お嬢様主が合宿に行く



(これの続き)


遠月に入学してから約一ケ月。願ってもないことに、私はずっと一人のままを維持し続けていた。お友達いりません宣言から私に話しかける人間はほぼおらず、いても我が家とのコネ目当ての人間くらい。それですら最近は耳に届かない。私は悠々自適な一人生活を満喫していた。以前いた学校では上流階級特有の人脈作りであくせくさせられたからか余計に楽しくて仕方ない。この学校にも同じ上流階級の子息はいるけれど、実力が物を言うこの場所で人脈作りを優先する学生はいない。つまり、私に構う人間なんていない。

なんて素晴らしいところだろう。さすがあの御方のお治めになる国だ。

最低限の荷物を詰めたスーツケースの中身を確認する。最後に入れるのは合宿のしおり。『友情とふれあい』の煽り文句がひどく滑稽だった。友情を築く気もないし、私に興味を持つ人もいない。どちらも私には関係のないことだな、と。


「君が何を考えているのか僕には分からない」
「はあ……」


上機嫌で行きのバスに乗ったところで通路を挟んで隣の席から声がかかった。そういえばこの子がいたな。耳にはめようとしたイヤフォンを膝に置いてポーズだけ相手の話に耳を傾ける。

綺麗な金髪に綺麗な碧眼。以前、たまたま実技で同じ班になったタクミ・アルディーニ君。絵本の王子さまのようなキラキラしたお顔なのに、怖いくらいにギラギラした目をもう一人の転入生に向けていた。そして何故だか、似たような目を私に向けてくる。ギラギラっていうか、ユラユラっていうか。感覚の話だから説明するのは難しいけれど、とにかくあまりいい気はしない。


「何故、わたくしを分かろうとするのですか?」


作り笑いを保ったまま、一つ釘でも刺しておこうと口を開く。


「所詮他人事でしょう。本気で相手を理解したいと思うほどわたくしに興味もないくせに、よくそんな軽口がほざけますわね」
「ほ、ほざっ!?」
「ご安心ください。わたくしもアルディーニ君に興味はありませんから。どうぞ、放っておいてくださいな」


彼は良くも悪くも熱心でまっすぐな子だ。一度同じ班になったというだけで厭わしいほど向けられ始めた視線。それは複雑怪奇なものだった。嫌悪や嫉妬や侮蔑では言い表せない、何か思いつめたような色。もしや、転入生というだけで幸平君と同列に扱われているのではないだろうか。幸平君に並々ならぬ敵対心を抱いていることは何となく把握していたものの、まさか私にも似たようなものを持つなんて。


「ごめんね名字さん。兄ちゃん、素直じゃないだけだから」
「いいえ、そちらのアルディーニ君が謝る必要はありませんわ」


タクミ・アルディーニ君の奥からイサミ・アルディーニ君の巨体が覗く。さっきからオロオロと私たちのやり取りを見守っていたのは視界の端で捉えていた。彼には不快な思いをさせられていないのでとりあえず否定しておく。どころか、タクミ・アルディーニ君ですら謝る必要なんてない。だってこれは私が一人になりたいがために釘を刺しているだけなのだから。傷ついているのは向こうで、それにどうこう言うつもりも毛頭ない。

それにしても素直じゃない、とはどういう意味なんだろう。素直に嫌悪感を表せない、ということなら確かに素直じゃないと言えるかもしれない。面と向かって嫌いだと言われたところで無視をするだけだけれど。


「それでは、ご機嫌よう」


動き出したバス。今さら席を移動するわけにもいかず、私は大音量でお気に入りのJポップを聴き始めた。



***



幸いと言うべきか、私に割り当てられた課題は一人でこなすものばかりだった。一日目は四宮シェフ。二日目は梧桐田シェフ。今日は水原シェフ。どれもレシピ通りに作るものだったり、お題に沿って一皿仕上げるものだったりと予想よりも簡単なものだった。他のシェフのところだとペアで取り組むものもあるらしく、私にとってはそちらの方が難易度が高そうだ。料理の内容より、ペアと意思疎通を取る方が精神的にしんどい。


「名字名前、だったか?」


食事と入浴を済ませた後、アナウンスの指示通りホテルのエントランスへ向かっている途中で四宮シェフに声をかけられた。妙に馴れ馴れしいというか、上から目線というか。あまり心地の良いものではない態度で一瞬無視をしたくなった。


「わたくしに何か御用でしょうか?」
「ちょっとした意思確認だ。……聞いてたぜ、名字家の偏食お嬢様の噂。何せ俺にもお誘いがあったくらいだからな」
「お誘い、ですか?」
「ああ、お前の遊び相手だ」


その一言である程度理解できた。そして眉間に寄りかけたシワを正すのにも苦労した。

自分の舌がとんでもない馬鹿だと誤解していた時。あの御方に出会う前の荒んだ幼少期に、父はどうにか私の偏食を治そうといろんな料理人に声をかけたものだ。その結果集められたのは世界各国の、三流から一流まで様々な料理人たち。何故一流だけを呼ばなかったのかと言うと、父にとって料理界は未知の世界であり、誰がどうすごいなんて分からない十把一絡げの職業だったからだ。

