深紅をとかす
何度も泣きながらこれまでのことを聞き、話し、真実を理解し、受け入れた。そうして初めて得た甘い時間を、丘の上で過ごしていた。
突然、ジジジと鳴り響いた機械音に、びくりと身体が跳ねた。
「……、すまない、すっかり失念していた」
「それは何ですか……?」
甘くとけるような時間を共有していたところを邪魔され、そしていささか普段の冷静さを取り戻し、途端に照れくさい気持ちに襲われる。
「クラウドに渡された」
「携帯電話、ですね」
「報告をし合うためにと渡されていたのだが、どうも使い勝手がわからずにいつも苦労する」
鳴り響く電話音に、彼は四苦八苦しながら電話口に出た。電話の奥からは、懐かしい仲間の声が聞こえてきている。
『ヴィンセント、神羅カンパニーの実験室から持ってきたイリスの資料なんだが……あんまり役に立ちそうなものはなかった』
「クラウド、そのことで話が――」
「クラウドさん!」
『イリス!?』
思わず彼の頬に自分の頬をくっつけるようにして、その電話の向こうに居る仲間の名前を呼んだ。驚き名前を呼び返している彼は、かなり動揺しているようだった。
『は、ちょっと、今イリスの声した!? ねえ、イリス!? イリスなの!?』
「ユフィ! そうだよ、ユフィ、私、帰ってきたよ……!」
『う、うう……うわーーーん!!! みんな、う、うう……イリスが、イリスが戻って、うっ……戻ってきたよ』
嗚咽を漏らしながら大声で皆に報告をしている彼女が、可愛らしくてたまらなかった。乗り物酔いをしたとき以外で彼女の嗚咽を聞くのはきっと、今くらいのものだろう。
『本当にイリスなの!?』
「ナナキ!」
ユフィの号泣する声を聞いて駆け付けたのか、彼女の元へ仲間が続々と集まってきている様子が伺えた。
『てめぇイリス、心配かけさせやがってチクショウ!』
「ごめんなさいシドさん、でも、ありがとうごさいます」
『チッ、……もう居なくなるんじゃねえ!』
声を震わせて怒鳴っている彼もまた、感情を押し殺していたのかもしれない。電話口からでも感じ取れる皆の想いが、胸いっぱいに溢れそうだった。
「みんな、こんな時間まで色々してくださっていたんですね……本当に、ご心配お掛けしてしまって――」
『あ、まーた謝ろうとしてる! 私達はね、イリスが元気ならそれでいいのよ、本当に、イリスが元気に生きててくれたらそれだけで……』
『あーあ、みーんな泣いてしもた』
静かだった丘の上は、一本の電話を機に、途端に騒がしくなってきてしまった。電話の向こうでは、皆が喜び、涙する者もいれば、今から会いに行くと言い出している者もいた。
正確な時刻はわからなかったが、月の位置から見ても、今はきっと夜も更けた時間のはずだった。皆は日中、ミッドガルの復興作業をしていると彼から聞いていた。文字通り、休む間もなく、自分のために奔走してくれているのだ。
『体調はもう大丈夫なのか!?』
「はい! もう大丈夫です。もう、大丈夫なんです……話せば長くなるんですけど……」
この複雑な経緯を話すには、この電話ではいささか足りない気がした。それよりも、皆に会った際に直接、自分の口から話すべきだとも思った。
皆の目を見て、事の経緯を話し、そしてもう心配は要らないのだと、それを伝えることが皆へのせめてもの恩返しになるのではないか。
『う、いま、いまどこに居るの……?』
「今はね、アイシクルロッジのエアリスさんの家の近くだよ」
「正確には"私達の家"だ」
「ふふ、ヴィンセントさん、なんだか可愛いです」
それまで会話に入ってこなかった彼は、徐に口を開いたかと思えばそんなことを言っている。冗談を口にできるほどには、彼も落ち着きを取り戻しているらしい。
『会いに、会いに行きたい……! イリスに会いに行きたい! お願い、シド! シド様!』
『こんな夜中にか?』
『じゃあクラウドだけ降りればいいじゃん、アタシだけでも乗っけてってもらうもん!』
また、いつも通りの皆のやりとりを聞けることが嬉しかった。大空洞で意識を失う寸前に、きっともうこの光景は見られないのだと、どこかで覚悟している自分がいた。
それがまたこうして、他愛のない会話をし、言い合いをするユフィに笑みが零れた。
きっと今頃、クラウドが肩をすくめて呆れているのだ。ユフィの言い合いにシドが噛み付き、それで火の点いたバレットまでもが加わり、手が付けられなくなるのだ。
ティファとケット・シーは必死に皆を宥めようと奮闘し、そうして最後に言いくるめられたユフィはレッド]Vをからかって憂さ晴らしをするのだ。
『今日はやめときましょうよ、ね? 明日朝いちばんにイリスに会いに行ったって遅くないわ』
『そうだな、その方がいい。何かと、な』
『なんでなんで、今から行けばいーじゃん! なんで焦らすワケ!?』
『ユフィ、』
その場に居なくとも、皆のやり取りがありありと目に浮かんだ。地団駄を踏むユフィが想像できるようになるなど、以前の自分ならばきっと予想もできなかった。
