雨音に芽吹く



 薄暗い雲が空を覆い、グラウンドには大きな水溜りが点々とできている。朝のニュースでは曇りの予報だったはずが、午後の授業あたりから崩れ始めて今では激しい水音が屋根や地面を叩いていた。雨の日の廊下は少しジメジメとしているし、癖のある髪の毛がうねるからあまり好きじゃない。既に外側へとそっぽ向き始めた髪を指先でくるりと丸めた。

「苗字、まだ居たのか」
「え、獄寺くんこそ珍しいね」
「ちょっと用事があったんだよ」

 たまたま図書室で課題をしていた私と、どうやら職員室に呼びされていた獄寺くん。昇降口まではどうせ同じ方向、どちらから何を言うわけでもなく二人並んで歩き出した。
 人気の少ない廊下に二人分の足音と、窓に打ち付ける雨音が不規則に聞こえる。今日はこの雨だから室内以外の部活はお休みらしく、この時間帯になると人の気配も少ない。今日の数学面倒くさい課題だったよね、明日の小テストだるいな、なんてたわいもない話をしているとあっという間に自分達のクラスの靴箱が見えてきた。

「あ、……クソ、ミスったな」
「どうしたの?」
「いや、……なんでもねえよ。ちょっと野暮用思い出した」
「もう時間も遅いし、それって明日じゃダメなの?」

 時計の針は既に7時を回りそうで、いくらまだ日が長いと言っても今日は天気も悪いし外はもう薄暗い。いいから、と言って踵を返す獄寺くんを見ると、ふとその腕に掛けられた鞄の薄さが目についた。いつも教科書があまり入っていない通学鞄は、今日も相変わらず何が入っているのかと思うほどに薄い。もしかして、もしかすると。

「ねえ、獄寺くんもしかしてさ、傘忘れた?」

 ぴたり、校舎へと戻る足が止まった。やっぱり、なんだかそんな気がしていた。私に余計な心配かけないように、後から走ってでも帰ろうだなんて考えていたのだろう。不器用なクラスメイトの優しさがなんだかおかしくて、嘘がバレてちょっと赤くなった耳元が可愛らしかった。

「よかったらさ、一緒に帰らない?」
「……ハァ。ほんと、お人好しだなお前」

 暗くなってきたし、仕方ねぇから一緒に帰ってやる。なんて、また素直じゃない言い方につい口角が緩んでしまう。私の持っていたお気に入りの花柄の傘を奪うと、どうやら代わりに持ってくれるようで私のスペースを半分開けて待ってくれた。お邪魔しますと言うと、俺のじゃねえけど、と言うからおかしくて二人でくすりと笑った。

「苗字、お前家どっちの方?」
「途中の歩道橋渡って、左曲がったらもう少し先ぐらい」

 借りたからには家まで送る、という意思は固く譲らない様子なのでお言葉に甘えて送ってもらうことになった。私よりも背の高い獄寺くんの一歩は私よりも大きいはずなのに、同じ速度で歩く時間が少しくすぐったい。先程までよりも静かにぽつりぽつりとした会話は、雨にかき消されないように、互いに耳を傾けながらゆっくりと続く。薄桃色の傘に覆われ、二人だけの小さな世界のようだった。

「あ、ごめん」
「いや、別に」

 曲がり角に差し掛かった時、ふいにこつん、と腕が当たった。謝ると同時に横を見ると、絡んだ視線が思っていたよりも随分と近くて一瞬足が止まる。まるで何事もなかったように歩みを始めるけれど、触れた腕の部分が急に熱を持ったように感じて鞄を持つ指先をきゅっと丸めた。
 ひとつ深呼吸をして誤魔化すように隣を見上げると、ばちりと目があってしまいすぐに目を逸らす。けれど、その時に気がついてしまった。道路側を自然と選んで歩いてくれていたことも、傘が私の方に傾けられていることも、その反対側の制服のシャツが雨を含んで濡れていることも。

「獄寺くん、ありがとう」
「は? 急に何だよ」
「ううん、なんでもない」

 この淡い気持ちはまだ、私だけのものにしておこう。いつか、もっとこの想いが大きくなった時には君に伝えさせてほしいな。
 ぱしゃりとローファーが雨を蹴る。土砂降りの雨で沈んでいた気持ちは上がっていて、私のはずむ心のように外側にハネた髪先がくるりと踊った。

20221105


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