ごっこ遊びの基礎



ドゥルシネーアにとっても穂波シエにとっても、純粋なお付き合いというのは実は初めての経験だった。


「風見さんココ! ココ行きましょう!」
「トロピカルランド……」


乗り気じゃないことがひと目でわかる引きつった顔。悩ましいほどに目が泳いでいるが、口はどう答えればいいのか言葉を探している。騒がしいの嫌いそうだものね。邪気の欠片も見当たらない笑顔がさらに相手の心情を追い詰めているのを知ってか、シエは念押しするように笑みを深める。


「男女のデートと言ったら遊園地がテッパンです!」
「そ、そうなのか?」


そうなのかなあ、と疑問に思ったのはどちらの本心だったのか。内心で半信半疑なのは彼女も一緒なのに、首は大きく縦に振られる。若い男女の一般的な付き合いなど他人のまた聞きくらいでしか知りようがない。それでもシエは目一杯楽しもうと心に決めていた。そして、相手をわざと振り回そうとも画策している。

風見裕也と名乗った男の心の内を意図的に探ったことは一度もない。けれど勝手に流れ込んで来る表面的なそれは止められるものではなく、彼女は知る気もなかった彼の本音を真っ正面から聞く形になってしまった。

彼はシエを利用して何かを調べたいらしい。

あまりにもナイスタイミングで話しかけてきたことといい、“以前から気になっていた”などという見え透いた嘘をつくことといい。彼はあまり他人を騙すことが得意ではないらしい。それどころか勝手に流れ込んでくる感情の機微は彼の生真面目な性格を明確に示している。つまり彼はとても善良な人間なのだ。


「私、風見さんのこと好きですよ」


シエは思ったことをそのまま目の前の男に告げる。途端に神経質そうな顔に朱が差し、持っていたコーヒーカップを乱暴に置いた。こういうところを見ると本当に自分が好きなのでは、と普通の女性なら錯覚しそうになるだろう。


「なにを、突然、」
「風見さん、カッコイイから」


勘違いしてはいけない。忘れてはいけない。彼は生真面目でごく日本人的な思考の持ち主である。そして恐らく、女性慣れはしていない。そんな人間が面と向かって(便宜上とはいえ)彼女に好意を示されれば照れるのは道理だろう。これが見知らぬ通行人の女に言われた言葉なら怪訝そうに眉をしかめるだけで済んだはず。そんなことは百も承知だった。

彼が穂波シエというどこにでもいる普通の女子大生を使って何を知りたいのか。どう利用してやろうと考えているのか。シエは何も探らない。協力も邪魔もしない。その代わりに体験したことのない普通の交際というものを彼に教えてもらうのだ。イーブンな関係ならば文句はないだろう。勝手にそう納得して彼女は現実の夢に浸る。


「だからたくさんの人に見せびらかしたいんですよねー」


すかさず、トロピカルランドのパンフレットを再び掲げる。今度は呆れたようなため息と共に頷く彼。シエの中で可愛らしいという印象が新たにプラスされた。

そうして訪れたトロピカルランドは地味に視線を感じるデートだった。

人ごみに紛れて7m背後に二人。10m右前方に二人。16m左前方のテラス席に一人。平日で空いている方とはいえ来場者数はそれなりの数。これくらいなら堂々と紛れ込めるとでも思ったのだろう。一様に警戒の視線をシエに向けている。何がそんなに気になるのだろうか。こちらに疚しいことなど何もないというのに。自分が手を貸している組織が驚きの真っ黒さであることを忘れて彼女は不思議に思った。


「(メートルじゃなくてヤード換算出来たほうがいいかな)」


などとどうでもいいことを考えながらも、彼女の左手は風見の手持ち無沙汰な右手を瞬時に捕らえていた。


「!?」
「意外と人、多いですねー」
「そ、そうだな!」


声が裏返ってる。本当に慣れていないんだ。一度握った手のひらを解いて指を絡めるようにまた繋ぎ直す。絶妙な加減で皮膚を擦り合わせると相手の指が僅かに震えた。一瞬だけ触れた人差し指の固い皮膚。手のひらにも何度も豆を潰したような痕がある、ゴツくて男らしい手。


「風見さんの手って大きくて固いですね。何かスポーツでもやってるんですか?」
「あ、ああ。空手と柔道を嗜む程度には」
「そうなんだ! カッコイイー!」
「いや、褒められるようなことでは」
「謙遜しないでくださいよー。私、格闘技出来る人って本当に憧れちゃいます」


軽く力を込めて繋いだ手から風見を引っ張る。されるがままに彼女に着いていく彼は、見事なムッツリ顔を晒していた。それが照れ隠しだということももちろん分かっている。もしも彼がただの友達だったなら、微笑ましい気持ちで十分だったのに。

もう一度力を込めた手はスポーツマンの手じゃない。正真正銘、間違いなく、拳銃を持つ人間の手だ。それだけでも彼が普通の人間ではないことを明らかにしている。

彼は一体どんな人で、何をしていて、どうしたらその目的は達成されるのだろう。探らないとは決めたものの、気になることは止められない。さながら出されたなぞなぞの答えを考えることなく答え合わせを待つような。惰性を含んだ楽しい好奇心。普通の友人関係では味わえないちょっとしたスリルを感じながら、風見裕也と穂波シエのお付き合いは安穏と過ぎ去っていく。

← back
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -