眠らなければいけない。それは分かっているが、妙に睛が冴えて眠れない夜もあれば、こうやって浅い眠りの中陽が昇る前に睛を覚ますこともある。この家が開かれていることを知ってからは、余計だった。
窓の外には診察室だけではなく、ここにも籠目文様の映し出せるプロジェクターがあり。室内には護符や屍鬼に効くと分かった呪術的なものを置いてあったが、見る度にまるで狂信者の部屋のようだと、すっかり胡散臭くなった私室につい苦笑いがこぼれる。こういったもの、迷信やまやかしを一番信じていないのは自分だと思っていたのだが、と。そして、棚のうえにある杭と木槌。それらを一通り眺めてから、最後に時計を見ればその針は四時三十八分を指していた。
もうあと三十分もすれば夜明けだ。そのことに、知らず息を吐く。夜が明ける。当たり前のように毎日昇る陽を、こんなにも待ち望むようになるとは思ってもみなかっただろう過去を思う。夏から今日まで、随分といろんなことがあったが、冷静に思い返してみればそのあまりの非現実さと濃さに笑いさえでてくる。俺があがきにあがいた三ヶ月間。短いようでひどく長かった。
布団から出て、身支度を整えると煙草に火をつける。ガラス窓を開ければ、冬の気配を感じさせる冴え冴えと澄んだ空気が心地よかった。外は未だ薄暗く、天には星が見える彼誰時。それでもうっすらと山間が黄金色に輝きはじめている。この星も、もう見えなくなってしまうのだろう。
煙草を片手に天を仰ぎ、星を見ているとつい彼女のことを思い出す。あの子が好きだったなと、そう思う。過去形だ。すべては、もう過去のことだ。紫煙を吐き出して、窓に背を向けようとした。それも、過去形だった。反転しようとするその視界に、うつったものに、勢いよく振り向く。
そうして、俺は銜えていた煙草を落としそうになった。

「……名前、ちゃん、」

母屋の角から姿を現した、ついたったいま脳裏に思い描いていた彼女は、記憶と寸分も違わない姿で、俺と視線が合った途端、その睛を大きく見開いた。けれど、それは一瞬のことだった。直ぐに、ふにゃりと細められる。そうして、彼女は、名前ちゃんは、

「尾崎先生…っ」

そう、俺を呼んだ。ゆっくりと、歩んできて、けれど一メートルほどの距離のところで立ち止まる。そこまで近付かれて、俺はようやく反射のように半歩下がった。
それを見た名前ちゃんの顔がかすかな悲しみに染まる。けれど、そんな表情に騙されてはいけない。彼女は死んだんだ。十月二十二日に。知っている。俺がこの睛で死亡を確認し、この手で死亡診断書を書いたのだ。覚えている。つまり、いま睛の前にいる名前ちゃんは生きている人間ではない―――屍鬼だ。
(…………起き上がった、のか)
可能性を考えていなかったわけではないが、こうして現実として突きつけられると、なんとも言い難いものが胸に広がるのが分かる。だが、彼女はなにをしにきたのだろう。一昨日の晩、桐敷千鶴がきたことを思い出す。俺はてっきりあの女の獲物として認定されたと思っていたのだが、違ったのだろうか。彼女が、俺を襲いにきたのだろうか。だとしては、違和感があった。
もう直ぐ屍鬼にとっては天敵の、陽が昇る時間帯だというのもあったが、名前ちゃんは黙ったまま襲ってくる気配はなく、むしろどこか戸惑っているようにも見える。名前ちゃんもじっと俺を見上げていたが、やがてゆっくりと微笑んだ。

「先生、朝はやいんですね。まだ、寝てると思ったから……びっくりしました」
「なんだ、俺を驚かそうとでもしてたのか?それは残念だったな」
「はい、ほんとはちょっと顔を合わせたくなかったんで……でも、先生の顔見たら、やっぱりこの方がいい気がしました」