『おかえり、イリス』
「はい……ただいま、です」
だんだんと騒がしさが電話口から遠くなると、クラウドの声が聞こえてきた。「おかえり」と言った彼のその言葉に、胸が熱くなった。
皆の居る場所が、自分の帰る場所なのだと、そう言ってくれているようで、嬉しさが込み上げる。
『また明日、詳しく聞かせてくれよ』
「はい……! もちろんです」
その後いくつか言葉を交わし、明日皆と会うことで話がまとまった。随分と久しぶりに皆に会うような、そんな気がする。
「……みんな、優しいですね」
「皆、お前を想っているのだ」
そっと頭を撫でる彼を見上げて、思わずはにかんだ。自分を想いやってくれる仲間が居て、そして隣には愛する彼が居る。こんなに幸せでよいのだろうかと、そんなことさえ思ってしまう。
「私達も帰ろう、私達の家へ」
手を取り立ち上がった彼に倣って、自分もそっと立ち上がった。こちらを背負おうとしてくれた彼の申し出を断り、代わりに彼の手を取って、自分の足で歩いた。
約束通り、二人であの家に帰るのだと思うと、まるで夢を見ているようだった。決して叶うことのないと思っていた約束が、こうして今実現しようとしている。
「イリス」
「は、はい……」
家の玄関前で、彼は鍵を開けるよう促した。首からさげている家の鍵を差し込み、ガチャリとそれを回した。二人の帰る家なのだと思うと、ドアノブを回す手が震えてしまう。
「ここが、私たちの帰る家、ですね」
「約束通り、帰って来た」
家の中に入り、玄関の扉を閉めると、本当に帰ってきたのだという実感が湧いてくる。自分が思い描いていた最悪のシナリオは、実現せずに済んだのだ。
「焦らなくとも良い」
「はい……」
やはり彼に嘘は付けない。まだどこかで不安を拭い切れていないことを、自分より彼の方がよくわかっている。
「私達には時間がある。この星の続く限り。だから焦らなくて良い、少しずつ実感してゆけば良い」
「は、い……ありがとう、ございます」
そっとこちらを抱き締める彼を、しっかりと抱き締め返した。いつもより速い彼の鼓動が聞こえてくる。
「ヴィンセントさん、私、……ヴィンセントさんに言いたかったことがあるんです」
彼を見上げ、その瞳を見つめた。相変わらず美しい深紅の瞳は、しかし、以前とは全く違う色に見える。やわらかさと、あたたかさと、優しさを含んだ美しい色に輝いている。
「ヴィンセントさんに初めて会った時、地下で眠っていたって、言ってましたよね。それから、終わらない悪夢を見ていた、って」
「終わらない悪夢はないと、それを教えてくれたのはイリスだ」
慈しむように頬をなぞる彼に、また思わずはにかんでしまう。あの冷たい表情をしていた彼が、これほどまでに甘い笑みを浮かべる日が来るなど、誰が想像していただろうか。
「ずっと暗い地下で、それも独りで眠っていたヴィンセントさんと、神羅カンパニーの実験室で眠っていた私って、ちょっと似ているところがある気がしていて、」
「ある意味では、そうかもしれない」
「それで、いつか――」
ずっと、彼に言いたいことがあった。しかし、言える状況になかった。自分の思い描くそんな状況はきっと来ないと、そう思っていた。
「いつか、なんの心配もなく、一緒に眠ることができたら……そんな日が来たら……。あの日、あの地下でヴィンセントさんを起こした私が、ヴィンセントさんにおやすみなさいを言いたかったんです。不安も心配も、悪夢もない、そんな夜が来たら、おやすみなさいって、そう言って一緒に眠りたかったんです」
しっかりと彼の瞳を見つめながら、ずっと胸の内に秘めていた言葉を彼に贈った。
彼にとっての夜は、きっと地獄のような時間だったに違いない。彼にとっての眠りは贖罪であり、彼にとっての夢は全て悪夢だったに違いない。
それがもし、全て取り払われたら、そんなやさしい夜が訪れたら、彼に「おやすみ」を言って共に眠るのだと、そんな夢を見ていた。
「イリス……」
「だから、一緒に眠りましょう、ヴィンセントさん。明日も、明後日も、一緒に眠りましょう。夜は怖くないんだって、安心して二人で眠りましょう、」
彼の手を取り、にっこりと笑顔を向けた。また少し驚いたように目を見開いた彼は、徐々にその目を細めて、僅かに口角を上げる。
「ならば私は毎朝、おはようと、そう言おう。今度は私がイリスを起こす番だ」
「ふふ、あの日と逆ですね」
「ああ」
これは旅の終わりでもあり、二人の新たな生活の始まりでもあるのだと、甘い夜の空気が二人を包んでいた。
二人を祝福するように、夜空には満天の星々と、やわらかい光を照らす月が浮かんでいた。
「おやすみなさい、愛しい人」
月の女神は深紅をとかす 完
2021.4.12
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