別の地域に行ってもわたしのやることはたいして変わりはなかったので、相変わらず戦があれば首をつっこんでたまに勧誘されたりもしながら、日々の小銭を稼ぎつつ色んなところを転々と彷徨っていた。
そうこうしているうちに季節は巡って、そろそろきみと出会ってから一年だねと灰白の毛並みを撫でれば心地良さそうに、すっかりわたしの愛馬になった水墨(どうしようかと悩んで結局勝手に名をつけてしまった)も心地良さそうに睛を閉じた。いやあ、可愛い。乗って一緒に過ごすとよく分かったけれど、水墨はいい馬だった。よく走るし、戦場でも怯えたり怖がったりせずにわたしのいうことをちゃんと聞いてくれるという、ちょっと勿体無いくらいの名馬だった。そして、水墨を褒めて愛でる度に、やっぱり未だにすこしだけ良心が痛んだ。ので、その都度水墨はちゃんと面倒見て元気にやっているから心配しないでください安心してください怨まないでくださいと、心の中で彼に向かって念じておいた。


そんなわたしも、月日が流れていく間にそろそろちょっとこのままじゃ駄目かなと思うようになっていたので、珍しく一所に留まっていた。そうすると、放浪してばかりだったけれどこうして落ち着いて過ごすのも悪くはないような気がしてきて、うーん、年かな、となんだか哀愁も漂う秋の季節。そうしみじみしながらも、ふと思い立って知り合いに手紙を送ってみることにした。いつもわたしが所在なくふらふらしているおかげで連絡が取り難いと怒られていたので、こういう時こそ送るべきだろうと筆と墨と紙を買ってきて、さっそくしたためる。
そうして戻ってきた返事には、大体みんなようやく落ち着く気になったのかだとか、まだ生きてたのかだとか(酷い)、さっさと身を固めてしまえだとか結構散々なことが書いてあって、笑ってしまった。いやあ、すいませんと思いながら見ていると一通だけそこに違う文が付け足されていた。尚香ちゃんだ。そこには、まだ決めていないなら私と一緒に働きましょうよというお誘いが書かれていた。尚香ちゃんとは昔知り合って、そのまま一時ともに戦場を駆け抜けたり、仲良く行動していたのだ。懐かしい。だけど、尚香ちゃんはわたしと違ってどこか仕官するのにいいとこはないかと探していたので途中で別れたのだった。尚香ちゃんは明るく元気でとても可愛い子だったので、一緒にいて楽しかったなあ…とつい懐古に浸る。手紙にはとってもいいところで、いい人たちばかりよと魅力的な誘い文句がつらつら。うーん。ちょっと悩む。悩んだけど、まあ、どうせ仕えるなら仲良い子がいるところの方が楽しいよね、と思ったのでわたしは承諾の返事を書くために筆をとった。




それから一月後、遠かったので時間はかかってしまったけれど、わたしは尚香ちゃんのいる街へと来ていた。この辺も、まあ、一年前だけど懐かしいねと水墨に語りかけながら歩んでいると城が見えてくる。門番の人に取り次いでもらって、水墨を厩に預けて待っていると軽やかな足音とともに「名前!」と名を呼ばれた。

「尚香ちゃん!ひさしぶりー」
「ほんと!名前、あなたってば変わらないからすぐ分かったわ」

きゃー!と手なんか繋いじゃったりして、久々の再会を楽しむ。尚香ちゃんも相変わらず可愛いなあ。

「でも、よかった!ちょうど人手が足りなくて、腕の立つ人はいないかって探してたところに名前から手紙きたから」
「うーん、頑張ろうとは思うけど、そんな役に立たないかもしれないよ?集団行動苦手だし」
「もう、謙遜しちゃって。私から玄徳さまに、名前のことはすっごく薦めておいたから大丈夫よ!」
「玄徳さま?」
「そ、ここの君主である御方よ……って、あ、ほら噂をすれば」

尚香ちゃんが言いながら横を向いたので、わたしもつられて見るとこちらに歩いてくる人たち、の一人の姿を確認した瞬間かたまった。ひっ!いつかの新兵さんみたいな声が漏れる。酷い既視感だ。バッと勢いよく首を戻して尚香ちゃんに向きなおす。

「しょっ、尚香ちゃん!」
「え?」
「あっ、あの…悪いんだけど、や、やっぱりこの話しなかったことに…っ」
「えええ!?駄目よ!もう、名前ったらそんな心配しなくても大丈夫だって」
「い、いやいやいや、ほっ、ほら、やっぱわたしは在野で気ままにしてるのがいちばんかなあって…!」

