あまくないどく



 いつも気になっていた甘い香り。最初は鼻につくな、だなんて顔をしかめて思っていたけれど今では何だかその香りを無意識に追ってしまう時がある。ふわりと香るその匂いの元は獄寺くんなのかなとひそかに思っていた。彼の近くにいるときに感じ取れることが多いからだ。
 なかなか確かめる機会がないと思っていたけど、今日はたまたま日直に二人でなったため途中まで流れで一緒に帰ることになった。通学路は夕陽が沈む少し前でオレンジに染まり、近くの家からは夕飯であろうカレーの匂いが鼻をくすぐる。今日の数学難しかったね、なんてたわいない話を続けていたけれどふいに会話が途切れた。これはチャンスだ、と思いきって聞いてみたけれど、彼は香水なんてつけていないという。

「おかしいな、たまに甘い匂いがするのに…」
「気のせいだろ、もしくは人違い」
「うーん、でもツナや山本からはしないよ?」
「つーか女ならともかく俺から甘い匂いなんて気持ち悪いだろ」
「そうでもないけど…あ、もしかして彼女さん?」
「いねーよ!」
「いたっ」

 そこまで痛くないけれど照れ隠しに頭を小突くのはやめてほしい。しかし本人にも聞いたのに違うだなんて思いもしなかった。ならばあの香りの元はどこなのだろう。こちらにジトっとした目線を送る獄寺くんをスルーして再び考えこむ。
 少しぼーっとしながらも突き当りの角を曲がろうとすると危ねえ!という言葉とともに腕を強く引っ張られ、斜め後ろあたりにいた獄寺くんと場所が入れ替わった。何かの衝撃音とともに後ろにぐるりと回って勢いのあまりに尻餅をつく。少しヒリヒリと痛む腰を抑え文句を言おうと見上げると大量の煙幕があたりを覆っていた。あまりの多さに驚き、少しむせてせき込む。

「…獄寺君…?」

 口元を覆い、煙が退くのを静かに待ちながらそこに居たであろう獄寺君に声をかける。視界が段々と晴れ、思わず目を見開いた。目に入ったのはすらっとした今よりも高く伸びた背丈、手には高級そうな革のビジネスバッグ。ゆっくりと顔の方に目を向けると、そこにはスーツを着てなんだか大人びた風貌の獄寺君にそっくりな男性が立っていた。

「くそ、アイツまたやりやがったな……って名前?なんでここに」
「え、えっとあの、貴方は獄寺君のご親戚…いや兄弟とか…?」
「…ああ、そうか。お前まだ知らないんだったな」
「…?」
「まあなんていうか、そんなもんだ」
「そうですか…あ、獄寺君はどこに?私のことを庇ってくれたんです」
「安心しろ、あいつは無事だよ」

 どうやら獄寺君の親族だというこの人は彼の行方を知っているらしい。とにかく無事だと聞いて安心した。怪我をしていないか、倒れたりしていないかなどとまだ心配要素はあったけれども、とりあえずほっと胸をなでおろす。その姿を見てどう思ったのか、目の前の彼は頭をそっと私の頭を撫でた。ふわりと甘い匂いが鼻をくすぐる。この香りは、ずっと探していたものだ、何故だかわからないけれど絶対にこれだと確信した。俯いていた顔を思わずバッと勢いよく上げる。

「あの!」
「なんだ?」
「その、急にこんなこと聞くのもおかしいと思うんですけど、何か香水とかつけてたりしますか…?」
「ああ、一応な。わりい、不快だったか?」
「いえ!むしろ好きです!」

 …完全にやらかした。反射的に言ってしまったとはいえ初対面の人に匂いが好きだなんてとんだ変態か不審者ではないか。好きだと言って赤く染まった顔がサッと青くなる。自分の表情は見えないけれど絶対に変な顔をしている。どうしよう。

「そんな変な顔すんな、別に気にしてねえよ」
「ありがとうございます…」
「ほら、立てるか?」

 気を遣わせてしまったことには気付いたけれど、お言葉に甘えてさっきの失態は忘れる事にした。でないと申し訳なさやら恥ずかしさで押し潰されてしまう。洋服についた汚れを叩き落とし、立ち上がった男性はよくよく見ると本当に獄寺くんに似ているけれどスーツは素人目にも高級そうである。いったい彼は何者なのだろう。差し出された左手の薬指が夕陽に照らされてきらりと光っていた。

「もうそろそろか。なあ、名前」
「は、はい」
「これやるよ」
「わ、」
「ナイスキャッチ。じゃあまたな」

 慌てて受け取った物に気を取られていると、前を見た時にはもうあの人は綺麗さっぱりと消えてしまっていた。代わりにといったように目の前には少し疲れた表情をしたいつも通りの獄寺くんが居る。戸惑っている私を見て何か言おうと口を開き、迷ったそぶりをして閉じた。

「…そのうち説明してやるから、今日は帰るぞ」
「…わかった」

 ほんの5分くらいの出来事だったのに、情報量が多くて頭がパンクしそうだった。謎を多く残しながらもおとなしく獄寺くんの後を追いかけた。もしかして白昼夢のようなものだったのかと思ったけれど、私の手には投げるように渡された小さめのアトマイザーはしっかりと残っている。風に吹かれた私の髪からはふわりとあの甘い香りがした。

20200821


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