選ばれる / 選ばれない

 音が、聞こえる。
暴風が鼓膜に叩きつけられるような、津波が360°の全方角で逆巻いてるような、雷鳴が轟いてるような。
 休みなく、絶え間なく、脅かすように、急き立てるように、叫ぶように。
 音が、鳴りやまない。



私はいつも選ばれない人間だった。

みんながファフナーに選ばれる中、私はファフナーに選ばれなかった。私はいつもそう。みんなよりダメな子どもだった。いつもぼーっとしてしまって、頭が熱く、痛くなる。
コード形成値は基準値を上回るものの、同化耐性はパイロットになるには低すぎたし、認識コード制限レベルの移行にすら躓いた。遠見先生には、女子は移行時に心理障害を起こしやすく決して私だけがこの状態ではないと慰められたけど、認識コードが解放される度に自分が自分じゃなくなる感覚に取り乱す私は、自身をコントロール出来ない不甲斐なさに涙が止まらなかった。昔誰かに、名前ちゃんは幼いね、なんて冗談交じりに言われた言葉が、14歳の私を傷つける。
そして私はファフナーに選ばれないどころか、アルヴィスでの勤務にも選ばれなかった。心の問題から、戦闘に関わるアルヴィス本部での仕事は不適合だと通知が来た。これが遠見先生の優しさなのは分かってる。多分、私がアルヴィスで働くようになれば、今以上に心理的負荷がかかって周りに迷惑をかけるかもしれない。ダメな私は小さな時から、みんなに守られてばっかり。

いつも選ばれない私は、みんなが戦ってる間はできる限り、学校の屋上に居た。避難警報が出ても何度大人たちから注意されても、私はギリギリまで屋上から動かなかった。戦いが始まったらすぐに学校の屋上へ行き、仰向けになって戦いを見ていた。大空のスクリーンに映る大戦闘は現実味が薄くて、ここに居る事が一番気分が楽だった。ファフナーが動く轟音が周りの音を掻き消す。その音の世界が、私にはとても心地よかったのだ。シェルターで耳を塞ぎ、目を閉じて、なにも分からないまま戦いが終わるのを待つことの方が気がおかしくなりそう。この行為も大人たちから見たら「心理障害」と捉えられて、すぐに私はシェルターに詰められることになった。私は選ばれない自分を守るために、今までの日常を再現して、その世界に没入していった。


「私があんたを守ってあげる!」
「名前は心配しないで、大丈夫、私たち頑張るから」
 咲良も真矢も、一騎も甲洋も、剣司も衛も、そして祥子も…みんなパイロットの訓練でアルヴィスにいる。ずっと。メディテーション訓練っていうのをしているらしい。それがどんなものなのかは、私の認識制限コードでもなんとなく理解できた。パイロットになってファフナーに乗るみんな。パイロットに選ばれない、ファフナーに乗れない私。

自然と私の足はみんなから遠のいて、一人ぼんやりと過ごす日が多くなった。翔子と甲洋がいなくなって悲しむみんなを見ていると、より疎外感を覚える。翔子と甲洋のことは私だって悲しいのに、戦場を共有したみんなの悲しみと比べたら軽い気がしていた。ファフナーにも乗れずアルヴィスにも居れない私が共に悲しむことは、卑怯だ。選ばれてもいない私は、同じように悲しんじゃいけない。

今日もまた学校の屋上から空を眺める。偽装鏡面の内側に閉じ込められた空は、それでも私に開放感を与えてくれる。フェンスに背中を預けて空ばかり見ていると、私と空の間に一騎が入り込んできた。

「あれ、一騎」
「久しぶりだな、苗字」
「うん、久しぶりだね」

島のエースパイロットへと成長した一騎。私とは一番縁遠くなったはずの彼が一体どうしたんだろう。一騎はそのまま私の隣に座って、同じように空を見上げた。

「苗字はいつもここにいるのか?」
「うん。授業とか、家とか以外じゃ」
「そうか」

会話をしに来た訳じゃないようだった。
多分、なんとなくだけど、一騎はここに逃げに来たのかなと思った。島を守るために最前線で命を敵に晒すという重圧は私には想像すら出来ない。そんな過酷な事を一騎はいつも引き受けている。選ばれなかった私とは違い、彼は島からも、戦いからも選ばれた人間だった。選ばれた人間には、選ばれた人間の苦痛がある。