尚香ちゃんに必死に訴えるも、彼女はその愛らしいくちびるを尖らせて、困った子なんだから!と言わんばかりで、なんだかわたしの方が聞き分けのないこどもになった気分に…じゃなくて!と物理的に逃げ腰になっても、繋いだままだった手はかたくなに離れない。ちょおおおお!尚香ちゃん!ほんと、は、はやく離して…!というわたしの願いも虚しく、直ぐ近くまで人のきた気配。

「尚香殿、こちらの方が?」
「玄徳さま!この子が名前よ、こう見えてすっごく強いんだから」
「名前殿、はじめまして。私は劉備、字は玄徳と申します。噂は尚香殿から聞いていました。ぜひ仁の世のためそのお力を貸していただきたい」
「え?あ、え…っと…」

玄徳さまと呼ばれた人は尚香ちゃんからわたしに視線を移すと、真っ直ぐ見つめて言う。すごくまじめに、しかもここの君主である方にそんなことを言われてしまうと、ちょっと、いや、っていうか相変わらずわたしはもう掴んでいないのに、尚香ちゃんの手が離れる気配は微塵もない。あれ、もしかして、尚香ちゃんに逃亡阻止されてる…?と今更気付くも、もはや後の祭り。尚香ちゃんからはにこにこと、劉備殿からはものすごく真摯な眼差しを一身に受け、断れる雰囲気は零な状況に「………は、はい、わたしでお役に立てるのなら…」わたしは白旗を上げたのだった。
言った直後、やった!と嬉しそうにパッと尚香ちゃんの手が離れていった。……うん。もうなにも言うまい。「これからよろしくね!名前」と笑顔が眩しい尚香ちゃんと「仁の世のため、ともに頑張ろう」とものすごく清くて眩しい劉備殿の雰囲気にあてられて、すっかり影の薄くなっていたわたしは、いっそこのまま消え去ってしまいたかった。しかし、あれだ。尚香ちゃん、なんか劉備殿とすごく親しそうな感じが…と思っていると、尚香ちゃんがこっそり「ごめんね」と舌をだした。「玄徳さまにすっごい名前のこと薦めちゃってたのに、あんな間際でやっぱやだとか言うから」ひそひそ話しの声音に、なるほど、と納得がいった。まあ、でも、折角薦めてもらったのに断ろうとしたわたしが悪いのだ。尚香ちゃんが謝ることじゃない。じゃない、とは、分かっているんだけれど。けれど、だがしかし…!

「ああ、名前殿。紹介しよう。関羽と徐庶、二人とも我が軍の精鋭だ」
「…………は、はあ、よろしくお願いします」

内心キター!!!!と叫んでも顔に一切表れないのが、いいのか悪いのか。関羽殿はさすがのわたしも名前くらいは知っていたけど、本当に髭長いなあ…とつい現実逃避をしている場合ではなくて。…………う、うん、徐庶殿っていうお名前だったんですね……はは、あはは。今まで必死に視界にいれないようにしていた緑色の長衣をはためかせる長身の男に、恐る恐る視線を合わせると、笑顔だった。ふんわり、いつか見たのと同じ微笑みを浮かべた彼とばっちり睛が合ってしまった。

「こんにちは、名前殿。きみと会うのも随分ひさしぶりだけど、元気にしていたかな」
「(ひっ…!)………あ、あー…はい……おかげさまで」
「なんだ、徐庶と名前殿は知り合いだったのか」
「ええ、以前に何度か」

やわらかく受け答えをして、そのままの声で「ところで、名前殿」とわたしを呼んだので、思わずびくついていた肩が跳ねる。

「俺の馬は、元気かな?」
「…………と、とっても元気に、う、厩に、います」

にっこり、笑顔にわたしは嫌な汗をだらだら流しながら、ですよね!やっぱ覚えてますよね!根に持ってますよねえええ!!と思いつつも、それしか返すことができなかった。だ、だから逃げたかったのに…!




