我が愛を喰らえ



 深夜1時、今日は定時上がりだし明日は1日非番だからとなんだか眠れず、ココアでも作ろうかなと共用スペースの簡易キッチンへ向かう。住居区の廊下は流石に静まり返っており、ぺたぺたとスリッパの足音だけが響く。窓から外を眺めると、今日は一段と星が見えた。
 簡易キッチンがある休憩室は小さめだけれど座り心地の良いソファがあってお気に入り。自室にキッチンが併設されている部屋がほとんどだからあまり使われている様子はなく、勿体無いので私がほぼ独占して使っている状態。もちろん私の部屋にもキッチンはあるけど、気分を変えて過ごしたい時や仕事の合間に使っているのだ。

 深夜だから開閉の音が鳴らないようそっとドアを開ける。小さく音を立ててドアを開けると珍しく明かりが灯っていた。ここ数ヶ月ほど誰かが使っているところを見ていなかったたから驚いた。奥のソファにもたれ掛かり、さらさらとした銀髪が明かりに照らされ煌めく。印象的な美しさですぐに誰だかわかった、獄寺さんだ。どうしてここにいるのかわからなかったけど、なんだか落ち込んでいる様子。帰ったほうがいいかな、と思ったけれど口はすっかりココアの気分になってしまった。部屋にココアはないし、別に共有スペースだからいいか。
 戸棚から小鍋とマグカップをふたつ、小さめの冷蔵庫からは牛乳と密閉していたココアの袋を取り出す。少し体が冷えているから仕上げようにブランデーの小瓶も。くつくつと煮たつ牛乳にココアパウダーを大さじ2杯、ブランデーを少し。軽くかき混ぜて出来上がり。

「良ければどうぞ」

 いつもの特等席であるソファに座り、向かいのソファに腰掛ける獄寺さんの前にココアを置く。甘い物苦手じゃないといいけれど。
 私がこの部屋に入ってからソファに座るまでずっと獄寺さんは黙っていた。寝ているのかな、と思ったけれど近付いてチラリと顔を見るとエメラルドに似た綺麗な瞳はしっかりと開き天井を見つめている。

「…さんきゅ」
「!いえ、ついでだったので」

 余計なお世話だったかな、とココアを一口飲みながら思っているとお礼の言葉が聞こえ、少し驚きつつも言葉を返す。どうやら甘い物は嫌いじゃないみたい。そしてまたひとくちとココアを飲み、体が温まってきたことを感じていると、視線を感じて正面を思わず見る。目が合い、ココアを机に置いた目の前の彼からゆっくりと言葉が溢れる。

「…なあ、少しだけでいい。名前、話、聞いてくれないか」
「…えっと、私で良ければ」
「……助かる」

 ぽつりぽつりと溢れる言葉は反省の色に満ちていた。任務で失敗したこと、取引先と上手く話をまとめられなかったこと、ボスに少し休めと言われてしまったこと。いつもしっかりとしている獄寺さんからこんな話を聞くとは思ってもいなくて、気付けばマグカップは口元から離れ、膝の上に両手で持ちながら話を聞いていた。

「…とかがあって…ってわりい、話しすぎた」
「いえ、そんな事ないです」
「でも、ココアが冷めきってる」
「そんなの温め直したらいいんです」

 人前に立ち、ボスの右腕として、部下の手本として、守護者の一人として働く彼の弱みを初めて見た。その姿は私とひとつ年上のただの男のひとで、遠くに感じていた彼をずっと近くに感じた。マグカップを机に置き、獄寺さんの隣に腰掛け、そっと彼の手をマグカップからほどいて手を軽く握り、言葉を選びながら話し出す。

「獄寺さんは、凄い人です。いつも皆に指示を的確に出していたり、守護者の方々をまとめたり、任務先では後輩にも優しく接してくださるし、沢山助けられたっていう声を同期や後輩から聞きます。ボスも、いつも貴方には助けられてるんだと仰っていました。
それに邸内の整備を気にかけてくださっていますよね、言いづらいことも人越しに意見を聴けるように場を設けてくださいますし、非番の調整だって代わりに仕事を引き受けてくださって助かったという話を先日聞きました。先週の火曜日、代わってくださった後輩は私の友人です。久し振りに親御さんと会える日だったので本当に感謝していました。私からもお礼を言わせてください、ありがとうございました。」

 ここまで話し終え、はたと気付く。もしかして私喋りすぎなのでは。隣にいる獄寺さんは俯いていて表情は見えない。もしかして長く話しすぎたかな、どうしよう絶対変な人だって思われた。口を閉じてから数秒しか経っていないはずなのに、体感では10分くらいたった気がする。軽く握った手は少し汗ばみ、壁にかけられた時計が時を刻む音だけが室内に響いた。

「あの、えっと、すみません話しすぎました…その、私はこれで…」
「…待て」

 そろりと握った手を解き、自分の方へと戻しながら辿々しく帰る旨を伝えると少し距離のできていた手が再び引き寄せられ、強く握られる。思わずえっ、と口から溢れた言葉が静かに落ちた。

「…もっと」
「え、?」
「もっと、言ってくれ」

 その言葉が目の前の彼から弱々しく呟かれたのだと、耳に入ることで認識はしているのに、動揺して信じられなかった。だけど、それ以降黙り込んだ彼を見て、この人には側で当たり前に肯定してくれるひとがいないのだと思った。獄寺さんの周りには背中を預けられる仲間がたくさんいる。だけれど、弱みを吐き落ち込んでいる状態を見せる相手ではないのだ。きっと彼は守護者の前では勿論のこと、ボスの前では弱みは吐かない。いつも通りのボスの右腕であろうとするのだろう。

 偶然居合わせただけの私だけれど、彼の良いところはもっとずっと、沢山知っている。人の良さで多くの部下に慕われているからという理由もあるけれど、私はずっと、この人の背中を見てきたんだ。最初に貴方と出会った数年前から、ずっと、お慕いしていますから。
 偶然の産物だけれど、この時間にこの場所に来た数分前の自分に感謝しつつ、隣に座る貴方の良いところを僭越ながら教えてあげよう。それが貴方の心に少しでも響いているのならば幸いだ。

20200731


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