まるで生前、診察室にきた時最初に交わす軽口のようなそれに、つい乗ってしまう。

「尾崎先生、お願いがあるんです」
「……なんだ?名前ちゃん」

お願い。その言葉に内心眉を顰める俺に気付くわけもなく、名前ちゃんはつづけて、

「母を、助けてください」

そう言った。今度は内心だけでなく、実際に眉根が寄るのが分かった。

「すごく、身体が弱ってるんです。原因は、こころなんですけど……睡眠薬も定められた量以上を飲んだりしてて、ひどくやつれて……なのに、そんな母をいっぱい走らせてしまったから……心配なんです」
「睡眠薬…?走らせて…って、なにを言っているんだ?」

名前ちゃんの言っていることがまるで理解できず、ついそう口に出して問えば名前ちゃんは睛を瞬かせたあと「先生が、出したんじゃないんですか…?」そう薬のことを訊いてきた。

「尾崎医院にはきていない。恐らく江渕か溝辺町の病院にまで行ったんだろう」

彼女の母親の気の落ち込みようなら、記憶にあった。どうしてと、涙を流し嘆く姿はこの夏から何度も睛にしてきていたが、その様があまりにも痛々しかったのを、覚えている。だから、俺は彼女の母親が尾崎医院に来なかった理由が、分かる気がした。娘を助けることのできなかった医者のところになど、行きたくはなかったのだろう。

「そう、なんですか…」
「それに、お願いならもっと要点を詳しく話してくれ。なにがあったんだ?」
「…………」

真っ直ぐに彼女を見て問いかければ、ややあってから言いづらそうに、再度喋りだした。

「わたし、起き上がってから……ずっと人を襲うことを拒否してきたんです。だけど、そうしたら昨晩母が連れてこられて。わたしは母を襲えと言われて……だけどやっぱりできなかったから、逃げてきたんです。でも、母は薬で深く眠ったままでした。だから、わたしは母の血を吸って、暗示をかけたんです。起きて、一緒に家に帰るって。そうやって、そんな状態の母を、慣れない山道をいっぱい走らせてしまって、母はすごくつらそうで、くるしそうで……でも、あのまま小屋いたら母は死んでしまうから…だから……、」

思い出しているのだろう、名前ちゃんの言葉は次第にどこか独り言のような響きが混じる。よくよく薄闇の中睛を凝らせば、その衣服は木の枝に引っかけたのだろうか、かすかに破れている箇所があった。そして、その表情は母親の血を吸ったというあたりから深い苦渋の色に染まる。恐らく、やむを得ない状況だったとしても、したくなかったのだろうことを物語っていた。

「…………お母さんは、いまは?」
「ちゃんと、帰ることができたから……家にいると思います」
「そうか…」

正直。正直、名前ちゃんの言葉を鵜呑みにするかは悩んだ。屍鬼というだけで、猜疑心が高まっていることに気付いて苦笑する。ひどく短慮で浅はかな考えだと思ったからだ。恐らく夏野くんのことがなければ、俺はただ彼女を屍鬼というだけで話を聞きもしなかっただろう。敵の中にしか味方がいないというのも、なんとも滑稽な話だが。
それに、彼女の話は俺を陥れようとしているのだと、そう思い込むにはくるしい内容だったからだ。それは本当に、ただ母親が心配だから先生に診てほしいと、そう訴えかけているだけのことだったからだ。

「分かった、必ず診に行こう」

だから、そう承諾すれば名前ちゃんは睛に見えて曇りがちだった表情を輝かせた。そうして「ありがとうございますっ…」歓喜のにじむ声で言って頭を下げた。

「……だが、名前ちゃん。きみはずっと人を襲っていなかったと言ったが、それならどうやって餓えを凌いでいたんだ?」
「…………」

疑問を口に出せば、彼女の顔はまた翳りをおびる。

「……そういう屍鬼には、血の入ったコップが渡されるんです。だから…それは誰かを襲ったこととなにも変わらないから……人を襲ってないって言ったのは、ただの詭弁です…」