なんの因果か、いや、因果応報、当然な報いの気もするけれど、わたしが馬泥棒してしまった恐怖の彼こと、徐庶殿と一緒に働くことになってしまった。や、やだ怖い!だってあんなわたしのことを嫌っている人と味方というか、仲間というか、仲良くしないといけない間柄っていうか、これからどんな生活が待っているのだろうとわたしはびくびくしていた。
だ、だって、絶対いびられたり嫌がらせとか、職権乱用でわたしだけ戦でも罠だと分かってるところに突っ込まされたりするんだ…!と身構えてしまうのは、仕方ないことだ。なにより怖かったのは、徐庶殿がいっこうにそういう気配もなく、顔を合わせればささやかな春風にも似たやわらかな笑みと声音で接してくることだった。やっぱ、あれか。頭いいから、そんな人目につくようなあからさまに嫌いな空気は出してこないんだなあ…と感心しながら、わたしも恐怖心を隠して猫かぶり。適当に波風立てることもなく、接していた。
とはいえ、ついつい彼のことを避けてしまうのは仕方のないことだった。だって、そんな自分を嫌っている人と顔合わせるなんて、そんなの相手もいやだろうし、わたしだってわざわざ近付くほど被虐心があるわけでもない。にこにこ上っ面だけの関係だ。まあ、組織にいる以上そんな相手ひとりやふたりいるのは当然だ。だから集団行動苦手なんだよなあ…と若干後悔しつつも、だけどいいこともあった。水墨のことだ。徐庶殿にお返ししようと思ったら、彼は灰白色の毛並みを撫でながら「いや、随分きみに懐いているようだからね、このままきみが乗ってくれて構わないよ」そう言って譲ってくれたのだ。
晴れて馬泥棒ではなくなったことと、水墨に大分情を注いでいたわたしはわーいと喜んだ。徐庶殿意外といい人かもしれないとほんのちょっぴり思っていると「だけど、あの時はまさか馬を盗られるとは思わなかったよ」にっこり言われて、ひっ…と恐怖に戦慄いた。やっぱ怖い。



今は自国の強化を図る目的なのだろう、周囲の国と協定を結んでいるおかげで特に目立った戦もなく結構暇かとおもいきや、与えられた軍勢を鍛えたりで割合忙しい日々をおくっていた。
まあ、頭使うより身体動かす方が楽だし、育てるのは向いてないと思いつつもそんなこと言っていられないので日々訓練に精を出したりしていたけれど、たまに張飛殿とか関羽殿、趙雲殿といった猛将の方々の手合わせの相手をさせられたりするのは勘弁してほしかった。「女にしとくには勿体ねえな!」と張飛殿たちにも覚えられていたわたしは、よく引っ張り出されたからだ。そういう日は大抵、擦り傷とか打ち身でお風呂のなかで地味な痛みに涙目になった。
徐庶殿も軍師でありながらも剣の鍛錬は欠かしていないらしく、たまに鉢合わせそうになる度にわたしはどうにか避けることができた。他にも徐庶殿とおなじく軍師である諸葛亮殿や、その奥方である月英殿と色んな人のいるここは、けれど、居心地がよかった。なるほど、仕官するってこういうことかとちょっと、ほっとしていた。
ただ、ここの軍は宴が多いなあと思っていた。この間、わたしの歓迎と称してどんちゃん騒ぎをしたばかりなのに、今日はなんだろうと思って尚香ちゃんに訊ねたら、特に理由はないらしい。……そんなものなんだろうか。まあ、これがこの軍で日常的なことなのだろう、と思いながらわたしはその日も、会場の片隅でちびちび舐めるようにお酒を飲みながら騒ぎを眺めていた。
一回目で早々に悟っていたからだ。みんなお酒大好きで宴も終盤に差し掛かるころには地獄絵図と化すのを、見てしまったからだ。弱い性質ではないけれど、とくに理性をなくすほど酔っ払ったこともないので、無駄に所持している受け流しの技術でお酒を注がれるのを阻止してもりもりつまみを食べながら眺めていると、なんかもう、酷かった。お酒が入ると人格変わるんだねということをとても学んだ日だった。飲める人はどんどん飲むし、飲めない人は絡まれて無理矢理飲まされて大変なことになっている。たぶん、わたしぐらい素面なのは諸葛亮殿と、その隣で甲斐甲斐しい月英殿くらいなんじゃあ。尚香ちゃんは赤い顔で劉備殿ときゃっきゃうふふといちゃついていた。友達が楽しそうで、なによりです。


そうこうしているうちに場の空気がもうお酒の濃厚なにおいでむせ返りそうだったので、わたしはこっそり会場を抜け出した。
今日はもうこのまま自室に戻って寝てしまおうかな…と思いつつ、ふらふら外に出れば途端に澄んだ外気が心地よく頬を撫でた。ああ、空気が美味しいってこういうことか。紫がかった夜天にはまるまると肥えた、どうにも凍えそうに冴えた黄色などではなく、どことなく季節柄南瓜を髣髴とさせる橙の月を、輝きも様々な星が彩っている。秋の夜はあたたかな日中とは異なりもうだいぶ冷えてきていて、肌寒いくらいだったけれど今のわたしにはちょうどよかった。