「総士と一緒じゃないの?」
「どうしてそこで総士が出てくるんだ」
「だって、仲良いから。それじゃあ、真矢は?」
「……今は、誰にも会いたくない」
「誰にも会いたくないって、私と話してるじゃん」
「…アルヴィスの制服を着た人とは話したくないんだ」
「どうせ私は選ばれなかった人間ですよ」

一騎の言葉は的確に私の心の柔らかい部分を抉ったが、言い返そうと見た一騎の昏い目の翳りに攻撃的な言葉は成りを潜めた。選ばれた一騎と、選ばれなかった私。あまりにも対局に位置するせいか、心地よい距離感を感じる。

「その方がずっといい」
「一騎は選ばれたくなかった?」
「…どうだろう、考えたことも無かった。俺がファフナーに乗って戦うのは当然の事で、そうなるのが当たり前なことなんだ」
「選ばれたっていうより、選ばされてるみたい」
「そう…だな、いつだって俺は、俺自身の手ではなにも選んじゃいない」
「難しいね。私たちまだ中学生なのに、こんな難しい話ばっかり。やめよやめよ、ねえねえ、あの雲なんだかうさぎみたいじゃない?」
「どれだ?」
「ほらあれ、あの雲」
「ほんとだ。………苗字は変わらないな、なにも」
「変われないだけだよ、私だけ。いつまでもあの毎日のまま、選ばれなかったから」
「それならやっぱり、苗字が選ばれなくて良かった」
「どうして?」
「苗字と話してるといろいろなこと忘れられるから」

いろいろなこと。戦うこと、みんながいなくなっていくこと、変わっていくこと。選ばれなかった私にはまだなんとなくでしか分からなくて、いつもの日常に一人取り残されている…いや、しがみついている。一騎とは幼馴染…とはいえこの狭い島ではみんながみんなそうだけど、とにかく、彼とこんなに同じ時間を過ごすのは久しぶりだった。私は小学生時代は咲良と、今は真矢や甲洋とよく一緒にいるから。一騎はなんとなく総士とセットのイメージがあったけど、最近はめっきりその組み合わせを見ない。一騎は、一人でいることが増えていた。
それから一騎は、たまにこうして屋上に居る私に会いに来るようになった。選ばれた世界に疲れると、選ばれなかったいつもの日常に帰って来るように。それは一騎が島を出て行くまで続いた。そして一騎が島を出て行っても、私はやっぱりここで空を見上げている。




 

竜宮島に帰って来た俺は、あの日みたいに学校の屋上へと向かっていた。久しく話さなくなってから、初めて苗字と会った場所だ。あの時苗字に会ったのは本当に偶然で、俺は屋上が苗字の特等席である事など全く知らなかった。

俺が言うのもなんだが、苗字は良くも悪くも変わらない奴だった。皆が否応なしに変わっていくなかで、あいつだけは不自然なぐらい、前と変わらない。まるでフェストゥムが襲ってきた、なんて、嘘みたいにいつも通りで。俺が戦闘について話したり愚痴を言っても、ふぅん、そうなんだ、大変だね、なんて日常の時となんら変わらない返事をされた。まるで「今日の抜き打ちテスト最悪だったよな」「大変だね」ぐらいの軽い返事。俺の方も心配して欲しいわけでも干渉して欲しいわけでも無かったから、その受け答えはひどく心地よかった。遠見も変わらないけれど、遠見よりもより非現実さを感じさせる不変が苗字にはあった。苗字は基本的に自分から戦いについて話す事は無い。意識的に避けているんじゃなくて、話す必要が無いと思っているようだった。戦えない自分が話すべきことではない、と。

俺の思い出の中の苗字は、率直に言って、鈍くさいやつ。頭は悪くないし、運動神経だって普通に良い方なのに、体育の授業ではよく転んだりしては、小さなケガが多かった。その度に蔵前や近藤が駆けつけて面倒を見ていた、そういうイメージ。よくぼーっとしていて、みんなの妹分、みたいな。その危なっかしさが逆にほっておけなくて、みんなの協調性を強くしていたようにも、今は思う。

屋上に繋がる扉を開けると、居た。いつもの場所でいつものようにフェンスに背を預けて、苗字はまだ空を見ている。その事に、俺はむしょうに「ああ、島に帰って来た」という感慨がわいてきた。だからあの日を再現するみたいに、無言で歩み寄って苗字と空の間に割りこむ。

「苗字」
「あ、一騎。おかえり」
「ただいま」

あ、一騎、おかえり。
無断でファフナーを使用し更には島を逃げだした人間に対して、返す言葉がたったのこの一言だ。

「謹慎お疲れさま、よければこれ食べる?謹慎終わったお祝いに」
「ありがとう…って、これ食べかけじゃないか」
「ちょっと端っこ割って食べただけだから大丈夫だって。そんな小さいこと気にするなよお」

ヘラヘラ笑って投げ渡されたのは隅っこが少し欠けた板チョコだった。欠けてない端を齧ると予想していた甘味ではなく舌を刺激する苦味に変な声が出た。

「なんだよこのチョコ、苦いぞ」
「カカオ80%だもんそりゃ苦いよ」
「できれば普通のチョコが良かったのにな」
「ファフナーに乗り始めてから味覚がちょっと変わってきたのかなあ。なんちゃって、本当は間違ってニガイの買っちゃったから、一騎に押し付けただけ」
「………今、なんて」
「あれ、総士から聞いてないの?私もついにファフナーデビューしたんだよ」

まただ、また苗字はなんということもなく、ありえない事を言ってのける。
乗った?ファフナーに?誰が…苗字が?まさか、そんな、ありえない。

「同化耐性がぶっちぎりビリだったのにどうして?って顔してるね」
「そりゃ、そうだろ……」
「一騎が島を出てから結構大変でさ。空いた穴をうめる為のパイロット補充が検討されて、どうしてか知らないけれど再検査したら私の適性が前よりもグンと伸びてたんだって。自分じゃよく分からないけどサヴァン症候群がようやく安定したとかなんとかで。ほら、私って昔からやけに耳が良かったでしょ?あれ、聴力異常だったらしくてね。言われみればそうだよね、何kmも先の音を拾うって。私が国語とか英語とか言語に強いのも、耳の良さに関連してるんだって。普通は何か国語も話せる人はいないって遠見先生が。あ、あとあと、私がやけにボーっとしてるのって、普通の人間以上に周りの音を拾うから、脳がパンクしないように無意識に、こう、セーブしてるせいなんだって!オーバーフロー?しないように」
「自分の事なのに随分あいまいなんだな…」
「一騎だってそうでしょ」
「そうだけど…それより機体は?」
「一部の部品とコアはティターン・モデルのプロトタイプを流用して、マークツヴァイと同型…つまり一騎の乗ってたエルフと同じタイプだよ。でも大部分をティターン・モデルから持ってきてるからみんなのより大きいの。ノートゥングと一騎が持ってきたザルヴァートルってやつの中間かな?」
「そう、なのか…」
「もう実戦にも出て何体かフェストゥムのこと倒したよ、島を守るために」
「……ごめん、苗字」
「は?なんで一騎が謝るの?」
「俺が島を出たせいで苗字がファフナーに乗ることに」
「ちがうちがう、一騎が出ていかなくても遅かれ早かれ私はファフナーに乗ってたよ。島の状況を考えれば戦力増やす事は必須だったしね。それに同化耐性の方は基準値はクリアしたけど、乗れる回数が低いんだ、多分あと1回乗ったら目とか赤くなるかも」

下まぶたを人差指で下に引っ張って目の色を見せる苗字は本当に島を出る前と変わらなく見える。しかし変化は既に苗字を捉えていた。人差し指の付け根に、パイロットの証である指輪状の跡が残っている。

「死ぬかもしれないのに、のん気だな、おまえ」
「ええ、私だって死ぬのは死ぬほど怖いよ。ん?死ぬのは死ぬほど?」
「あのなあ」
「…ほんと、怖いよ、このまま機体と同化しちゃったらっていうのもね。でももう乗れるようになったから、ファフナーに選ばれたから。翔子や甲洋に守ってもらった命だもん、私もやれる事はやりたい。やっと私も、みんなを守ることが出来るんだもん」

そうか、彼女は受け入れたんだ。ファフナーに選ばれた自分を、その先の未来を、あの日屋上で語り合った気持ちのままで。いつものように空を見上げながら。恐らく、この時を彼女は待ちわびていたのだろう。

「そうか…」
「うん、そう。今度からは戦場でもよろしくね、一騎」





「今日から出張で家を離れるから母さんの言う事をきちんと聞いて待ってるんだよ」
「出張ってどこに行くの?東京?」
「まあそこらへんだ」
「お土産期待してもいい?」
「そこそこにな」

私が笑顔で手を振りお土産や東京の話を楽しみにする隣で、母は何かを堪えるように父の後姿を見えなくなるまで見送っていた。私はなにも知らされず、いつもの日常を過ごしながら父の帰りを浮足立って待っていた。機械工を営んでいた父は島のなんでも修理屋のような仕事をしていて、今回の出張は新しい備品の買い付けだと言っていた。
そんな無邪気な私に父から届けられたものは無く、代わりに泣きながら私を抱きしめる母からの信じがたい言葉だけが残った。

「お父さんね、出張先で交通事故に遭って……亡くなったの」
「え?」
「遺体もひどい状態で、とてもこちらには帰って…これない…の」
「な、に言って…るの?死んだ?お父さんが?」

信じられなかった。父はもう二度とこの家に戻らないのだと、もうこの世界のどこにもいないのだと、理解出来なかった。家の仏壇に鎮座する父の遺影だけが、ぼやけた輪郭の死を私に突きつけている。

父が亡くなったのは交通事故などではなく、L計画によるフェストゥムとの交戦であると知ったのはそれから後、竜宮島にフェストゥムが攻めてきてからの事だった。父は開発員としてアルヴィスで働き、ファフナーの整備員を任されL計画に参加し、死んだ。生駒先輩や将陵先輩達もこの計画に参加していたと知り、私はすこしだけ納得してしまった。生前の父は生駒先輩の父と懇意にしていたからだ。父はティターンモデルの設計やL計画にも協力していたらしい。全ては人伝に聞いたもので私が父自身の口から真実を聞かされたことは一度も無かった。よく喋る人だったのに、ただの一度も。


「どうして名前なんですか?!だって今までずっと適性検査では数値も低くて」
「原因は不明ですが、最新の検査の結果ではコード形成値が規定を大きく上回っていました。問題だった同化耐性の方も、わずかですが基準値を超えています」
「そんな、そんなのきっと何かの間違いで。それに機体はどうするんですか?!」
「どうしたのお母さん、声外にも響いてるよ」

今日も今日とて学校の帰りに屋上でぼんやりしてから家に帰ると、玄関先に遠見先生と真壁司令が居た。母はその場に立ちつくして大声を出している。父とは対照的に物静かな人だから声を荒げる様に私は驚いた。父が亡くなった日以来の感情を剥き出しにする母は、その手になにか封書を持っている。封の開いたそこからはみ出した赤い色を見た瞬間に、母が取り乱した理由と司令がわざわざ家を訪ねた意味が分かった。

「……選ばれたんだね、私。ファフナーに」
「ッ!」
「苗字名前、君を新たなファフナーパイロット候補生として…」
「大丈夫です真壁司令、候補生じゃなくて。乗れるのなら、乗りますから」
「やめて名前!!」

靴も履かずにそのまま駆け寄った母が私を背に隠すように遠見先生と真壁司令からの視線を遮った。

「……君が搭乗するのは、君のお父さんも手掛けた機体だ」
「お父さんが…それって、ティターンモデルですか?」
「正気じゃないわそんなの、あの機体は試作品で、どれだけ不完全なのかはL計画で嫌というほど知ったでしょう?!」
「名前さんに乗っていただくのはティターンモデルとノートゥングモデルの融合型です」

遠見先生の言葉に私は首をひねった。融合型とはいったい何なのか。その様子を見た遠見先生が説明を続ける。
マークツヴァイは初戦で大破したマークエルフの修復に使われて機体のほとんど残っていなかった事。そのマークツヴァイを補う為に、島にプロトタイプとして保存されていた唯一のティターンモデルのパーツを利用した事。コアはティターンモデルのものでも、ジークフリードシステムは分割し機能はノートゥングモデルと変わらない事。

「あくまでパーツの一部を流用したのみで基本構造はノートゥングモデルどほぼ同じです」
「それでもこの子が危険なことになんの変わりも」
「お母さん、良いの。私もうたくさん守ってもらったから。その分ファフナーに乗って頑張るから」
「あなたはまだ14歳なのよ?!守られるのが当然の年なの…本当なら、あなたは…」
「ファフナーに乗るけど死ぬわけじゃないんだよ。生きて家に帰るよ、何度も何度も、ただいまって言うから」

不思議と衝撃は無かった。私が今まで選ばれなかったのは単に順番を待っていただけなんだと、自然とそう思える。ティターンモデルを組み込んだマークツヴァイが完成されるのを、きっと私は待っていた。私の同化耐性が上がったのも、マークツヴァイの完成に合わせたものだったんだ。父の残した機体が、私を選んでくれる順番を、ずっと待っていただけ。私はついに運命に選ばれた。これでようやく、みんなと同じ場所に立てる。お母さんには申し訳ないけれど、私の気持ちは決まっていた。

「乗ります。私を、パイロットにしてください」

 私はこの日、ついに、選ばれた。