※エンパベースのおはなしなので、色々設定がフリーダムです。

かぽかと秋の日差しはまだ微かに夏のにおいを残し、けれど汗ばむ鎧の内側を隙間からひやりとした冬の気配を感じさせる風が心地よくとおり抜けてゆく。絶好の日和だなあと思いながら、双剣をふるい相手の槍の柄を断ち切れば、熱をおびていた眼差しが恐怖で揺れたので「死にたくないなら、さっさと失せた方が賢明ですよ」と言えば踵を返して脱兎のごとく林の方へ逃げ去っていった。周囲に伏せている、逃げなかった末路を踏まないように気をつけながら歩んでまわりに敵の気配がないことを確認してから、振り返る。

「ええと、今みたいに得物が使えなくなった場合はまず逃げるか、できるなら素早く周囲を見渡して落ちている使えそうなものを拾うことです」

わたしの言葉に緊張感が未だ拭えない様子の彼らは、はいっと威勢のいい声をあげる。うん、返事がいいのはいいことだ。今日のお仕事は、新兵の教練。いろんな人たちが思い思いこの国をどうにか統一しようと躍起になっている今の時代は戦に事欠かないので、わたしは近隣の国境で小さな戦があると聞いてちょうどいいとばかりに初々しい彼らを連れて片隅をちょろちょろしていた。実戦が大切とはいえ、最初からあんまり大きな戦では戦死してしまう可能性の方が高いからだ。なにかを育てるというのには向いてないんだけどなあ…と自分の性分を思いながらも、金払いがいいので仕方ない。

「あと、明らかに自分じゃ敵わないと思ったら逃げてください。逃げるのもひとつの戦です。恥ずかしいことじゃありませんから、他に自分のできることを探しましょう」
「あの……」

はずれの辺りをうろうろしているので、今のところ被害は零だ。優秀だ。そんな彼らのひとりからおずおずと手が上がる。

「名前殿はずっと在野の将として数々の戦場に出ているのですよね、どこかに仕えたりはしないのですか?」
「あー…、それねー…」

うー…んと小首を傾げれば、他の人も気になっていたらしく好奇の視線が注がれる。まあ、確かに女でこんな風に在野でふらふらしていれば、気にもなるか。

「あんまり人に仕えたりとかさ、あと集団行動とか苦手なんだよね。こうやっているのが一番気楽でいいから、かなあ…」

我ながらいい加減だと言ってる途中で思ったので、これは参考にしないでねと付け足しておくとやっぱりいい返事が戻ってきた。今回の新兵さんたちは聞き分けのいい人たちで、本当に助かるなあ。たまに血気盛んな侠の気が強い人とかいると、突っ走りたがって面倒くさいから。勝手にひとりで死ぬのは構わないけれど、一応教練する身として兵を預かっている立場的にはそういうのは困るので。ふう、とひとつ息を吐いて。じゃあ、次はもう少し真っ只中に突っ込んでみましょうか、と微かに聞こえてくる喧騒の方に歩みを進めた。

「ええいっ、また貴様か…ッ!」
「あ、はい、こんにちはーさようならー」
「……名前殿、」
「んー?」
「今日何回目というか、何人目ですか…」
「いやー、分かんないなあ。っていうか、わたしさっきの人初対面だと思ってたんだけど、みんなよく覚えてるよね」
「…………はあ(普通覚えると思いますけど)」

流石に衝突の激しいところにいくと武将さんたちがうろうろしていて、おかげで両軍構わずなんだかさっきからよく突っかかってこられるんだけど、今日はそんなに相手をしている暇はないので無視しているとうしろで新兵さんたちがなんとも言い難い表情をしていた。どうしたんだろう。お腹でもくだしたのかな。

「あ、でもちょっとさっきの教訓実践してみましょうか。ほら、あそこの毬栗みたいな髭のすごい人とか、絶対あの蛇矛で得物ごと真っ二つにされるよ」
「やめてください!!張飛ですよあれっ!!!」
「そうそう、張飛殿。わたしも前刃を合わせた時はすんごいごり押しの力強くて大変だったよー」
「分かってるなら、もう少し人間じみた相手に…」
「あ、見つかった」
「え!?」
「あはは、冗談ですよー」
「…………名前殿…!!」

みんな青ざめていたので、こそこそ張飛殿のいる辺りから遠ざかるように迂回して進んでゆく。あの人うるさいし力強いし体力あるしで、わたしとしても新兵さんたちを連れて挑むような相手ではないので見つからなくてよかったよかった。

「それにしても、もう少し人間じみた相手って…………あ、」

きょろりきょろり、周囲を見回しながら歩いているとちょうど道の先にある角から出てきた人とばっちり睛が合う。のも束の間、その顔が一瞬ですごく嫌そうな表情に変わった。

「…………」
「あー…こんにちはー…」
「……はあ、また来たのか」

はい、溜息いただきましたー。しあわせ逃げるから溜息吐くのはやめた方がいいと思うんだけどなあ。これだけ億劫そうな、根暗な溜息を吐かれることもあまりないので(大体みんな野良犬でも追い払う感じの人が多い。しっし!って。あれも酷い)幸薄そうだなあという第一印象とおりに、なんとなくわたしにしては珍しくこの人の顔は覚えていた。名前は知らないけど。

「まあまあ、今日は新兵さんたちの教練しにちょっとうろうろしているだけですから、お気になさらず」
「ああ……そうだね、前回はきみの破壊工作のおかげで、その前は陽動のおかげでこっちは酷い損害を受けたからね…」
「あ、ははは……よく覚えてますね…」

じとりと暗い色の宿る視線に乾いた笑いがこぼれる。うしろからも新兵さんたちの眼差しがちょっと痛い。分かってる、きみたち絶対そりゃそんなことやられたら覚えてるでしょって言いたいんだろ!うん、わたしもあの陽動戦線はやりすぎたなあ…とは思ってた。

「はあ……きみを見ると気が重いよ…」
「あー…(あ、またしあわせ逃げてった)じゃあ、わたしたちはこれで失礼しますねー…」

そんなに嫌ならはやく退散するのが相手のためでもあるだろうと思い、踵を返そうとする背に「悪いが」静かなのにぞわっと背筋を嫌なものが駆け上がるような声音が刺さってかたまる。あああ、痛い。痛い痛い!殺気が痛い!新兵さんたちの中からもあてられたのか「ひっ」という怯えた声がする。

「これ以上あまり好き勝手にされるのも困るんだ……この意味、分かるだろう?」

分かりたくないです!柔和な優男風なのに、このどろどろじめじめ暗い感じがわたしは苦手なので、正直あんまり関わりたくない。困った。ひとりなら逃げ切れる自信はあるけれど、新兵さん連れて逃げるには………この人見かけと違って怖いくらい足速いからなあ。どうしようと悩んでいると、彼がダッと地を蹴る。あ、まずい。急いで剣を構えたところに重い一撃。振動が腕に伝わってきた瞬間に、受け流すように弾く。ガキィッっと白刃のぶつかり合う音が響いたのを耳にしながら、うしろに引いて距離を取って対峙する。

「……あっぶな、急にはやめてくださいよー」
「戦場で考え事をしている方が、悪いんじゃないかな」
「まあ、それもそうですけど」

見逃してくれないかなあ…とつい思うも、そんな気配は微塵もない。たぶん、言ってもやんわり棘のある言い方でばっさり断られるのだろう。仕方がない。

「新兵さんたち!今のうちに戦場を脱出してください」

わたしの今日のお仕事は違うのだ。最優先すべきは新兵さんたちの命。なので、お腹の中から声を出して言えば新兵さんたちは空気にのまれていたのだろう、我に返った様子でわたしを見た。

「し、しかしっ…名前殿は、」
「わたしのことなら全然大丈夫なんで。ほら、言ったじゃないですか。逃げるのも実践ですよ!戦場では武功より名声より、まずいかに生き残るかです」

滅多にないわたしのまじめな声に、一瞬言葉に詰まった様子のあと「名前殿も、守ってくださいね!」そう言って彼らはもと来た道の方に駆けて行った。わたしはじりじり距離を取りながら警戒を解かずにずっと彼を見ていたけれど、視界の隅にそのうしろ姿がうつってつい笑ってしまった。顔が、にやけてしまう。

「ええっと……なにを笑っているのかな」
「いやあ、本当に今日の新兵さんたちはいい人ばっかりだなあ…と思いまして」
「ああ、部下のために命をはるなんて、きみも上官の鏡だね」
「褒めたってなにもでませんよー」