「あー……いきかえるー…」

欄干にもたれるように、つめたい空気を肺いっぱいに吸い込む。お酒は飲むと身体は熱くなるし、そっと目蓋を閉じるとこめかみのあたりがどくどくと血の流れる音でうるさい。嫌いじゃないけど、そんなに好きでもない。ひんやりと心地よくて、このまま寝てしまいそうだなと思い「うー…あー……やっぱ、もう部屋戻ろう」そう睛を開けてぐっと伸びをして、廊下の方に振り返ったそこに。

「…………やあ、」

徐庶殿が暗がりの中、壁にもたれるように座ってこちらを見ていた。

「…………え?」

え、え?なにこれ、っていうか、え?なんでそこに?いや、たぶんわたしと一緒で涼みに抜け出してきたんだろうけど、人の来る気配とかなかったし、もしかしてわたしがくる前から、最初からそこに、居た…?そして、もしかして、今までのわたしの動作とか見られてて独り言とか聞いて、いた…?

「えっと…すまない、きみが俺の存在に気付いていないのは分かっていたんだが」

声をかける時を見逃してしまってね…。そう言う徐庶殿は困ったように眉をさげていたけれど、その鳶色の睛はなんだか愉しそうだった。じゃなくて、やっぱ見られてたし、聞かれてたとか恥ずかしい。独り言を聞かれることほど恥ずかしいこともないので、羞恥にお酒のせいだけじゃない熱が顔へ集まるのが分かる。

「あー…あははー…お見苦しいところをお見せしました、じゃあ、わたしはこれで…」

恥ずかしい以前に、まさかこんなところで徐庶殿と出会うとは思ってもいなかった(お酒の席ではなるだけ遠くに位置するよう頑張っていた)ので、焦る。さっさと逃げよう。そう素早く踵を返した背に「待ってくれ」制止の声がかかる。さすがに昔と違って今は無視することもできないので、恐々と振り向くと立ち上がった徐庶殿がこっちに歩んでくるところだった。え、なんでこっち来るの。

「な、なにか…」

わたしのすぐ目の前に、手を伸ばしたら触れられるほどの距離に、つい無意識に一歩下がってしまった。

「…………」
「…………」

立ち止まった徐庶殿が無言のあと、あ、と思う間もなくまた一歩近付いてくる。ので、反射のように下がってしまう。え、なに、なんなのこれ、怖い。じりじり、一歩近付いては離れるを繰り返しながら、わたしは少なからず酔っていたせいか現状を把握できていなかったおかげで「あ、」トン…っと気付けば背中が壁に当たっていた。
ま ず い。追い詰められた…!!咄嗟に横を向いた顔の、直ぐ傍に手がつかれて、びくりと肩が跳ねる。

「じょっ…じょしょど、」
「きみに、」

はっきりとした声音に遮られて、思わず前を、徐庶殿の方を向けばなぜかそこにはふわふわ、焦茶色をしたくせ毛のつむじがあった。彼が項垂れるように頭を下げていたせいだった。

「きみに、嫌われているという自覚はあるんだ……戦場で相対する仲だったから、仕方のないことだとは思うよ……だけど、どうして俺だけなんだ」

…………はい?ただでさえ今の状況にわけが分からなくて、いっぱいいっぱいでかたまりそうだというのに、徐庶殿の紡いだ言葉によって完全に凍結した。またか。まず今のこの状態を説明してほしかったというのに、なにを彼はわけの分からないことを………じゃなくて!!え?今なんて……。

「……張飛殿や、他にも俺とおなじようにきみと戦場で対峙したことのある相手はいるだろう…?なのに、どうしてきみは…俺だけ避けるんだ…?」

言葉はちゃんと耳に入ってくるのに、理解が追いつかない。なにを言っているんだこの人は!!かたまったまま、微かに垂れた頭や肩がふるえている気がしているのを呆然と見ていると、勢いよく徐庶殿が顔をあげた。あらわれた表情に、別の意味でまたかたまった。徐庶殿は、泣きそうな顔をしていた。いつもどこか困った風なきらいがあるとはいえ、今目の前にいる彼はそんなのを通り越して、完全に下がった眉に、潤んだ鳶色の瞳はきらきらと今日の夜天の星にも負けない輝きが、不謹慎ながら綺麗だと思ってしまった。じゃなくて、いや、ほんと………え?なんで、徐庶殿がこんな表情で、こんな、こと。