だから、たった一人の小娘のために遠月の一席を守っていた男を呼ぼうだなんて、無謀で厚顔無恥なことができたんだ。


「ここにいるってことは少なくとも偏食は治ったってことだよな?」


ニヤッとニヒルに笑う四宮シェフは底意地が悪い。よほど当時のことが腹に据えかねているのか。金持ちの道楽に声をかけられたこと自体癇に障ったのか。プライドが死ぬほど高そうだからありえそうだ。確かに大変失礼なことをしたのはこちらだが、数年前のお父様の無知を私に八つ当たりされたって困る。私の方が腹に据えかねた。

ビリビリと。


「不思議なことをおっしゃいますね。わたくしがまだ異常だったなら、わたくしを合格にした四宮シェフもプルスポール勲章はまぐれだった、ということになりますわ」


今まで最低限被っていた猫の皮が破けるくらいには。


「あなたはとても偉大な料理人です。もっとご自身の実力を信じてください」


みんながみんな遠月の一席に憧れてるなんて自惚れるな。私はあなたなんか眼中にない。自分のために料理するんだ。


「ハッ、馬鹿舌がとんだ毒舌になったもんだ。まあ、か弱いお姫様よりはよっぽどマシか……だがな」


グイッと大きな手が私の顔を掴んだ。固い皮膚、そのくせ爪先まで手入れされた繊細な指。レギュムの魔術師の名に恥じない料理を生み出す魔法の手が、私の頬に食い込む。至近距離で眼鏡越しの鋭い目を見て、ゾクゾクとした何かが体を駆け回った。


「テッペン獲る気概もないガキが、全部分かった顔で腐ってんじゃねーよ」


知ってる。これは恐怖じゃない。畏怖、というほどのヤバさもない。けれど、あの時、あの御方に『玉』になれと言われた瞬間の、底知れない、果てなき荒野に放り出されて、遠く見えない地平線を指差された時のような。

あの御方の途方もない野望を聞かされて、私はとっさに首を振った。そんな大それたモノにはなれない。私は自分がどれほど取るに足らない人間か知っている。自分の舌の敏感さも知らない内で、ただ思ったのは普通の食事がしたいということだった。三ツ星シェフだとか遠月一席の料理だとかじゃなく、毎日普通に食べられる料理が欲しい。けれど自分の舌を理解していくにつれ、それが絶対にありえない話だということを嫌でも理解した。誰かの料理に依存して生きていく。そんな、いつなくなるかも分からないものに縋って生きていくなんて、不安定な人生は嫌だ。そんな、自分の食事にすら不安がある環境で、玉になるために研鑽する余裕なんてない。

何度目かの接触で、私は恥知らずにもあの御方に弱音を吐いた。『自分のこともままならないのに、誰かと競うなんてできるわけがない』あの御方は、ただ優しく私の頭を撫でてくださった。


『無理に競わずとも良い。己の糧のため、己の食を極めるのもまた料理の本質だ』

「遠月にいる時点で競うことからは逃げられない。いつまでも甘えられると思うな」


あの御方の御言葉にこの男の雑音が混じる。ああ、それはなんて、


「離せセクハラ野郎」


なんて、冒涜的なことだろう。


「生憎、お前に手ぇ出すほど飢えてはない。やっと本性現したな、猫かぶりお嬢様」
「叫んで差し上げましょうか、お得意の猫かぶりでいつでもか弱いお嬢様になれるんだから」
「おいおい、騒いだところでここの責任者は俺の先輩だぜ」
「堂島シェフならあなたの人となりもご存知でしょう」
「待て、俺のことをどんなロリコン野郎だと思ってんだ」
「あら意外。ご自身の性癖をちゃんと理解できてないんですね」
「性悪猫女」
「ロリコン暴力眼鏡」


息が整わない。自分が何を言っているのかも分からない。真っ赤になった視界で、何故自分が目の前の男を殴っていないのかも分からない。無駄に磨かれまくった眼鏡をありったけの力で睨みつける。それでも相手が猫に威嚇された程度にしか思っていないことが簡単に分かった。


「そこまで嫌われると、逆に面白くなってくるな」
「ロリコン暴力ドM眼鏡」
「うるせえ性悪毒舌猫女」


捕まれていた頬を乱暴に離されて、よろめいたところで四宮シェフが鼻で笑う。いや、コイツにシェフとつけるのも敬っているみたいで心底虫唾が走る。ロリコンドM眼鏡で十分だ。むしろ眼鏡に申し訳なくなる呼び名でコイツにはもったいない。


