同じ色に染め上げて



 ガタガタと動く椅子の音で、ぼんやりとしていた頭がようやく動き始めた。あれ、もうこんな時間なんだ。時計の針を確認して、ノートの端に小さく書いていた落書きをペンケースで隠しながら日直の気怠げな挨拶に合わせて立ち上がる。午後の授業はひたすらに眠い、号令もなんだか覇気がないのは仕方ないことだろう。
 今日の授業も残すはあと一つ。さて次の科目は、とテキストを引っ張り出して準備をしていると、ふと教室の壁に貼ってあるカレンダーが目に入った。そして、そのまま視線は私の前の席で止まる。

「……ねえねえ獄寺くん、いま欲しいものって何かある?」
「はあ? 急に何だよ」

 つん、と人差し指でつつきながらそう尋ねると、怠そうにこちらを振り返り、眉をひそめる綺麗な横顔が見える。眠たげなせいか、いつもよりも水分量の多い瞳が覗いて少しだけ心臓が跳ねた。まあ多分、欠伸しただけなんだろうけど。端正な顔立ちが影を差す様はどこか耽美さをも感じるような気がして、イケメンは何してても似合うんだなあと謎に感心さえしてしまいそうだ。

「ほら、お腹とか空いてない? お菓子とかジュースとかさ、欲しくない?」
「さっき飯食ったばっかだろうが」
「それもそうか。あ、チョコ食べる?」
「いらね」
「そっか」

 最近お気に入りの糖質ゼロのチョコ、結構美味しいんだけどな。そっと小分けの袋を彼の肩に乗せてみたが、わざとらしく肩を落とされてそのままなだらかに私の机へと滑り落ちた。ちょっとピタゴラスイッチみたいで面白い。もう一度置いてみると、「なんなんだよほんとに……」とため息を吐きながらくるりと前を向かれてしまった。

「ごめんって、ピタゴラスイッチもうしないから」
「誰がピタゴラスイッチだ! ……つーかどうしたんだよお前、今朝からソワソワしやがって。言いたいことあるならさっさと言え」
「あ、今朝から気づかれてたんだ」
「苗字が分かり易すぎるんだよ」

 獄寺くんは意外と気配り屋さんであり、よく周りを見ている。それは今回の席替えで前後の席になってから知ったことで、それまではイケメンだけどちょっと怖いヤンキーと思っていた。というか、そんな噂ばかり耳に入ってきていたし。けれど、授業中に落とした文具を拾ってくれたり、板書が追いつかなかった時の小さなため息と呟きを拾ってノートを貸してくれたり。そんな細やかな気遣いに、彼は優しい人なのだと認識を改めたのである。
 それに今だって、さも今気が付いたかのように話しかけたはずなのに、私が朝から実はカレンダーを気にしていたことなんてとっくに気が付かれていたらしい。そんなに顔に出てたのかな、と頬に手を当ててみても、いつもと違うなんて自分では分かるはずもなかった。

「うーん、じゃあシンプルだけどさ、先に言葉だけ伝えるね」
「言葉?」
「誕生日、おめでとう。獄寺くん」

 本当にシンプルな、そのままの祝いの言葉。まどろっこしいことよりも、多分ストレートに伝えたほうが彼にとっては分かりやすいのかもしれない。だってほら、帰国子女だし。変に遠回りに聞くんじゃなくて、最初からこうすれば良かったな。
 虚をつかれたような顔をした獄寺くんは、そういうことかと呆れたようにため息を一つ吐いた。頬杖をつきながら、けれど私の方を少し見て「……ん、ありがとな」と照れくさそうに笑う。その顔はなんだか、いつもよりも柔らかい微笑みで。大人びた転校したてのツンとした表情とも、沢田くんたちと一緒に騒いでいる時の表情とも、少し何かが違う気がした。

「つまりあれか、さっきまでお前が聞いてきてたのは誕生日に何が欲しいかって質問だったわけだ」
「うん、そうなるね」
「ったく、なら最初からそう言えよ」
「渡す時にお祝いの言葉も言いたいな、と思って。回りくどくなっちゃってごめんね」
「別に良いけどよ、……欲しいもの、か」

 獄寺くんの好きなもの。私が思いつくのは、美味しいと言ってた山本くん家のお寿司、写真を見せてもらったことがある猫ちゃん、少し不思議な生き物や謎の多いもの。多分、それぐらい。下手にお菓子とか買ってくるよりも、猫ちゃん用のグッズとかの方がいいのかな。商店街のペットショップを携帯で検索していると、「なあ」とかけられた声に釣られて視線をあげた。

「何か思いついた?」
「ん、まあな」
「言ってみてよ。まあ、あんまり高いのは無理だけど」
「別に金はかからねえよ」

 お金はかからない、と言うことは何かをして欲しいとか、何か頼み事だろうか。私にできることならという前置きを伝えた上で身構えていると、小さく手を招かれて少しだけ獄寺くんの席の方へと体を寄せる。内緒話をするかのように私の耳の近くへと彼の口元が寄る様子が、まるでスローモーションのようにゆっくりと目に入った。

「今日の放課後。苗字と一緒に帰りてえんだけど、……良いか?」

 それは、予想していたものとはまったく異なる言葉で。はい? と気の抜けた声が漏れて、思わず近くにある綺麗な顔を間近で見つめてしまった。その時間は多分三秒ぐらいだったと思うけれど、賑やかな教室の片隅、私達だけが一瞬だけ世界から切り取られたかのように感じた。
 少し赤く染まった耳朶が、美しい銀髪の隙間から僅かに覗く。その意味は、自惚れても良いのなら、きっとそういうことなんだろう。

「あの、えっと、」

 ひとまず何か、返さないと。そう思って開きかけた口は、授業開始のチャイムの音に遮られた。前を向いてしまった彼の背中を見つめながら、お決まりの号令に合わせて気の抜けた挨拶を口にする。答えは既に決まっているのに、約一時間ほどの拘束時間がもどかしい。だって私の耳元は今、獄寺くんよりもきっと、赤く熟れた林檎ような色をしているだろうから。

20230910


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