誕生華
肩にあたたかさを感じた。それが臨也の手だと気づいたのは、痛みを癒すような感覚に全身が包まれた瞬間だった。
「どう、したの……大丈夫?」
「…………」
ゆっくりと、顔を上げる。心臓はいまだに激しく脈打っている。呼吸だって、苦しい。
けれど、こちらを心配そうに覗き込む視線に救われる。
「お、俺」
かすれた声が口を突いた。
言葉が溢れてくる。言わなければ。そんな使命感にも似た思いが自分をせき立てた。
「誰かを、好きになった、こと、ない……から」
「…………」
事実を口にすれば、臨也は黙ってつたない言葉の先を促した。その瞳は酷く穏やかだ。怖がらなくていい。そう言われているようで、少しだけ気が軽くなる。
「それで、それに、体だって……そういうこと、できない、し」
自分は何を言っていると、思わないではなかった。わけのわからないコンプレックスをさらす必要などない。
臨也も言葉にあけすけな部分を感じたのだろう。目を僅かに見開いて、それ以上の告白をとめようとした。
「シズ――」
「ふ、不能、だから……不感症、ていうか、とにかく、そういうの、無理で」
けれど、その気遣いを振り払うように一息に言いきった。恥ずかしさも後悔も山とあったが、かまわない。臨也の告白の比ではない。彼はもっと、もっと切実だった。
それと同時に、惨めさに泣きたくなった。好きだと言われて、自分はその相手に何を言っているのかと。
(だって――)
仕方がない。自分は自分でしかなりえない。ありのままを語ることしかできることはない。落胆されても、それは仕方のないことだろうと、ただ口が動くに任せた。
「だから、誰かを好きとか、そういうのも、俺には関係ないって――」
ずっと、そう思っていたのだと。好きになることも、好かれることも、自分は諦めていた。叶わなくても生きていける。だから、何もつらいことはないのだと、そう思って。
「――――」
「…………」
臨也は微動だにせずに自分を見つめている。その視線が痛い。
「――で、でも」
今、この瞬間。
彼の言葉の重みが胸を締めつけた。誰かを好きになる、誰かを思い続ける。その感情はきっと何より綺麗だ。
それが自分に向けられているのだと、そう思うとたまらなかった。嬉しさや感動とも違う、そんな言葉では言い表せない何かがあった。
「俺、今」
酷い男だ。決して、善人でもない。
それでも、そんな彼の愛情は自分のものだった。
そう思うと、もう――。
「おまえにさわりたいって……思ってる」
感じたことをそのままに、何も考えずに口にした。
その言葉を聞いた瞬間、臨也は目を見開いて固まってしまった。
「…………」
「…………」
(あ、れ……?)
明らかに言葉を間違ったと、気づいたのは沈黙が数十秒続いた頃だ。
(さ、さわりたいって――何言ってんだ俺……ッ!)
動揺しすぎて即物的な物言いをしてしまった。さすがに羞恥心が湧いた。慌てて前言を撤回しようと口を開く。
「……へ、変なことい言って悪――」
「いいよ」
しかし、それより先に、凛とした声が響いた。
「……え?」
言われた言葉の意味がわからず、臨也の目を見つめる。澄んだ瞳が揺れていた。目元は赤く色づいて、妙に色っぽい。
「ううん、違う。……お願い」
「な、何が」
扇情的な彼の様子に動揺しつつ、その意味を訊ねた。
すると、臨也はゆっくりとこちらの手を取って、彼自身の頬に触れさせる。乾いた涙の痕に心臓が高鳴る。
「俺に、さわって」
「……ッ」
告げられた瞬間、体の熱が一気に上昇した。
「さ、さっき、のは」
嘘じゃない。けれど、強要したようで思わず否定した。
しかし、臨也にそんな上辺だけの言葉は通用しない。
「思って、くれたんだ?」
艶やかな声が耳をくすぐる。
「俺に、さわりたいって」
「――――」
とても違うとは言えなかった。事実、そうなのだから。
彼は頬に当てた自分の手に顔をすりつけた。すべらかな感触が心地いい。そんなことにも、いちいち心臓はうるさく走る。
「お願い、さわって……嫌になったら、やめて、いいから」
懇願するような声音もまずい。物憂げに伏せられた睫も、震える唇も、そこから覗く真珠のような歯も赤い舌も。何もかもが、自分にとっては毒のようだった。
「何をしても、いいから……ね、お願い」
切なげな、熱い息が吐き出された。瞬間、もう駄目だと悟る。抵抗は無意味だ。
「そうしたら――何か、わかるかもしれないよ」
蜘蛛の糸に絡め取られた獲物のように、ただ静かに最期を迎えよう。そう思うほどにすべてが鮮やかで、葛藤や思考が馬鹿らしく思えた。