「俺の鼻を明かしたかったら、せめて一席の座くらい獲ってから挑戦するんだな。まあ、俺は天才だからそれだけでも足りねえと思うが」


誰がお前の言うことを聞くものか。


「おっと、そろそろ集合時間に遅れるぜ。俺は堂島さんに遅刻の言い訳はしてやらないからな」
「死ね」
「不良かお前は」
「お前がな」
「あ?」


もう会いたくない相手だ。視線をできるだけ外して廊下を早歩きで突き進む。背後のアイツが早く裏に引っ込むコトを心底願いながら、私は歪みまくった表情を元に戻すことに必死だった。



***



別にアイツの何が気に入ったとか言うわけじゃない。ただ今回の合宿中で一番ルセットの完成度が高かったのがアイツだっただけだ。あの薙切えりなが俺の受け持ちの試験に参加していなかったからかと思ったが、それにしたってまったくの違和感なく俺の舌を満足させたのが頭の片隅にこびりついた。そして気まぐれに名前を見れば、思い当たる記憶があった。名字家。俺がフランスでレギュムの魔術師の名を得たばかりの頃に来た無遠慮な依頼。『偏食なお嬢様のために献立を作って料理を提供してほしい』そんなものは日本の適当な栄養士や料理人を頼れば良い。何故この忙しい時期に俺を呼ぶ。金持ちのワガママかと思うとプロとしてのプライドが傷つけられたような嫌な気分になった。その偏食お嬢様が遠月に入ってこの合宿に参加している。そして俺から合格をもぎ取った。スランプ中とはいえ、まぐれで俺が合格をやるわけがない。ましてやこんなにも自分が作ったような味に近い満足感を得られるなんて、おかしいにもほどがある。幸平との勝負で高ぶった気分のまま、俺は廊下を歩いていた名字名前を呼び止めた。名字名前は予想外の女だった。なんだあの性悪。どこが大財閥のお嬢様だ。そこらの庶民の女よりガラが悪いじゃねえか。さんざん罵倒されたが、不思議と不快感より好奇心の方が強く感じた。『ロリコンドM眼鏡』は流石に聞き逃せなかったが。

あれだけ発破かければ少しは本気を出すだろう。自然と歪んだ口元に、俺はしばらく自分でも気づかなかった。


「残念だったな四宮。お前のお気に入り、狙ったかのように下から二番目で通過したぞ」
「あのガキ……」


それも、次の日には大きく裏切られたわけだが。


「幸平も最後に滑り込み通過。お前が見込んだヤツはどいつもこいつも崖っぷちだな。意外とスリルを求めるタチだったのか?」
「違うに決まってるだろ! オレじゃなくてアイツらの実力だ!」
「そうか図星か」
「アンタ黙ってくれ!」


期待した俺が恥ずかしいヤツじゃねえか!

モニター内で何食わぬ顔で後片付けをするアイツを睨みつける。今度会ったらタダじゃおかねえ。堂島さんのうざったい軽口にうんざりしながら、会った時にどんな嫌味を言ってやろうか頭を巡らせた。覚えてろよ名字名前。



***



「ふぇッ」


悔しい、でも感じちゃう……ッ! じゃねーわ。

なにこれ。思わず口から生まれたての子猫みたいな声が出た。顔が崩れる。目が蕩けそうなほど涙が浮かんだ。悲しいわけじゃないのに、胸を掻き毟りたくなるくらいに居た堪れない。ダメ、口を閉じなきゃせっかくの風味が逃げちゃう。はう、はあ、無理。なにこれ、舌が喜びでうまく機能してくれない。歯がシュレッダー並みに全自動で動いている。はぁ、食事ってこんなに幸せなんだ。食べ物ってこんなに快感を感じるんだ。噛みしめた野菜が、お魚が、お肉が、果肉が、全部が生きてる。一寸のズレも誤りもなく脳幹まで一直線に『美味』の二文字を教えてくれる。ナイフとフォークを持つ手が震えた。この感覚は得難い幸福だ。幸せ。このために生きてるって言っても過言じゃない。

合宿最終日の最後の最後でやってきた幸せの時間。このルセットを考えたのがあのロリコンドMセクハラ眼鏡ヤンキーとか……くっ、殺せッ! いや、やっぱなし! 今だけは目の前の皿に集中するの。いい。分かった。私は目の前の皿の奴隷なの。邪念は取っ払う。集中……集中……はにゃ……おいひい……しゅごいい…………。


「兄ちゃん、ソースこぼしてるよ」
「あんな顔もできるのか……」
「兄ちゃん、名字さんのこと諦めてなかったの?」
「!? な、なん、ななんの話だッ!?」
「バレバレだよ兄ちゃん……」


企画へのご参加ありがとうございます! そして更新が大変、大変遅くなってしまい、すいませんでした! 『お嬢様主が合宿に行く』というリクエストでしたが、合宿中のお話を全部詰め込んだためにとても長ったらしいお話になってしまいました。重ね重ね申し訳なく…! 四宮さんとタクミくんに甘噛みするお嬢様主でした。楽しんでいただけたなら嬉しいです。リクエストありがとうございました!

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