かすかな自虐の笑みを浮かべて、名前ちゃんが言う。この子はこんな表情もすることができたのかと、どこか場違いなことを思いながらも、やはり、と唇を噛む。彼女の言うとおり、それを飲むことは結果的に人を襲うこととなんら変わりない。口の中に苦いものが広がって、ふと気付いた。どうして俺は、こんなにも、落胆しているんだ。ほのかな失意と、おなじくらいの安堵。そんなものを、なぜ抱いている。自問に答えは直ぐにでてきた。
(……そうか、俺は名前ちゃんがそんなことはしないと、そう思っていたのか)
屍鬼になっても、きっと彼女は誰も襲わない。人の命を奪って生きるくらいなら、むしろ自らの死を選ぶのでは、と。そう、そんな勝手なことを思っていたのだ。そして、それは別に彼女のことを美化しているわけではなかった。
いや、名前ちゃんはそういう子だとは思っていたが、違う。それ以上に、俺が名前ちゃんに、そうしてほしくなかったからだ。そう、そうだ。そうなってしまえば、正当な理由ができてしまう。例え屍鬼を滅ぼすと、すべての屍鬼を殺すと、その決意に揺らぎは一片もなかったとしても。どこかで、どこかで躊躇してしまう可能性を恐れていた。
安堵は、後者からきたものだろう。彼女の生の裏側にこびりついた誰かの死は、切っても切り離せない。人を襲っていなくとも、名前ちゃんはもう屍鬼なのだ。生きている、ただそれだけで人間を殺すいきもの。人間などではない。死した身で尚、生者のいのちを喰らいまやかしの生に縋る亡者、屍鬼になってしまったのだ。これで、俺はなにを想うこともなく、彼女を―――、

「…………、」

ちらり、無意識に視線が棚のうえにある杭と木槌をうつす。

「…………ぁ、」

けれど、夜目の利く彼女はそれに気付いたのだろう、俺とおなじように視線がそちらへ向かって、その睛が音もなく見開かれる。
そして、察したのだろう。その道具の意味を。ひとつしかない用途を。その大きな瞳が、ゆっくりと俺に戻される。俺は、名前ちゃんが逃げるだろうと思った。その顔には確かな怯えがあったからだ。それは、根源的で本能的な、死に対する恐怖。その表情に、俺は苛立つのが分かった。やめろと、言いそうになった。そんな、そんな顔は、あの時と一緒じゃないか。瞬間、記憶が鮮明によみがえる。
大きな書棚が特徴的で、けれどカーテンや小物は可愛らしい、落ち着いていて小奇麗な彼女の部屋。ベッドの中で、血の気の失せた蒼白い肌に、影を落とす睫毛が震え、いまにも涙がこぼれだしそうな、そんな顔で、こわくてしかたないと言った姿が、重なる。彼女はもう血の気のない肌の中、潤いをおびた瞳で、俺をうつして、そして、

「殺して、くれるの…?」

そう、言った。
俺は彼女がなにを言ったのか、分からなかった。
けれど、それも一瞬だ。直ぐに理解する。殺してくれるの、とそれは、それはまるで自ら死を望んでいるかのような物言い。否、まるでもようなもつかない。彼女は、殺されることを、望んで、いる?

「……よかった…………先生、わたし…もうひとつ、お願いがあったんです」

なんだ、とは訊けなかった。よかったと言った瞬間、泣きそうな顔で微笑んだ名前ちゃんから、ただ睛がそらせなかった。

「わたしを…………わたしを、村のみんなの前に、突き出してほしいんです…」
「…………っ、なにを、言っているんだ」
「……そうしたら、実物を…自分の睛で見て…さわって確かめたら、みんな…信じてくれると、思うんです……起き上がりのことを。夏から人が亡くなっていったのが、全部屍鬼のせいだって…そう……尾崎先生のことを、信じてくれる」

頭の中が、真っ白になった。ただ、俺をじっと見上げたまま言葉を紡ぐ彼女を、見るしかできない。本当に、なにを、なにを言っているんだ、この子は。

「だけど……どうしよう……もう、夜が明けちゃう……」

その目蓋が、かすかに閉じようとするのを振り払って、俺を見つめる。

「先生……わたし……こんなの…望んでなかったのに……起き上がっちゃって……こんな、どうして……起き上がりたくなんか、なかった…のに……もう、やなん、です……わたし…もう、」

夜が明けると、屍鬼は深い眠りにつくことは夏野くんから訊いていたから分かる。きっと、彼女はいま次第に迫り来る睡魔に抗おうとしているのだろう。思考がままならないのか、口調が少しくだけてきている。
そこで、俺はようやく、ああ、と思った。名前ちゃんは、本当になにも変わっていないのだと、思った。屍鬼として起き上がったことを、くるしんで、くるしんでくるしんで、ここにきたのだろうことを、思った。だから、名前ちゃんがなにを言おうとしているのか分かってしまった。
そして、俺はそれを聞きたくなかった。

「……死にたい、よぉ…」

先生。尾崎先生。名前ちゃんが、俺を呼ぶ。死にたくないと言った時とおなじ顔と声で、死にたいと言う。殺してほしいと希う。あれだけ、あれだけ生きたがっていた、彼女が。そして、死んでしまった彼女が。

「…………分かった」

気付けば、俺はそう言っていた。

「だが、それにはまず生きたままきみを突き出さなきゃならない。……病院内の手術室なら遮光されている、一先ずそこへ行こう」

吸うことも忘れ、ただ指の間に挟んでいた煙草を窓枠で押し消し、彼女に窓から入るよう手を差し伸べる。母屋は勿論、病院の方も昨晩施錠したままだ、ここから入るのが手っ取り早い。けれど、彼女はどこか戸惑った様子で動かない。だが、どうしたんだと、問いかける前に口を開いた。

「先生……わたし、ひとりで入れるから……離れてて、ください……」

そう俺の手を見ながら言う。ぐっと胸の前で握られたちいさな拳は、睡魔と闘っているだけのようには見えなく。まさか、と思う。

「わたし……だめ、なんです……おなか、すいてるから…………だから、」

近付いちゃ、駄目なんです。その予感とおりに、彼女は吸血衝動にも駆られていることを吐き出す。その様子に顔を顰めそうになるのを堪え、平静を装って「ああ、分かったよ」俺は窓から離れ戸のところまで下がった。そうすれば、名前ちゃんは歩み寄ってきて少し立ち止まったあと、窓枠に手をかけると室内に入ってきた。

「急ごう。もう夜明けまで時間がない」

時計を見れば、針は四時五十八分を指している。天気予報で表示される日の出の時間は、最近ではもう五時十分頃になっていた。そこまで屍鬼が時間に正確なのかは分からなかったが、外ももう随分と明るくなってきている。眠そうな声で「はい……」返事をした名前ちゃんを先導しようとして、ふと気付く。名前ちゃんの足元は靴下だった。
さっき、窓のところで少し立ち止まっていたのは靴を脱いでいたからだったのか。土足でも別に構わなかったというのに、こんな時でさえ礼儀正しいというか律儀というか、つい笑ってしまいそうになる。本当にこの子は、思うだけで笑顔を抑える。笑ってしまえば、ついでに余計なものまで、出てきてしまいそうだったからだ。睛の奥の熱さを、見ないフリをして俺は名前ちゃんを連れて私室を出た。