「名前殿…っ」
「うっ…」

なんだこの捨てられた子犬のような眼差しは。っていうか、嫌いとか、なにそれ、なんだそれ、わたし別に徐庶殿のこと、

「…………き…嫌いじゃ、ない…です…」

うん。嫌いなわけじゃない。怖かっただけで。というか、ちょっと待とう。いい加減動こうわたしの頭。徐庶殿は、わたしに、嫌われていると、思っていた?いや、それはこっちの台詞だ。だって、わたしはずっと徐庶殿に嫌われていると思っていたのだ。そう、そうだ。

「って、いうか……徐庶殿の方が、わたしのこと…嫌いなんじゃ…」

疑問を口にすれば、目の前にある星がぱちぱち、瞬いたあと、なぜかくしゃくしゃになる。

「なっ、そんなこと、あるわけが…!俺はきみのことが好きで、だから……っ」

そこまで言って、我に返ったのかハッとした顔が直ぐにまた困った顔に戻って、「す、すまない…声を荒げてしまって……今のは忘れてくれ…っ」そうもごもご顔を背けながら、謝罪してくる。徐庶殿も、酔っているんだろうか。髪の隙間から覗く頬とか、耳とかが赤く染まっているのを見るのは最早現実逃避の域な気がした。わたしの頭は、まだ理解したくないらしいけれど、それも無理な話だ。忘れてくれって言ったけど、それも無理だ。だって、だって、す……好きとか、とかっ…!!え?ほんともう、なにこれ。なんだこれ。待って、もう、いい加減落ち着こうわたし。ほら深呼吸深呼吸。頑張れ、冷静に頑張るんだ。ええと、つまり最初からまとめると、わたしは徐庶殿に嫌われていると思っていたのに、徐庶殿はそうじゃなくて、むしろ……その、こ、ここ(落ち着けるか!)ここっ、好意を、抱いていたわけで…!しかもわたしとは逆に、徐庶殿はわたしに嫌われていると思っていたわけで……ってことで、いいのかな。ちょっと不安になる。わたしは徐庶殿のことが怖かったけど、別に嫌ってはいない。なのに、徐庶殿がそう思ったのはひとえにわたしが徐庶殿に嫌われていると思い込んで、怖がって避けていたせいで…………ううん、まあ、確かにそれはそう思われても仕方ない。仕方ないけど、だけど、こんな、あほだろわたし!!

「……あは、は」
「名前殿…?」
「いやあ……すみません、ちょっと勘違いしていただけで……あの、ほんと徐庶殿のこと…嫌いじゃないんで、これからは避けたりしませんし、仲良くできたらなあ…って」
「…………っ、」

もう自分のあほさ加減に笑いしかでてこない。なんだ、全部わたしの勘違いだったのだ。改めてちゃんと徐庶殿に言えば、彼はなぜか口を閉ざしてしまった。あれ?なんで?やっぱりわたし嫌われてた?と無言に不安になってきた頃。「すまない」徐庶殿が言った。

「さっきの……忘れてくれと言ったのは撤回するよ……。最初は、確かに戦場で会う度にきみのことを疎ましく思っていたから、そう思われていたのは仕方がないことだと思う。だけど、気付いたんだ。それはきみの何者にも臆すことのない真っ直ぐさに、俺の持っていないものに憧れて、嫉妬していたからだと……。俺の悪いくせだ、視野が狭くなっていたんだろうな………そう自分で認めてしまえば、あとに残ったのはきみに対する好意だけだったんだ」

じっと見つめられながら、すこしだけ困ったような、だけど真面目な顔でそう言われ、わたしは憤死するかと思った。ちょ、ま、待った、なにその過大評価!わたしそんな褒められるようなもの持ってませんしっていうか今更だけど徐庶殿顔近い、近いです!!ひいいいっと今までとは違う意味で、内心絶叫していると「……名前殿、」名を呼ばれる。

「嫌いじゃない、っていうのは……ちゃんと言ってくれないと、俺は自分の都合のいいようにとってしまうよ」

その長身をかがめて、壁についていたはずの手が、いつの間にかわたしの頬に触れている。女らしい生き方をしてこなかったせいで、そういう経験がほとんどないわたしでも分かる。これは、まずい。こんな、嫌いじゃない、そう嫌いじゃない人に、こんな囁くような低い声音で、甘く言われてしまうと。

「………か…まいま、せん」

蚊の鳴くような小さな声になってしまったにも関わらず、吐息も触れ合う至近距離ではちゃんと聞こえたのだろう。そっと徐庶殿が浮かべたやわらかな微笑みに、やっぱり可愛いかもしれないと思ってしまった。

20130308

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