スリーピング・ロスト


臨也はこれもまたいつ作ったのかわからない合い鍵で静雄の家に頻繁に訪れた。
連絡がある時はまだいい。気まぐれか事情があるのか、とにかく突然来られることには辟易した。
仕事から帰宅すると部屋に明かりがともっていたり、うたた寝をしていると人の気配で目を覚ましたり。そんなことが多々あった。
困るのだ。
そんな、臨也の存在が当たり前になってしまうのは。
一度覚えると取り返しがつかない。ずっと独りだったくせに。都合のいいことばかりに順応してしまう自分に嫌気がさす。
彼が来ることを期待する。気づけば傍にいるのではないかと妄想する。
本当に、困る。
慣れ親しんだ独りの時間や空間に寂しさを覚えてしまう。期待したあとに彼がいない現実に勝手に落胆して落ちこんでしまう。
こんな馬鹿みたいな独り芝居は、もういい加減にやめたい。
そう思うのに、いつだって静雄は臨也を迎え入れた。部屋に増えた彼の私物が少しだけ部屋と心を華やかなものにする。
静雄が特に好きなのは料理の巧い彼が持ちこんだ調理具たちだった。
海外メーカーの鍋やケトルは変わった形をしていたし、陶器でできた調味料の容器は装飾がこっていて見ていて飽きない。静雄自身が使うことはまれだったが、一番手に触れるのは対になった二匹の猫の塩入れと砂糖入れで、一番のお気に入りでもある。
白の猫には砂糖、黒の猫には塩が入っていた。
品のいい置物は自分の安アパートには酷く不釣り合いだったが、誰を招くわけでもないから気にならない。二匹の猫が互いのしっぽを絡めて寄り添う姿は微笑ましかった。





一度、よかれと思って砂糖と塩を継ぎ足したことがある。普段は臨也が知らぬ間に補充しているのだが、たまたま空いた容器が目についた静雄はその日の夜に来ると言っていた彼を待つ間の時間を持てあましていた。
豪勢な料理を振る舞ってくれることが嬉しい反面まったく役に立たない自分が申しわけなく、せめてと思ったのだ。
そして、お約束のような展開で塩と砂糖を間違えた。
そうとは知らない臨也が作ってくれた料理は、今まで食べたことがないような不思議な味だった。
つまり。
とんでもなく不味かったのだ。味にうるさくない静雄にもわかるほどに。
とても食べられるものではなかった。砂糖と胡椒の組み合わせはいいとは言えず、醤油と塩の組み合わせはただ辛いだけだった。

――……シズちゃん、つかぬことを聞くけど白い猫に入ってるのは砂糖だよね?

――塩じゃなかったっけ……? だって色白いし

――いや、砂糖も白いからね。……そんで違う! 逆! やっぱりかこの野郎……! つーか出しなさい! ティッシュ……ほらペッてして。美味しいわけないだろ。何黙々と食べてんの

――食い物を粗末にすんのは駄目だろ

――体に悪いわ! そういう、ちょいちょい常識人みたいな発言すんな。何? 君は内臓まで鋼のごとく頑丈なの? たとえそうだとしても関係ないね。俺が、嫌。それにこんな犬の餌以下のできは認めない。俺のプライドが……いや、ていうか俺の責任じゃないんだけどね、これ。とにかく駄目!

食べられないことはないと言う静雄を信じられない目で見ていた臨也に結局料理はすべて廃棄されて、二人でカップラーメンをすすったのはいい思い出だ。
臨也は怒っていたが静雄はおかしかった。まるでごく普通の恋人のようで、なんだかくすぐったかった。
この事件から静雄はようやく塩と砂糖の入れ物を間違えなくなったのだ。





そうやって一つずつ臨也のこと覚えていくのは楽しかった。何年も腐れ縁で繋がっていたのに、知らないことが多すぎた。知らないままでは味わえなかった胸の疼きを覚えるたびに無為にすごした時間が惜しまれてならなかったが、今だからこそという思いもあった。
学生の頃の自分では臨也への気持ちを認めるのも難しいだろう。きっと自分の気持ちを必死になって否定したに違いない。そういう諦めの悪さは、あの頃にはまだあった。
だからこれでいいのだと、静雄は自分に言い聞かせるようにあたたかで優しい時間を甘受した。
ずっと、そんなふうに可愛らしいごっこ遊びのような恋をしていられたらどれだけ幸せだろうと、今となっては後悔のように思う。どうしてそこにあるだけのものに満足できないのか、自分の浅ましさに呆れる思いだった。
これは、自業自得なのだ。
穏やかで平和な日常以上のものを望んだのは、静雄からだったのだから。






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