住んでいる人間がふたりしかいないくせに広い母屋を抜け、病院へと向かう。未だ寝静まった建物の中を歩みながら、いま自分がなにも持っていないことを思う。屍鬼に対抗するものを、杭も木槌もなにも。そして、そんな無防備な背中を屍鬼に晒していることを。けれど、違う。うしろからついてくる衣擦れだけの足音は、名前ちゃんだ。
彼女はやはり二メートルほどの距離をとり、それを決して縮めることはなかった。待合室に差し掛かったところでスリッパを勧めたが、名前ちゃんは首をゆるく横に振るだけだった。そうして、階段から二階へと上がる。距離は縮まるどころか更に開きそうになっていて、自然俺の歩みも遅くなる。名前ちゃんも分かっているのか「ごめ…ん、なさ……おそ、くて…」そう俯いたまま言う。縋りつくように手すりを掴み、ひどく重いものを持ち上げるように足を動かす。そうやって階段を上りきって、ナースステーションに向かえばその先が手術室だ。
足取りがだんだん覚束なくなっている名前ちゃんは、いまにも倒れそうだった。窓のブラインドは下がったままだが、そんなことに意味はないことは既に知っている。

「あと少しだ、名前ちゃん」

何度、手を差し伸べたいと思っただろうか。その儚げな矮躯を支えることができるのに、できない。彼女がそれを望まないからだ。だが、果たしてそれだけなのか?名前ちゃんの意思を尊重しているように見せかけて、ただ俺が襲われたくないだけなんじゃないのか?こんな時まで馬鹿らしい脳に、ほとほと呆れる。まったく、嫌になるな。思いながら前室の鍵を開けていると「せんせい、」ずっと口を閉じていた名前ちゃんが俺を呼ぶ。

「どうした?この先は遮光されてるからな、もう大丈夫だ」

開錠しながらだったので、俺は前を向いたまま答える。その背に、

「すごく……こうかい、して……もう、ちゃんと…いっかい、おはか、まで……もってった…から、」

だから、ごめんなさい。名前ちゃんが謝る。脈絡のない言葉は支離滅裂だったが、それでも俺の手は、止まった。

「わたし……おざき、せんせいの…こと……ずっ、と……すきで…し、」

その先は、なかった。ごとり、重いものが床とぶつかる音がした。
咄嗟に振り返れば、そこには名前ちゃんが倒れていた。駆け寄れば眼瞼の閉じたその顔が、赤みをおびはじめているのが分かる。まずい。ナースステーションから射し込む朝日が、彼女を明るく照らす。生を象徴する希望の光は、けれど屍鬼にとっては身を滅ぼす害悪だ。陽を浴びつづければ皮膚は赤く焼け爛れ、やがて黒く炭化する。完全にもう意識がないのだろう、名前ちゃんはそんな状況だというのにぴくりとも動かない。急いでその身体を仰向けにし、抱きかかえると鍵を開け終わっていた前室に駆け込んだ。
そう長い時間ではなかったからか、直ぐに彼女の頬は赤みが失せ死人の蒼白さを取り戻した。腕の中にいる名前ちゃんは、その長い睫毛がかすかに震えることすらもうなく。両腕にかかる重みは、死体の重み。そのまま手術室に入り、薄暗い室内の中央にある手術台に彼女を寝かす。昏睡状態にあるだけだとは分かっていても、呼吸も脈も鼓動も、冷たく体温すらない身体はまるきりの死体だった。こうやって意識がなくなってしまえば、なおさら。つい先刻まで動いたり喋っていたとは思えないほどに。まるで、夢だったのではと思うほどに。
だが、夢ではない。陽が沈めばまた睛を覚まし、意識や思考、感情やこころがある彼女は動き出す。記憶にある生前の彼女とまったく変わらない表情で、声で、俺を先生と呼ぶ。そうして、思う。睛を覚ましたら、さっきのつづきを言ってくれるのだろうかと。

「……きみが謝る必要なんて、ないんだ」

お墓まで。生前そう思っていたのか、この想いは墓まで持っていくって。そう決心する彼女の様子が簡単に想像できて、口元が歪む。笑みの形のはずだったが、本当にそうなのかは分からなかった。謝るのはむしろ俺の方だ。それに、どうして、どうして名前ちゃんはこんな、俺みたいな人間を―――、

「…………」

いや、もうそれも、そんなことを考えても詮無いことだ。そっと、乱れた前髪を撫でつける。その死に顔は、ひどくおだやかなもののようにうつる。

「すまない、名前ちゃん」

赦してくれとは、言わなかった。


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