スリーピング・ロスト


静雄の中では苛烈な清算が始まっていた。冷静さが戻ると今日の出来事が一気に甦った。当然、羞恥がその大半を占めている。
そもそも考えることは苦手なのだ。できれば何事も単純明快に、そして穏やかにすめばいいと常に願っている。
考えたくない。けれど、どうしても考えてしまう。
結果だけを見れば酷く単純なのだろう。臨也が自分を好きで、自分だって臨也が好きだ。それだけのことだとわかっては、いる。
思考など捨てて、ありのままを受けとめればいいのだということも。事実、頭ではなく心はとっくにそうしている。体も一目瞭然なくらいに素直だ。
それでも諦め悪く理由や原因を探すのは、今までの反動なのかもしれない。
どれだけ食い下がってもきっと臨也は笑って、それこそ仔犬にものを教えるように何度でも囁いてくれる。それが夢でも幻想でもない現実だと今日、ようやく知った。今まで諦めていたものが本当は自分のものだったと知ったら、誰だって確かめたいだろう。
要は、甘えたいのだ。

「臨也……」

言いわけもできない自分の反応を恥ずかしく思いながら、それでも消え入りそうな声で彼の名前を呼んだ。

「んー?」
「…………」

間延びした声はどこか楽しそうだ。静雄が次に何を言うのかはわかっているくせに、言わせたくて仕方がないらしい。

「……さ、触ってもいいぞ」

今さらな発言だと、言ってから気づく。もう触れられていない場所などないのに。
それでも、自分の意思でそんな希望を口にしたのは初めてだ。そして臨也もそれを望んでいるのだろう。吐息が震え、満足そうに腕の力が強められた。

「っ」

抱き締められている状態で身じろぎすると、臨也はゆっくりと腕をといて静雄の顔を覗きこんだ。

「……この状況でそんなこと言うとどういうことになるか、わかってる?」

笑っている。けれど少し困ったような。綺麗な顔に浮かぶ僅かの葛藤に、静雄は胸をくすぐられた。

「……わかってる」





「待って」

覆い被さるようにして静雄の上に乗り上げていた臨也が、ふいに体を離した。
部屋は適温だというのにその体温が恋しくて我慢のきかない体が震える。

「なんだよ」

不満をあらわに訊ねると、自分を見下ろす男の目が笑っていた。

「俺も、脱ぐから」
「っ」

そう言ってシャツの裾に手をかけると、臨也は躊躇いなく一息に脱いだ。
なめらかな白い肌と引き締まった上半身が惜し気もなくさらされて、思わず息を呑む。
そういえば臨也の裸を見るのも初めてだ。
服を着たままの性交ばかりを繰り返してきた自分たちには当然のことなのだが、これから行われる行為を想像して静雄は視線を彷徨わせた。
綺麗な体が眩しい。
それが自分の上で汗にまみれ、躍動する様を思うと顔が一気に熱くなった。

「ほら、これでお揃い」
「……下は?」

自分ばかりが恥ずかしいことへの意趣返しのつもりで言った。さすがに彼も下半身をさらすことには抵抗があるだろうと、僅かでも頬が染まればいいと思ったのだ。
ところが臨也は得心がいったように「それもそうか」と呟くと、なんの恥じらいもなくズボンを脱ぎ捨てた。
その勢いのまま、下着まで。

(う、あ)

彼の体を隠すものがなくなってしまった。
視線はどうしたって下肢にいく。まじまじと見ることがなかったせいで、あらためて臨也の性器を見るのはどうしようもなく恥ずかしかった。
同じ男のものだと思っても不思議なもので彼の体の一部、さらに言えば自分の中に入る箇所だと思うと性的な興奮を覚えた。
酷く、喉が渇く。

「馬、鹿みてえ」
「ふふ」

かすれた声に、臨也は触れるだけの口づけで応えた。
ばくばくと、みっともないくらいに飛び跳ねる心音はすでにばれている。
胸の上に置かれた臨也の掌がじっと熱を上げた。

「それでいいんだよ」

彼はこちらの悪態にも涼しい顔で、諭すように囁いた。

「だって幸せってこういうもんだろ?」

肌に触れる指が弧を描く。なんの意味もない動作に、けれど確かにそうだと頷くしかなかった。
その指が幸せを産むと知っている。ささやかでいいと思っていたのに、願った以上のものを返されてどうしていいかわからない。自分の不器用さには呆れる思いだったが、それでも辛抱強くこの男は躾けてくれると静雄はどこかで安堵していた。
悪戯心を起こしてその腕を取った。そのまま軽く腕を引いて彼の体を組み敷いた。シーツが滑り落ちる。
驚きに染まる瞳に満足していると、臨也は腕を伸ばした。

「こら」
「ひッ」

その手が反応もあらわな自分の性器に触れて、体が力なく彼の体の上に崩れた。
悔しくて鼻先にあった首筋に噛みつくと、普段は見せないようなあけすけで感情を前面に押し出したような声で臨也は笑った。





「ひ、う」

意地の悪い男の指が背中を這う。
どこにそんな力があるのかと思うほどいとも簡単に、臨也は静雄の体を自由にしていた。
彼を組み敷いていたはずなのに、いつの間にかうつ伏せにされていた。ハサミを使う必要なんてなかったんじゃないかと、視界に映る衣服の切れ端に溜め息をついた。

「肩甲骨のラインが綺麗だなあ。あと背骨」
「もうやめろって……!」

言葉通り骨をなぞるように指先が踊る。
くすぐったさと快感の狭間のような感覚に静雄は呻いた。

「自分では見えないだろう? ねえ、グランド・オダリスクって知ってる? わざと脊椎骨を増やさなくてもシズちゃんのほうが断然綺麗だ。間違いないよ、俺の審美眼は確かなんだから」

理解のできないことを言いながら臨也はちょうど背骨の中央あたり、腰との境に唇を落とす。両の手をベッドと静雄の体の間に滑らせて、胸の突起をいじった。

「あ、ああっ」

慣れない感覚に声が上がる。そんなところに臨也の指を感じるなんて想像したこともなかった。
繊細な指先は硬くなった乳首を柔く摘んではこすり上げる。

「でも俺は狭量だから絵に残したりしない。誰にも見せてなんかやらない」
「あ、やッ」

爪が立てられた。反射的に頭がそった。
臨也が耳元に舌を這わせる。吐息が耳朶を打った。

「俺だけが覚えておく。だから、誰にも見せちゃ駄目だよ?」

わざと水音を立てて静雄の羞恥を煽る。言葉の半分も理解できなかったが、とにかく誰の目にもこんな姿を見せるなと言われていることはわかった。

(見せるわけ、ねえだろ……)

見せようと思っても見せられるものでもない。こんなふうに乱れるのは臨也だからだ。
そのことをこの男はちゃんとわかっているのだろうか。

(それに)

「ん、あ……」
「ん?」
「お、おまえこそ」

誰かに見せたら承知しないと潤む瞳で睨みつける。すると一瞬の沈黙のあと、彼の顔が驚きに染まった。

「俺? ――ははっ、心配してくれてるの?」

笑い事ではない。本人に自覚がないことが余計に静雄の焦燥を焼く。

「ちょっとは警戒しろ、この馬鹿」
「そりゃ、シズちゃんに比べればか弱い男かもしれないけどさあ」

自分の容姿がどういったものか、わかってはいるのだろう。不承不承ではあったが素直に頷いた。

「じゃあさ」

顔を近づけた臨也は唇が触れ合いそうな距離で囁いた。
その瞳にからかいと確かな熱を見つけて、心臓が大きく跳ねた。

「人に見せられないような体にして」
(この――)

悪魔め。そう胸中で呟いた。人の心を侵すのが本当に巧い。
静雄は蠱惑的に微笑む唇に我慢できずにかぶりついた。






novel top
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -