いつまでも分からずやなきみに



「獄寺くん!おはよう!」
「……またお前か、名前」

 元気の良い声と共に、勢いよくブンブンと手を振りながらこちらへかけてくる、ここ最近見慣れた姿。歩道橋の階段をテンポ良く降りきるとまっすぐに俺の方へと走ってきた。陸上部所属らしく、その速さに驚いていた頃が既に懐かしい。

「ふふ、待っててくれてありがと」
「別に待ってねえよ」
「そっか、わたしが追いついちゃったんだ!」
「そーなんじゃね」

 「へへ、また足が早くなっちゃったかな」なんて呑気にニコニコと、俺の右隣は並んで歩き出す。こいつと出会ったのは数ヶ月前、たまたま他クラスへ用事があり顔を出したところ廊下付近のこいつに話しかけたことがきっかけ。

「あー、……おい、お前。このクラスの担任どこにいるか知ってるか?」
「……、あ、私?えっと、今職員室へ忘れ物取りに行ってるから、もうすぐ戻ると思うよ」
「どーも」
「あ、ちょ、ちょっと待って!」
「……なんだよ」
「きみ、お名前は?」

 用事を後回しにしようかと踵を返すと、くいっとブレザーの裾が握られ仕方なく振り返った。名前なんて聞いてどうするんだ、とか。転校生ってこともあって俺の名前そこそこ有名だけど、なんて言い訳が頭をよぎった。けれど、振り返った瞬間、ばちりと大きな瞳と目が合う。きらきらと、まるで星空を詰め込んだかのような瞳に吸い込まれそうになった。そして思わず、「獄寺、隼人」と自分の名を呟いた。

「獄寺、隼人くん」
「……もういいだろ、離せよ」
「あ、あの!」

 何でこんな女にわざわざ名を教えたのか。ただの気まぐれ、別に名前ぐらい、なんて言い訳が思い付いては消えていく。さっさと自分の教室へ戻ろうと歩みを進めると、再び背後から声がかかる。そのまま振り返らず、歩みを止めないでいるとガラリとドアの開く音と共に軽い衝撃が背中にぶつかった。

「ッ、お前、なにしてんだ」
「ご、獄寺隼人くん!わたし、わたし、……」
「……なんだよ」
「君のこと、好きになっちゃった」

 きらり、まあるい瞳がきらめく。へにゃりと笑ったまま一言、少し乱れた髪を撫で付けながらそう言った。「一目惚れしちゃったの、初めて!……また、会いに行くね」一方的に言い残すと、ぱたぱたと上履きを鳴らしながら去っていく。ひとり、呆けたままの俺を廊下に残して。

「今日はお昼に遊びに行くね、美味しいお菓子があるよ!」
「……毎回、お前も飽きねえな」
「飽きないよ。だって、君のことが好きだもん」

 毎日のように発される「好き」の言葉は軽いように見えて、毎回本気の発言だ。俺を見つめる瞳はいつも“愛おしい”という気持ちが誰にだってバレバレ。その視線に慣れることは未だになく、正面から見つめ返すなんて到底無理で。ちらりと横目で、頭ひとつ分は小さなその姿を見る。視線に気がついたのか少し上を見上げた名前と目が合い、そのままふわりと微笑んだ。

「どうしたの、そんなに見惚れちゃって」
「んな訳ねえだろ」
「絶対にいつか惚れさせるから、覚悟しといてよね」

 そう言って無邪気にわらう名前はやけに眩しくて、目を逸らしたいのに何故か釘付けになる。ふんふん、と音程が若干外れた最近流行りのラブソングの鼻歌は幼い子供のようなのにどこか愛らしく思えて、段々と早まる心臓の音にぐしゃりと制服のシャツを握る。身体の中から沸々と熱くなるようなこの感情を、くらくらとするような熱の意味を、俺はまだ知らない。その名を知る頃にはきっと、あの太陽みたいな笑顔をまっすぐと見つめることができるのだろうか。

20221023


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