黎明に射抜かれた心臓よ



 まだ夜も深く、街全体が眠りについている時間帯にふと目が覚めた。夜明けまで後一時間程度というところだろうか、布団からはみ出ていた足先がひんやりと冷たくて指先を丸める。もう少し眠るか、いっそ起きていようか。幸せな悩みにとろけながらも、たまには良いかと勢いよく起き上がった。

「わ、風が冷たい」

 軽く上着を羽織り、まだ仄暗い室内を静かに歩き出す。目的地は屋上庭園、この屋敷の中で一番お気に入りの場所。手入れは庭師の方がしてくれているけど、たまに私もお手伝いしたり、ファミリーのみんなも息抜きでやってくる憩いの場だ。少し古くなってきたドアをゆっくりと開くと、鮮やかな色と華やかな香りが飛び込んできて思わず感嘆のため息を吐く。まだ暗い空の下でも美しい花々は、ランプで照らしていないのにもかかわらずひとつひとつの存在感が素晴らしい。

「なんだ名前、随分と早起きだな」
「び、っくりした、……あなたこそ、随分と早起きね」

 急に聞こえた、いつもよりも抑えた声色に驚いて振り向くと、煙草の煙を揺らしながらくつくつと笑ってこちらを見るすらりとした体躯が見えた。どうやら先客がいたようだ。

「こんな時間に煙草なんて、物好きね」
「眠気覚ましに丁度良くてな、お前も吸うか?」
「遠慮しておく、私は紅茶の方が好みよ」

 ほろ苦いその香りは嫌いではないけれど、特別好みでもない。楽しげに微笑んで煙を燻らせる様子は様になっているが、いつもより少し覇気がない。明け方に近いとはいえこの時間に起きていると言うことは、何か仕事を終えた後なのだろうか。彼は、ボスの右腕として働きすぎなところもあるから少し心配だ。そう言ってみたところで、彼はどうってことないという顔で誤魔化すのだろうけど。

「……ボスが言ってた、最近Gは働きすぎだって」
「んなことねえよ、人並みだ」
「嘘つき。隈、できてるじゃない」

 乾燥気味の肌にそっと指先を滑らせ、目元の濃い隈に触れる。急に触れられたことに驚いたのか、ぴくりと肩が動いたけれど特に抵抗せずされるがままでいるGに少し驚いた。ゆっくりと労わるように、私の指先の温度が低めの体温の彼を暖められるように。そうしてしばらく触れたままでいると、手持ち無沙汰になっていた煙草の火を消すと目元に触れていた私の手にするりと指を絡めた。

「さっき、お前が廊下を歩いているのを見かけた」
「え、?」
「こんな時間なのにやけに楽しげで、どこへ向かっているのかと考えてみたら、名前がここをえらく気に入っていたのを思い出してな。それで、先回りをしてここへ来た」
「そ、そうなの、……えっと、どうして?」

 絡み合った指先はそのままに、まるでダンスを踊るかのように腰をぐっと引き寄せられて距離が一気に縮まる。こんなにも近くでGを見るなんて初めてで、端正な顔立ちに仲間といえど緊張が走った。──美しい真紅の瞳に、私だけが映っている。そう思うと頬が熱を帯び始め、そんな私を見てGは楽しそうに口角を上げた。

「今日名前に、一番に会いたかったから」
「……それ、って」
「そんなに愛らしい顔をしてたら、すぐに捕まっちまうぞ。──俺みたいな、悪い奴に」

 耳元で低く、あまく、言葉が響いた。どうしよう、さっきから、心臓の音が鳴り止まない。苦しくて、甘くて、視界がくらくらとして呼吸が浅くなった。吐く息も、触れたところも、全部が熱くて痺れてしまいそうだ。

「顔、真っ赤だな」
「誰の、せいだと……!」

 思わず後退りをすると、軽く結っていたリボンが解けていたずらな風が二人の間を吹き抜けた。強風に思わず目を瞑ってしまった私を笑うと、Gは広がった私の後ろ髪を一房掬い、愛おしさを煮詰めたような、艶やかな表情で見せつけるように唇を落とした。──そんな色っぽい表情も、紅茶に入れる角砂糖みたいな甘い声も、全部全部、私は知らない。
 庭園に咲き誇る薔薇のように真っ赤になってしまった私を揶揄うかのようにくつくつと笑うと、名残惜しそうに私の髪の毛をすき、耳にそっとかけた。自分の羽織っていたジャケットを私の背にかけると扉の方へと歩き出す。

「風邪ひくなよ」

 ニヒルに笑ったその顔は既にいつも通りのGなのに、高鳴る心臓の音はもう隠しきれないぐらいに煩く鳴り続けている。彼が立ち去ったのを確認すると、ゆっくりとその場へしゃがみ込んだ。いつの間にか差してきた陽の光に照らされながら、ほてった頬を両手で包み込む。気付きたくなかったのに、最後の一押しで半ば強制的に気付かされてしまった。ずるい男、きっと手慣れている。それなのに、さっき触れた熱に、また触れたいと願っている。──これはもう、手遅れだ。私はGに、恋をしてしまったのだ。

20221025
ワードパレットよりお題をお借りしました


- ナノ -