその嘘を暴いてからでいいだろう。

倉庫に着いたのを確認してからウォッカに女の目隠しを付けさせた。倉庫の中はその時点で分からないはずで、ジンの姿すらこの女には見えていない。それなのに不意打ちの一発、それもキャンティの狙撃を避けて見せた。本物かもしれないという可能性は塵芥程度に増した。が、そんなものトリックの一つ二つと用意していればジンでさえ可能の範囲内だ。


「どこから鉛玉が飛んでくるか当てて見せろ」


問題はこれから。ここからが本番だ。


「俺は超能力だのなんだのは信じないが、使えるモンは使ってやる。ペテンでないなら、」
「この倉庫内のスナイパーは四人」


言葉尻を遮ったのは、初めて聞く声。発信源はもちろん目の前の女から。


「あなたから見て1時、3時、6時、11時の方向。男男男女で二階通路にそれぞれ狙撃準備済み。さっき撃ったのは女ね。あとはこの倉庫の隣の屋根にもスナイパーの男が一人。129ヤード離れたところに拳銃を持った男二人。540ヤード離れた埠頭、三台の内黒い車の前に手ぶらの男がもう一人」


滔々と、既に渡された台本を読むように。ジン自らが指示した場所に待機する部下の人数、居場所を教えてくる。尋ねればもっとこと細かい情報を吐き出すのだろう。薄く引かれた控えめなルージュが女の自信有り気な態度に似合わない。カマトトぶりやがって。ジンはポケットに入れていた左手を静かに抜く。


「それと、891ヤード北の倉庫に寝ている男……ホームレスかしら、あなたたちとは関係なさそう、」


ね、に被さる銃声。

尚も話し続けようとした女に向けて一発、無慈悲な弾丸が至近距離から撃ち込まれたのだ。


「ドゥルシネーア!」
「話は最後まで聞け」


銃弾が来るとあらかじめ分かっていたのか、最小限の動きで再び避けてみせた女。ベレッタをその顔に向けながら、ジンの口元はニヒルに釣り上がる。


「お前の力を信じるのは、この銃弾の雨に濡れなかったらの話だ……!」


女の笑みは揺るがない。いつ恐怖と焦燥で歪むのか、ジンは愉快で仕方なかった。

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