その16


名前は非術師の一般家庭の生まれだが、物心をついたときにはその辺にふよふよと浮かぶ蠅頭が見えるようになった。「あれはなに?」純粋な興味心からそう問う度に、何も見えない両親はきまって気味が悪いと冷たい目で名前の事を見下ろした。
それから自然と口を開く数は減っていった。


そしてとある冬の日、名前は捨てられた。


正直なところ、両親がどんな人間だったかも、どんな顔をしていたかも覚えていない。最後になんと言われたかさえも覚えていない。何も言い残されず、その場に置いていかれたのかもしれない。

名前は一人、鬱蒼と多い茂る森の中で膝を抱えていた。時折吹く、冬独特の風が名前の体の熱を奪っていく。あぁ、きっとこのまま自分はここで死んでいくのだろう。最期というわりに何も思い浮かばなかった。喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、恨みも何一つ。
ザアァッと音を立てて木々が大きく揺れたその時、微かに鈴の音が聞こえた。チリン、チリンチリン。今度はハッキリと聞こえてきたその音に、名前は顔を上げて当たりを見渡す。右へ左へと視線を向け、正面へと戻ってきた時に先程まではいなかったはずの黒猫の姿をとらえた。三又に分かれた尻尾をピンと立てたまま、黒猫は地面の土をゆっくり踏みしめ、こちらへと向かってくる。よく見ればその背後には同じような二又に尻尾が分かれた猫や魑魅魍魎がおり、どうやらこの三又の黒猫が従えているらしかった。

《小僧、こんな所で何をしている》

黒猫は言葉を発した。しかし名前は特別驚く様子もなく淡々と「なにも」とだけ述べ、また口を閉じた。俊敏な動きで名前のすぐ側までやってきた黒猫は、その赤い瞳でじっとこちらを見詰めてくる。

《…着いて来い》

漆黒に染った尻尾をゆらゆらと揺らしながら黒猫は横を通り過ぎて行く。名前は少々悩んだ末に、その後を追うことに決めた。どうせ死ぬに変わりは無いのなら、ちょっとぐらいお遊びに付き合ってみるのも悪くない、そう考えた。
ザクザクと枯葉の混じった地を一歩一歩進んでいく。気づけば従えていたあの呪霊達も居なくなっていた。それから20分、否、30分程だったかもしれない。黒猫の後を追って進み続けていた先に現れたのは廃寺だった。後ろを振り返ることなく、黒猫がひょいひょいと苔まみれの石段を登っていくので、名前も慌ててその後に続いた。

朽ちた板の隙間から入り込む冬風を少々感じながら名前は丸まっている黒猫の隣でまた膝を抱える。ふわふわの尻尾が腕を掠める度に擽ったい。結局この黒猫が何をしたいのか、理解ができなかった。

「なんでここにつれてきたの」

名前の問いに黒猫は尻尾を揺らすだけで、何も答えない。

「おまえもずっとここにひとりでいたの」

黒猫の耳がピクリと動き、赤い瞳がこちらを見上げた。名前は恐る恐る黒猫の頭の上へ手を伸ばすと、ゆっくりと動かした。

「いつからここにいるの」
《…もうずっと昔の事だ、覚えとらん》

ぶっきらぼうな言葉とは裏腹に赤い瞳が気持ちよさそうに細まる。両手で黒猫を持ち上げ今度は名前がじっとその目を見詰めた。

「じゃあ、ぼくがいきてるあいだはいっしょにいよう」

名前はそう言って、黒猫の鼻の頭へ唇を寄せた。





突然の幼少期の話。猫ちゃんにチューするのが鍵(多分)てかこれだけ長生きしてたら最早猫仙人とか猫神なのでは?というのは気にしない。



prev- return -next



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -