素直じゃないきみは

「こんにちは、深津くん」
「ベシ」

 軽く頭を下げて図書カウンターに貸出カードと本を置いたのは一つ年下の深津一成くんだった。受付のイスに座る私を高い視座から見下ろし、彼は楽しそうにもつまらなそうにも見えるぼーっとした表情で貸出手続きをする私を眺めている。
 スポーツの強豪校と名高いここ山王高校は蔵書の品ぞろえが豊富で、学業に関係した工学の本から部活動に励む選手たちの為のスポーツ科学の本まで幅広い分野の書籍が置いてある。深津くんの場合は後者の本を借りに来る事が多かった。彼は一年生の時から図書室に通いつめ、ルールブックをはじめとしたバスケットボールに関する本をほぼすべて網羅し、今はスポーツ工学の入門書など身体のケアを意識した本を読み漁っている。王者と称されるバスケ部で二年生ながらレギュラーとして活躍する深津くんのこういう影の努力を間近に見て、私は彼に尊敬の念を抱かずにはいられなかった。

「今朝外を走ってる深津くんたちを見たよ、早くから大変だったね。おつかれさま」
「どうして朝早くに学校にいたんですか、ベシ」

 後付けのようになっている深津くんの変な接尾語は敬語と相性が悪い。科、委員会、部活すべてが違うから無理に敬語を使わなくて良いと言っても、運動部の厳しい上下関係が染み付いている彼はそれを拒んだ。私は、じゃあ語尾を外せば? とは思いつつ口にしないでいる。です、ますの後言いにくそうにベシをつける深津くんはちょっとかわいいから。

「昨日入った新刊の整理とラベリングが終わらなくて朝早く来てやってたの。ここって本の種類が多いから分類が大変」
「苗字先輩こそお疲れ様ベシ」
「深津くんたちバスケ部ほどじゃないよ」

 貸出カードに返却日を記入する私に向かって深津くんはまた律儀に頭を下げた。先ほどの通り、私と深津くんの間にはほぼ接点が無い。彼が図書室に本を借りに来て、図書委員の私が貸し出し対応をする。それだけ。
 深津くんがはじめて図書室に来た日を思い出す。カウンターの内側、彼の変な語尾にあっけにとられ動きを止めてしまった私に「口癖のようなものだから気にしないでくださいベシ」と貸出カードとピカピカの学生証を差し出された。一年、深津一成。学生証と坊主頭を代わる代わる見る。彼がバスケ部員なのは一目瞭然だった。
 強さと同じぐらい厳しい部活動として有名なバスケ部にこんな面白おかしい語尾をつけて話す子が入部して大丈夫? 等と心配になり、深津くんが図書室に来る度ちょこちょこ声をかけてはお節介を焼く仲になった。付き合いが長くなるにつれ彼の妙な図太さやバスケに対する揺るぎない自信とひたむきさを知り、私の心配は杞憂に終わった。彼は一年で頭角を現しスタメンの座に就くという偉業を達成したのだから。そして今年もまた、鳴り物入りで入学して来た有名人が一人いる。

「そういえば深津くんの後ろを走ってた子が噂のスーパールーキー? たしか名前は、えーと、沢北くん」
「……どうして知ってるベシ」

 深津くん以外のバスケ部員は大して知らない私が個人の名前を出したからか、彼は怪訝そうな顔で本を受け取る。

「バスケ部の練習見に行った友だちがキャーキャー騒いで教えてくれたの。すごくカッコイイ一年生が入ってきた! って。深津くんの後ろで涙目になってたけど、確かにカッコイイ顔だったからこの子だなーってすぐ分かった」

 とはいえ、深津くんの側にいなかったら見つけるのに時間がかかっただろう。失礼だけれど坊主頭の高校生はみんな同じに見えてしまう。周りより極端に大きかったりすれば違いが分かり易いのに、ハードワークで扱かれた彼らはみんなガタイが良い。唯一顔を合わせて会話する深津くんだけ見分けがつく。加えて、その沢北くんという子は個性を平均化する坊主頭に負けない目鼻立ちのはっきりした顔をしていたので判別出来たのだった。

「なんだか明るくて素直そうな、かわいい子だったね」

 数少ない二年生レギュラーの深津くんはもう一人の子(たしか河田くん)と並んで次期主将を期待されていると先の友だちから聞いた。もし深津くんがキャプテンに選ばれることになったら。沢北くんのような子がいるとチームの雰囲気も明るくにぎやかになりそう、なんてまた勝手にお節介を考える。
 でも、深津くんが三年生になるのは私の卒業後だから、バスケ部主将深津一成の姿を見ることはかなわない。それはとても寂しく思えた。

「………」

 何故か深津くんは私の言葉に反応せず押し黙っていた。あれ、男の子に「かわいい」は禁句だったかな。もしかしたら後輩をバカにされたと怒っているのかもしれない。

「先輩、オレにはかわいいって言ったことないベシ」
「………はい?」

 表情こそいつも通り、でも深津くんの声はあからさまに不貞腐れたもので私は目を見張る。
 だれが、だれに、かわいいと言ったことがないって?
 借りたばかりの本にポケットから取り出した栞を挟んで胸に抱く深津くんはまだ黙っている。私より背が高くて大きくて志高くバスケに打ち込む、いつも一人で図書室に来て私の余計なお世話にも乗っかってくれる、坊主頭で変な語尾をつけた一つ年下の男の子。
よくよく見るとほんの少し口をとがらせているように見えるのは、欲目ってやつなのかもしれない。だって。

「もちろん、深津くんもかわいいよ」
「………」

 欲しがったわりに深津くんはツーンと冷静なふりをして言葉なく、また小さく頭を下げて教室に帰って行った。でも私は知っている。さっき深津くんが制服の胸ポケットから取り出したヨレヨレの栞は、図書委員主催の読書週間の時に私が彼にあげたものだと。
 本当、素直じゃなくてかわいい。