内緒のはなし



 あのね、内緒にしてたことがあるの。
 そう言って穏やかに微笑む姿がとても美しくて、そして儚く消えてしまいそうな透明感があるように見えた。ふわりと吹き抜ける風がいたずらに髪を撫で、手で押さえつけながらダンスでも踊りそうな勢いの彼女を追う。

「内緒?どんなことかな」
「ふふ、なんだと思う?」

 ご機嫌な彼女はすぐには答えを教えてくれないようで、こちらに問い掛けながら真っ白なスカートの裾を翻しながら軽やかにステップを踏んで自分より少し前を歩く。少しだけ高めのヒールがカツンと音を立てアスファルトを蹴った。

「うーん、育ててた花が開花した?」
「違うよ」
「じゃあ、勉強してた努力が実った?」
「ううん、それも違う」
「うーん難しいな…」

 お菓子がうまく作れた、読みたかった本が見つかった、いろいろと思い浮かぶものをぽんぽん上げていくけれどなかなか正解が出ない。もしかして、彼女にとって良いことではなく、良くないことなのだろうか。ご機嫌そうな様子からはそうとは思えないけれど、もしかしたら隠すためにわざと振る舞っているのかも。けれど、彼女が嘘をついているそぶりなんてちっとも感じない。

「そろそろ答えを教えてよ、名前」
「えー、仕方ないなあ」

 勿体ぶるようにくるりと髪の毛を弄びながらこちらを振り向く。日差しを浴びてきらめく瞳が、僅かに潤んでいた。まさか泣いてるだなんて思わなくて動揺のあまりに小さく声が漏れる。けれど、瞬きをした瞬間に見間違いかのようにその涙は消え失せ、まあるい瞳は穏やかに凪いでいた。

「わたしね、結婚するんだ」

 そう言った名前は、いつもよりずっと大人びていて、優しく温かな聖母のような慈悲を感じる笑みを浮かべていた。名前越しに見えた太陽が眩しすぎて、僅かに目を細める。そのまま瞬きを一回、二回と繰り返すけれど、目の前の光景は変わらずに綺麗なままで。日光の眩しさにやられたかのようにくらりとめまいがした。長袖のカーディガンからちらりと見えた左手の薬指が、光を反射してやけにギラついて見える。

「け、っこん…?」
「うん。…ほんとはね、ずっと前から決まってたの。二十歳になったら結婚するって」
「え…?そんなの、だって、」
「…報告が遅れてごめんね、ツナ。籍だけ入れて挙式はしないから、せめて口頭で伝えたかったの」

 少し恥じらうように頬を染め、形の良い小さな唇が溢していくひとつひとつの言葉が耳をすり抜けていく。夢だ、こんなの夢だよ。だって名前はオレの幼馴染みで、小さい時から側にいてくれて、これからもずっと、ずっと、一緒だって。そう思ってたのは、オレだけだったのかな。

「……おめでとう、名前」
「…ありがとう」

 ぐるぐると回り続ける思考のまま口から出たのはありきたりの祝いの言葉。君が誰かのものになるだなんて実感は無くて、いつもの左隣がぽかりと空くようになるなんて、想像できないししたくなかった。グッと強く握り締めた左手がやけに痛くて、現実なのだということを証明しているのに。自分のことで精一杯で顔を伏せてしまったオレには、名前が安堵したかのように小さくため息をついていた事なんて気が付かないまま。

20201016


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