二人の始まり

部屋に差し込んだ朝日で目が覚めた。雪山に位置しているこの街は年中寒さに覆われているが、日差しに包まれた屋内は随分と暖かい。

あたたかいと、そう感じたのは日差しのせいだけではなかった。ゆっくりと瞼を持ち上げると、いつもの深紅が目に入った。昨夜、彼の腕に抱かれながらこのソファーで眠りについたことを思い出す。

「目が覚めたか」

「おはようございます、ヴィンセントさん」

こちらの頬をそっとなぞる彼の指にくすぐったっさを感じながら、にっこりと微笑みそう言った。目の前の彼の存在と、身体に感じる彼のぬくもりが、これが夢ではないと教えてくれているようだった。

本当に朝は来たのだ。こうして二人、何の不安も恐怖もない朝を迎えることができたのだ。そんなことを思うと、思わずはにかんでしまう。

彼の髪は相変わらず艶のある漆黒で、時折はらりとこちらの肩に落ちてくる。彼の手は自分の手よりも大きく逞しいものの、同時に女性のように白く儚い。そして彼の瞳はそのマントよりも深い紅色の光を宿し、こちらを真っすぐに見つめている。二人の関係は大きく進展し、しかし、彼自身は以前と変わることなく隣に居る。

「どうした」

「ヴィンセントさんに見とれていました」

思わず口をついてそう言ってしまったが、はっと我に返ると途端に恥ずかしさが込み上げてくる。しかし、こうして改めて彼を見てみると、その美しさに息を呑んでしまう自分がいるのも確かだった。

一体全体、どうしてこれ程までに美しく強く、そして優しい人が、自分のような何の取り柄もない者の恋人になってくれたのだろうかと、そんなことを考えてしまう。

「私も、お前の寝顔に見入っていた」

「なっ……」

自分は気持ちを伝える度に恥ずかしさを隠せずにいるというのに、彼の方は澄ました顔でそんなことを言ってのけてしまう。彼の方が変わっていないのと同様に、自分もまた変わっていないのかもしれない。この恥ずかしがりな性格も、弱気な心も、そして彼を好きでいるところも。

彼の言葉ひとつに頬を赤く染めながら、照れ隠しをしてソファーから立ち上がった。ぐっと伸びをして部屋を見渡す。彼のマントだけが赤く映えて、その他の家具も壁も床も、やはり埃にまみれていた。

「今日は大掃除ですね」

赤い頬を悟られないようにそう呟くと、内心を見透かしたように「ああ」と、笑いの混じった返事が聞こえてきた。



「このソファーは一度天日干しをして、その後に新しい布を掛けたらまだ使えますよね。あのテーブルも、少し傷んでいるけど修理すればまだまだ使えそうですし……あ、その前に家具を全部出して床掃除をしないといけませんね」

「……落ち着いて食べろ」

「あ、はい……すみません、なんだかやることを考えていたらうきうきしちゃって……」

彼が買ってきたやわらかい白いパンを食べながら、二人は部屋の大改造について話していた。きちんと食事をしている姿を見ると彼も安心するのか、彼女の言葉に頷き、相槌を打ちながらも、その横顔を愛しそうに眺めている。

やることが沢山だと零しながらも、そのことに喜びを覚えているのが手に取るようにわかった。しかしそれも、これまでの旅を考えれば当然のことかもしれない。

野営をし、モンスターと戦い、そしていつ訪れるとも知れない死の恐怖に怯えながら過ごしてきた日々からは、到底考えられないことが起こっているのだ。二人の家を持ち、その家を快適にするために家具を修理し、掃除をし、あれやこれやと買い物をする計画を立てている。

「地下はどうなっているんでしょう……。あ! エアリスさんにもらった服も置きっぱなしでした!」

居ても立っても居られない、という様子でまた急に立ち上がった彼女の腕を掴んだ。不思議そうに彼を見つめているあどけなさが、また彼の心をくすぐっている。

「それを食べきってから、だ」

「はあい……」

まるで親子の会話だと内心苦笑しながらも、大人しく隣でパンを齧っている彼女に安堵した。確かに自分達は「普通」の身体ではないが、それでもこれから先「普通」の生活を送るための準備に胸を躍らせている。

「食べましたよ!」

「ああ」

両手をぱっと開いて、約束通りに食べきったのだからと、彼を急かす姿がまたあどけなかった。思わず頭を撫でて褒めてしまう。

「確かあのクローゼットに──」

彼の手をぐいぐいと引っ張りながら、目当ての衣装箪笥に向かう。やや緊張した面持ちでその扉を開けば、そこには当時のまま、エアリスにもらったというあのワンピースが収まっていた。

「ああ、よかった……! 誰かに取られちゃったりしてないかって、心配してました」

「そのために鍵を掛けたのだろう」

「頭ではわかってるんですけど、なんだか落ち着かなくって」

着古したその洋服を大事そうに抱えながら、そして安心したように再度ぎゅっと服に顔を埋めている。エアリスを想っているのだろう、小さくうずくまっている姿が寂しそうに映る。

「帰ってきましたよ、エアリスさん……」

それは、死の淵から生還したことを言っているのか、或いはエアリスの生まれたこの家に戻ってきたことを言っているのか。もしかしたら、ライフストリームの渦の中で彼女を導いたというエアリスに向けた言葉なのかもしれない。

「きっと彼女にも届いてる」

「はい……! 絶対に届いてますよ!」

顔を上げた彼女の目には、今にも溢れそうなほどの涙が溜まっていた。泣くまいとして瞬きをしたことで、涙は頬を伝ってしまっていた。

「ああ、届いている」

「だって、これ」

彼女の濡れた頬を指でそっと拭っていると、徐に左腕を差し出された。そこにはあの腕輪がきらきらと光っている。

「エアリスさんはこの星に還ってしまいましたけど、でも、私もこの星と繋がっているんです。だから、絶対にエアリスさんに届いています」

抑えていた感情がここへきて溢れてしまったのか、彼女の頬には次から次へと涙が伝っていった。しかしそれは、かつてのような悲しみの涙ではなかった。これまでの彼女を見てこなければ理解することのできない、非常に複雑な心境の涙のはずであった。

それでも彼女の表情に暗い影はなかった。笑うように泣いている彼女を抱き締め、その背をゆっくりと撫でた。涙で濡れた洋服に顔を埋め、彼の腕の中で泣いている彼女は、さながらエアリスとヴィンセントという二人に抱き締められているかのように見えた。


[ 186/340 ]

[prev] [next]
list bkm



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -