スリーピング・ロスト


いくら人間離れしているとはいえ、静雄も健全な成人男性だ。好きな相手には当然性欲も感じる。
それでも、しばらくは気にしないでいられたのだ。穏やかな日常が心地よかったからだろう。ふいに湧く、焼けつくような感覚には蓋をすることができた。
そうやって見ないふりをしていたのは単純に性行為だけではないと、その時の静雄は気づかなかった。
自分自身の中にあった汚いものが吹き零れたのは、臨也がそういった意味で静雄の体に触れた瞬間だった。

――シズちゃん

普段の穏やかな声の中に焦燥のような熱を感じた。臨也が自分に対して同じように思っているのだと知って、一度は手を伸ばしたのに。
彼は悪くない。
じゃれ合いのような触れ合いの中でそれ以上を求めたのは静雄だった。臨也はただ、自分の望みに従ってくれただけだ。
望んだことのはずなのに臨也の綺麗な指が自分に触れた瞬間、湧き起こったのは激しい自己嫌悪だった。全身が硬直して体が壊れてしまうような心許なさを味わった。
そして、穏やかな日々に覆い隠されていた不安が消えてはいないことを思い知った。
とたんに夢が覚めるような冷たい感覚が静雄の心に流れこんできた。考えてもみれば自分と臨也が恋人になるだなんてありえない。そもそも自分が愛されるだなんて、そんなことがあるわけがなかった。
こんな、汚い体。
それはずっと見ないふりをしていた現実で、まぎれもない本心だった。このままずっと気づかずにいられたらと抱いた淡い希望は消え去った。どうしたって、逃れられないものがある。





自分をさいなむ惨めさは、臨也を好きだと思えば思うほど大きくなった。
彼は綺麗だ。すべてが静雄と正反対で羨むことすらできない。
そんな男が、自分を愛して抱くわけがない。
臨也の体はあますところなく美しかった。自分の痛んだ髪とは違い女性も憧れるような艶やかな黒髪、すぐに傷のつく白くなめらかな肌、繊細な指先、蠱惑的な唇、澄んだ瞳、柔らかさの中で男性的な強さと硬さを備えた体、しなやかな四肢。その何もかもが静雄を魅了した。
だからこそ、目が覚めた。
一度溢れてしまった猜疑心は消えることはなく、静雄はかたくなに臨也との触れ合いを拒絶した。
臨也はきっと落胆する。こんな体を見れば。
飽きられるだけならまだいい。けれどもし、嫌悪を露わにされて蔑みの視線を向けられたら。
そう思うと恐怖で体が動かなくなった。
憎悪や殺意、それに軽蔑には慣れているはずだったのに。ほんの少し前までは、彼からそれらを向けられていることが当たり前だと思っていた。
それでいて、今さらそんなことにこだわっている。諦めたはずのものに縋っている。
そんな自分が酷く惨めで滑稽に思えた。

――シズちゃん

自分に向けられた臨也の優しい視線や声ばかりが脳裏に浮かぶ。きっともう、傷つかないふりも何も感じないふりもできない。自分を騙すことさえ難しい。
いっそ何もかもが幸せな夢であればいいとさえ思った。
そうすれば、目が覚めれば自分の意思に関係なくすべてが終わっているのに。





現実の臨也は静雄の態度を責めることも言及することもしなかった。
静雄もあからさまな拒否を示したわけではなかった。ちょっとした距離や空気に張り詰めたものが走るだけで、普段は平和で和やかな恋人として振舞うことができる。
けれど、聡い男が自分の不自然さに気づいていないなんて静雄はとうてい思えなかった。臨也の心中を推し量ることはできないが、愛情以外の気持ちを抱いていて、むしろ愛情など本当は持ち合わせていなくて当然だ。彼からすればようやく手懐けた飼い犬に手を噛まれた気分だろう。
嫌われて、当たり前だ。
もしかしたら好きだという言葉さえ、自分を懐柔するための方便だったのかもしれない。
本当はずっと以前から、出会った頃から繰り返していた憎悪を滲ませた言葉の応酬こそが本当で、邪魔な自分を消すための彼なりの策なのではないかと最近はそんなことばかり考える。
自分の拙い好意に応えるだけのメリットが臨也にあるとは思えなかった。
それでもいいと思う。
せめてその瞬間まで、嘘ばかりの関係でも恋人でいられるなら。
充分すぎるほど夢を見た。今だって見ている。こんな幸せは他にはない。
それだけが静雄の支えだった。





それでも最小限の接触でセックスをするようになったのは、あまりにも未練が勝ちすぎたためだ。好きだという気持ちも彼に湧く情欲も、そのすべてが本当だったことが静雄に惨めな選択をしいた。
何一つ信じられない中で恋人という形に縋る自分がどれだけ滑稽であるか、静雄にはよくわかっていた。
体だけでも、という感覚はない。この体こそが劣等感の塊だった。
臨也はよく受け入れたと、感心すらしている。いくら男の衝動が単純だとはいえ気持ちが萎えれば話にならないだろうに。
その反面、自分とは違い自分自身をコントロールすることに長けた彼なら大した苦労ではないと思うこともある。心と体の距離は静雄が思っている以上に大きいのかもしれない。
なんにしても彼の手は綺麗で気持ちがよかった。
当然だ。こんなに好きなのだから。
触れられるだけでどうにかなってしまいそうになる。
最中に肌に触れる行為のほとんどを避けているのに唯一、静雄は臨也に避妊具をつけさせなかった。
汚い体の汚い場所。そんな思いがあるくせに直接的に臨也を感じることを望んでしまう。
これは彼にとって排泄と大差ない。そう思うことで言いわけをした。汚されている気持ちなど微塵もないくせに苦しい言いわけに縋って臨也の熱を、感触を、そして確かに自分の体で絶頂を感じているという事実を確かめるために矛盾した願いを無理矢理聞き入れさせていた。
幸せだった。
歪んだ形ではあったけれど。
これ以上ないくらいに幸せで、いつだって泣いてしまいそうになる。






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