その強引さは無敵



「あの、雲雀さん、私にも仕事があるんですけど」
「どうせ君のことだ、急ぎのものは無いだろう。それに一日ぐらい変わらないよ」
「そんなあ…」

 目の前に積み上がるのは書類の山、山、見渡す限りの山。どれぐらい溜め込んだらこんなに積み上がるのかと言うほどの量だ。偶然雲雀さんの執務室を通りがかったが最後、丁度良いところにと声を掛けられてあれよと言う間に気付けば書類の山に囲まれていた。酷い、横暴だ。なんて悪態を吐きたいけれどトンファーをちらつかされたら黙るしか無い。

「名前、日付ごとの並び替えが終わったら同じ日付のものは全部ホチキス止めしといて。印鑑はこれ」
「わ、ちょっとこれ、私が押しちゃって良いんですか?」
「構わないよ、ほら茶ぐらい用意するから手を動かして」
「……はい」

 ぺらりと書類を捲る音、見ただけで質が良いと分かる万年筆がさらりと紙面の上を動き回り、換気のために開けられた窓から心地の良い風が吹き込む。ふと区切りの良いところで顔をあげると、いつの間にか集中していたようで、時計の針は訪れた時よりも随分と進んでいた。ようやくひと段落がつき、ぐっと両腕を伸ばして深く深く息を吐く。

「や、っとひとつの山が消えた」
「15時か、少し休憩にしよう」

 執務室の奥にある小さめの簡易キッチンに向かう後ろ姿を見て、慌てて手伝いに行こうかと席を立つと「良いから座ってなよ」とストップをかけられた。雲雀さんが給仕のような事をしていることが見慣れず、また自分がさせているという事実になんだか落ち着かない。手持ち無沙汰に書類をまとめたり端のほうに退けて待っていると、ふわりと緑茶の良い香りが室内に漂ってきた。急須に湯呑み、そして淡く彩られた茶菓子が乗ったお盆を持ってくると、机にひとつずつ丁寧に並べていく。所作のひとつひとつが綺麗で、先程手伝いを制されたのを良いことに思わずじっと見惚れてしまう。

「ありがとうございます、雲雀さん」
「30分休んだら作業に戻るよ」
「はい、……ってこれ、最近出来た凄く行列ができてる和菓子屋のじゃないですか!」
「へえ、そうなの」
「知らなかったんですか?草壁さんが買ってきてくれたのかな」

 心の中で感謝を述べつつ柔らかい練り切りをゆっくりと掬い口に運ぶ。ほろりとした優しい甘味の餡が口の中で溶けていくのがたまらなく美味しい。甘いものは疲れに効くというのは間違いない。

「随分と美味しそうに食べるね、君は」
「だって本当に美味しいんですよこれ、雲雀さんも食べてみてください」
「へえ、じゃあ貰おうかな」
「是非! って、え、ちょっと……!」

 雲雀さんは目の前に優雅に座ったまま、私が持つ菓子楊枝を私の手ごと包み込み練り切りを器用に一口サイズに切り分け、そのまま自らの口元へと運んでいく。私よりも少し低めの体温が手のひらから伝わり、状況を理解すると指先からじわりと熱を帯びていった。

「な、なんでそういう食べ方を、!」
「なかなかの味だね、暫く贔屓にしよう」
「あの、聞いてます……?」
「聞いてるよ」

 そう言うと菓子楊枝を皿に置き、未だに掴んだままの手を緩く絡めとった。私よりもひと回り以上大きな手のひら、白くて細いけれどゴツゴツとした男の人らしい指が手の甲をなぞり思わず肩が跳ねる。その様子を見て雲雀さんは楽しそうに目を細めて笑った。

「買ってきたのは僕だからね、どう食べようが僕の自由だ」
「ご、強引すぎる……!」
「なんとでも。それに、強引なのは嫌いじゃないだろう?」

 そうじゃないと君は最初からここに居ない。そう指摘され頬が紅潮していくのがわかった。目線を逸らす程度の反抗しかできないぐらいには否定できないのだ。そして、それが分かっているのに私を呼び付けた雲雀さんは本当にずるい。

「さあ、もう30分は経った。仕事に戻るよ、名前」

 ほんの少しだけ名残惜しそうに指の腹で私の手のひらをゆるく撫でてから離すと、既にいつものポーカーフェイスに元通り。振り回されている、そう分かっているのに高鳴る胸はなかなか鳴り止まずに冷めつつある緑茶を一気に煽った。ほのかな苦さが、浮ついてしまった気持ちを少しだけ沈めてくれた気がする。この書類が終わったら絶対ちょっとは文句言ってやるんだから。密かに決意をすると、眠気や怠さを飛ばすように深呼吸をして酸素を目一杯取り入れ、残りの書類の山にゆっくりと手を伸ばし始めた。

20221023
Twitterにてワンライで書いた
こちらのリメイクです


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