誕生華


恐る恐る、壊してしまわないように、指先で臨也の体に触れた。
分厚いコートの上からでも自分には酷く緊張する行為だった。しかし、臨也はこちらの胸中も知らず、静かにされるがまま、身を任せている。

「……脱がせて」
「っ」

囁きに体が小さく跳ねた。
まるで熱に浮かされたように、自分の指が彼のコートにかかる。
それを床に落として、薄いシャツを重ねただけの臨也の体に目を向ける。見慣れたはずの男の体だ。服だって着ている。
だというのに、この恥ずかしさはなんなのか。

「さ、寒くない、か?」

暖房はきいているのかどうか、自分ではよくわからない。ただ、白い肌が寒そうだと、そんなことを考えた。
手を伸ばし、臨也の胸の中心に当てる。今度はその温度がより近くに感じられた。

「シズちゃんの、手、あったかい」
「ッ」

問いかけへの答えのつもりなのか、臨也は小さく呟いた。恍惚とした声音に眩暈がする。
服の上から、触れているだけだ。特別なことは何もしていない。それでも、確かに彼に触れているのだと。そう思うとたまらない気持ちになった。

(な、んで……今まで、だって)

数えきれない争いの中で、触れることは多々あった。掴んで殴って、切りつけて。互いに、けして少なからず触れ合っていた。それは確かだ。
そのはずが、今、自分は初めてこの男に触れるような気分になっている。あたたかさもやわらかさも、硬さもしなやかさも。今、初めて知った。

(なん、だよ、臨也のくせに)

まるでその存在を確かめるようにして、手は彼の体にあますところなく触れていく。
すると、臨也は僅かに身じろいだ。やわらかな声が耳に響く。

「あたたかくて……くすぐったい」

指はもう自分のものではないみたいに、ただ望むままに動いている。力加減に神経がすり減った。薄い氷に触れている気分で、臨也の全身に触れていく。
目を閉じた彼は、何度も問いを投げかける。

「ね、シズちゃんはどんな感じ?」
「……どんな、って」
「俺、あたたかい? さわるの、嫌じゃない?」
「…………」

矢継ぎ早に繰り出される質問に、どう答えたものかと戸惑いを隠せない。臨也は先ほどまでとは打って変わって、饒舌だった。

「あのね、俺は、シズちゃんの指の感触が、すごく気持ちよくて」

もしかしたら、彼も緊張しているのかもしれない。声が震えているように聞こえるのは、きっと気のせいではない。
ただ、その声音と内容がいけない。不安を誤魔化すのなら世間話でも皮肉でも、とにかくそういったことを言ってほしい。そんな、本音を語るようなそぶりは心臓に悪いのだ。
自分が無茶な要求を覚える間にも、臨也はとつとつと素直な声を洩らした。

「ぜんぶ、わかる。ずっと、触れてほしいって思ってたから……想像、してた、から」
「――ッ」

瞬間、頭の中が真っ白になった。

「あ……熱くなっ――」

反射的に臨也の口を手で塞ぐ。

「っ」
「黙れ」

低い声で、脅すように告げた。臨也は目を僅かに見開いて、小さく頷いた。
怯えさせてしまっただろうか。その無防備な表情が必死に頷く様は、まるで自分が酷く悪い人間になったような気分にさせられた。
それでも、そうしてもらわなければ困る。
これ以上あんなことを言われては、自分はどうなってしまうのか、想像もつかない。
ゆっくりと手をはずすと、代わりに臨也の手が彼自身の口を覆った。素直に言いつけを守るつもりらしい。

(だから――そんなのは、らしく、ねえだろうが)

やめればいい。彼に触れる手を離せば、こんなわけのわからない状況は終わる。

「…………」

そう知っていながら、指が、手が、徐々に臨也の肌に触れるのだから、始末におえない。
最初は首筋を、そして鎖骨をなぞる。綺麗な線で描かれているような、なめらかな感触が手に伝わった。
肌のすべらかさや、温度。じかに彼に触れる感触を覚えてしまったら、もう我慢ができなかった。
シャツの裾から手を入れる。少し筋肉のついた腹と色香の漂う腰を撫でた。

「……っ」

臨也は小さく体を振るわせた。それでも口に当てた手で、声は押し殺している。
そのまま手を無遠慮に差し込んで、彼の上半身に触れる。胸も背中も、普段は服に隠れて見えない箇所に手を這わせた。その感触は酷く心地いい。まるで手に吸いつくようで、それでいてみずみずしい弾力がある。

「っ」

ふいに、臨也が身をよじった。力加減を間違ったかと慌てたが、彼の不自然な体勢にそうではないと知る。

「……お、ま、これ」

隠すようにしていた下肢を無理矢理開かせる。ズボンの上からでもわかるほど、彼の性器は反応していた。

「ごめ……勘弁して……声、は、少しは我慢できる、けど」

見られたことの恥ずかしさか、それとも別の理由か。臨也は消え入るような声で哀願した。

「体は、どうしようもないんだ……」
「――――」

自分を見上げる不安げで、そして熱に濡れた瞳。それを見た瞬間、何かが切れた。
手を伸ばす。彼の衣服に触れるとためらいもなく力をこめた。それはまるで薄紙を裂くように簡単に破ることができた。

「…………」

臨也は何も言わず、ただじっと自分のすることを見つめている。
上を破ると次いで下も。厚手の生地も自分にとってはなんら支障ない。すぐにそのすべらかな肌があらわになる。
気づけば、彼を覆うものがなくなってしまっていた。





「…………んで」

裸の臨也を体の下に組み敷いて、その胸に手を当てた瞬間――彼の鼓動が伝わった刹那、目が覚めた。

「なんで……っ抵抗しねえんだよ! おまえ、何されてるかわかってんのか!」

八つ当たりだ。それはわかっている。ただ、あまりに無防備な男をなじった。自分がしたことの後悔の裏返しでもあった。

「……意味、わかんない」

しかし、臨也は不思議そうに首をかしげるだけで、さらに苛立ちが募る。

「て、め――」

その無垢な目が、気に入らなかった。まるで自分が酷く穢れているように思えてならない。

「……だって」

自責を理不尽な怒りに変えて相手を罵ろうとした矢先、彼がまるで華のように笑った。

「こんなに気持ちいいのに……こんなに、幸せなのに」

自分が知っている、鋭利な冷たい笑みではない。まるで大輪が咲いたような、そんな表情だった。

「どうして抵抗しなくちゃいけないの」

彼の手が伸びる。自分の頬に触れた瞬間、まるで嘘のように苛立っていた心が凪いだ。

「言ったろう? ――好きだって」
「――――」

目の奥が熱い。
しなやかな指が何度も頬をなぞる。その優しさに、惨めになった。
これは後悔だ。今まで、なんとも思わなかったはずなのに。
なのに、こんなに虚しい自分の体に酷く嫌悪した。

「そ、なこと、言われても、お、俺」

臨也を見下ろしながら必死になって言いわけをする。呆れないでほしい。そう切実に願って。

「だって、俺、俺の、体――」

泣いてしまう。もう視界がぼやけていた。こんな状況で、こんなことを言いながら。そう思うとさらに惨めさが増す。
動けずにいる自分を臨也はどう思っているのだろう。不安が全身を駆ける。彼に触れている手が震えていた。
すると――。

「おいで」
「っ」

甘い声が耳朶をくすぐった。

「あ……」

茫然としたまま臨也の顔を見ると、少し困ったような表情で笑っていた。

「どうして、無理だと思うの?」
「だ、だって」

優しい声が胸を締めつけた。しかし、劣等感は湧かない。それが不思議だった。
微笑んだまま、臨也は自分に問いかけた。

「誰かに、さわりたくなったこと、ある?」

首を振る。一度もそんなことはなかった。今の、今までは。

「誰かに、さわられたいって思ったことは?」

やはり首を振る。すると彼は小さく笑って上半身を起こした。膝立ちになったまま、ただその綺麗な顔を見つめることしか自分にはできない。
臨也は顔を上げて、腕を伸ばす。その手が首に触れる。

「なら、そんなの無理かどうか、わからないじゃないか」

当然のように告げられた言葉に、自分は何も言えない。そうなのか――そんなふうに、疑いと期待を滲ませた視線で相手を探る以外は何もできない。

「シズちゃんは、知らないだけだよ」

腕が回される。抱きつかれるような格好で、臨也の顔が近くにあった。

「もし、叶うなら、それを教えてあげられるのが、俺だったら」

吐息が触れる距離で、甘い声が囁かれる。恥ずかしさに心臓は早鐘のように激しく脈打っている。
けれど、視線をそらせない。まるで縫いとめられたようにまばたきすらできなかった。

「そうなら、いい、のに」
「――っ」

切なげな吐息が彼の口から零れたと思った瞬間、体が反転した。
臨也が自分を組み敷いている。そうと気づいたのは天井の蛍光灯の眩しさに目を細めた時だった。

「……あ」

一瞬のことに反応できずにいると、目の前が見えなくなる。近すぎる距離に彼の顔があった。
そして。

「……ん、ンッ」

唇に熱いものが触れた。驚きに目を見開く。茫然と薄く開いたままになっていた唇を、さらに熱いものが割って入ってきた。

「……ふ……あ」

濡れた感触に体が跳ねた。彼の舌が自分の口内を蹂躙している。それは酷く淫靡な想像だった。
想像だけでなく、実感として臨也の舌は器用に動いた。歯列をなぞり、逃げる舌に絡め、そして強く吸いつくのだ。まるで生き物のようなそれに、眩暈がする。呼吸も忘れて、必死に臨也に縋った。

「ン――ん、ぁ、あ」

酸素を欲して口を開ければすぐに塞がれる。口からはこらえきれない喘ぎと唾液が零れた。

「――ね」
「……ッ」

ようやく解放された。
涙に滲んだ目で臨也を見上げる。喉を引きつらせて必死で空気を吸い込んだ。

「俺も、さわって、いい?」
「――――」

熱に濡れた囁きに目を閉じた。瞬間、ふちに溜まっていた涙が零れ落ちる。
こんな体でいいなら、そう呟くとまるで咎めるように、また、息をとめるような口づけが降ってきた。






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