軽口を叩きながらも、お互いに隙を狙っているのは分かりきったことだった。「だけど…」彼がすっと睛を細める。

「きみがそれを守れるとは……思わない方がいい」

ぞくぞくと、肌が粟立って心臓の音がうるさいのは恐怖か高揚か。たぶん、どちらもなのだろう。怖いなあ。ここまで根に持つなんて、本当に根暗だ。鬱々とした黒い靄にでも絡め取られそうな気分になりながらも、わたしは笑った。

「すみませんが、思いますよ」

にっこり笑って言ってやった。

「わたしが彼らに言ったんです、そのわたしが守らないでどうするんですか」

静かに、けれど確実に射殺しそうな程だった彼の双眸が一瞬見開かれる。なににそうなったのかは、わたしには分からないことだったけれど、次に細められた時にはなんとなくほんのすこしだけ微笑んでいるようにうつった。

「悪いが、俺もきみの実力は知っているからね……手加減はできないよ」
「あはは、それは残念です」

笑って、わたしは地を蹴るために足に力を込めた。



結論から言うと、わたしにとっては別に勝つことも負けること、彼と刃を交わすことすら無意味だったので、逃げた。そりゃもう脱兎の如く。
話をしている最中なによりわたしが気をつけたのは、時間をかせぐことと、彼との距離だったからだ。逃げられる、距離。それだけを密かに図っていたおかげで逃げきれた。なんか「待ってくれ!」とかうしろから聞こえた気がしたけど、完全に無視して華麗に走り去ってやった。あとは彼の敵対する軍の方に紛れてしまえばこちらのもの。わたしは戦場を脱して、無事に新兵さんたちと感動の再会を果たしたのであった。おわり。なんてしあわせな結末!
いやあ、これで当分彼とも顔を合わすことはないだろう。そう思いながら、報酬を受け取ったら最初聞いていたのよりも少なくてついつい、え?なんですかこれ?と問い詰めたらちょっと財政が苦しいらしい。だからって、報酬ケチるなよ…!とぼやいてしまいつつも仕方がないので、それから暫く経ったある日わたしはお仕事を探して近隣の戦場をふらふらしていた。するとちょうどよく大きな戦があったようで、撤退しているところに鉢合わせた。しかも追撃されている。これは、やっぱり負けた方に加勢するべきだよなあ…恩を売った方が報酬はずんでくれそうだしと、守銭奴魂で首をつっこんだら案の定援護を頼まれた。やった。だけど、わたしはそれを後悔することになるなんて、その時は知る由もなかった。
何人かの武将さんが囲まれているのを無事に救援し終え、そろそろわたしも撤退するのが賢明かなとさすがに疲れたので、どうにか脱出するための経路を考えていると馬の蹄の音がして見た瞬間かたまってしまった。凍結の方が正しいかもしれなかった。

「あ……」
「きみは……、」

それは相手も同じだったらしく、驚いた様子で、けれどこちらに近付いてくる。いいよ来なくて!と思うも伝わってくれなかった。さすがに、馬から逃げる体力は、もうないです。つい溜息をひとつ。あ、しあわせ逃がしちゃったと思うももう遅い。ちょっと明後日の方向を見つつだれそうになった身体にしゃきっと鞭を入れて、きちんと剣を握り直す。次第にゆっくりと大きくなっていた蹄の音が、すこし離れたところで止まる。そうして彼は綺麗な動作で灰白色の馬から降りた。よかった、ただでさえ彼は背の高い方なのに馬に乗ってる状態で会話とか、余計に首が痛くなりそうで嫌だったんだと思いながら近くなった距離で見上げる。

「きみは在野の将だろう?こんな戦にまで首を突っ込むなんて、相変わらず解せないな」

第一声がそれですか…。余計なお世話です。解せなくて結構です。と思いながら、

「あはは……いやあ、まさかあなたのとこの軍だったとは……気付きませんでした」

睛をそらして、つい頭をかきながら応える。気付け馬鹿!と心の中で罵る。そういえば、思い返してみたらなんだか見たことある人がいるような気がしていたんだ。人の顔と名前が中々覚えられないって、あんまり困ったことなかったけどまさかこんな落とし穴が待ち受けていようとは。今度からもう少し気をつけよう。そう自分のあほさ加減を反省していると、頭上から「ははっ…」という笑い声が降ってきた。え?なに今の。笑い声?笑った?

「なんというか、きみは本当にいつも俺の想像を超えてくれるな…」

続けられた声に、違和感を抱く。なんだろう、なんか、じめじめしてない。棘もない気がする。いつもの低く地を這うような暗い声じゃなくて、なんか、ちょっと、明るい?こんな声、はじめて聞いた。え???ぱちぱち瞬きをしてから、おもむろに彼を見上げると見たこともないやさしい睛と、合った。

「きみと会えるのを楽しみにしていたよ……自分でも不思議なくらいにね」

そして彼は、見たこともないやわらかな微笑みを浮かべて、その声のまま、そう言った。

「…………え、」

さっき溶けたと思ったのに、二度目の凍結状態。え?????なにそれ、なに、なんなんですかそれ。会う度に心底嫌そうにじめじめどろどろ負の空気を漂わせて、なんかもう絶対零度の瞳で人のこと見て、やな感じの静かに地獄の底にでも引きずり込んできそうな殺気で斬りかかってきていた彼は、どこいった?っていうか、わたしそんなのしか知らなかったのに、なんだこれ?本当にこの人本物だろうか?なんか狐狸の類が化けたか変なもの食べたんじゃ…!っていうか、ほんと、なにそれ、なにこれ。なんか、やばい。これは、やばいぞ。駄目だ、わたし………………ちょう怖い!!!!
うわああああ、これなら普通にあのじめじめっとした感じに嫌われてる方がマシだったよ!!怖いよ!!わたしのこと心底嫌ってるくせに、そ、そんな笑顔とか、なにそれちょう怖い!!!!ああああああ、鳥肌立ったさぶいぼさぶいぼ!!これは、あれだろ!?こうやって油断させておいてざっくりいく罠なんだろ!?やだそれ怖い!!
たぶん外見はぽかーんとあほ面晒していたんだろうけれど、内心ではひどく動転してぎゃあぎゃあ叫んで、なんだかもうなにがなんだか分からなくなっていたわたしの耳は、だけど戦場に居るだけあってまた聞こえてきた蹄の音にハッと我に返る。今度は一騎じゃない、もっと大勢の、きっと彼の軍だろう。彼もその音に気付いたのか、ふっとうしろを振り返った。その時わたしは、あ、と思った。今しかない、と思った。


高い天は紅色に染まって、雲の縁も淡い水紅色がうつくしい夕焼けをゆらゆら揺れる視界にうつしながら、肌寒くなってきたなあと思った。馬上は遮るものがないから余計だった。ぱっかぱっかと、ゆっくり道を歩む灰白色の毛並みに視線を落とす。綺麗な色だ。素直な感想を抱いたあと、じゃなくて!とつっこむ。
どうしよう、馬泥棒してしまった。あの一瞬の隙をついて彼から馬を奪って逃げてしまった。い、いやあ、でも戦場だし。殺るか殺られるかの場所だし………いいよね☆えへっと舌を出す気分も、けれど直ぐに鉛を胃の中に押し込んだような重さにへこむ。今まで色々、それは確かに綺麗なことばかりじゃ生きてこれなかったけれど、泥棒だけはすまいと操を守るように頑なにそこだけ清く生きてきたのに。でも、正直あの場から逃げるにはやっぱりこれしかなかったしと、なんとか自分を正当化して、深呼吸。よし。この馬はそのうち機会があったら返そう。できたらこっそり。だ、だって、できるだけ、もう、会いたくない。怖い。とりあえず、当分はこの地を離れてどこか遠いところを転々としておこう。決心して、すべらかな首筋を撫でる。

「馬さん、そんな長い間にはならないと思うけど、よろしく」

っていうか、きみ全然わたしのこと嫌がらずに乗せてくれて、ありがとうだけど、それでいいのか…?とは思ったけど言わずになでなで。きみのご主人は、怖くてやだけど、きみはいい子そうでよかったよ。そこまでで、でも、と思う。

「あの笑顔は、ちょっと可愛かった……気がしないでもなかったなあ」

やっぱりもとが整った顔立ちの人だからかな、と言えば彼のものであった馬はぶるっと首を振るわせた。




- ナノ -