あの日の約束

何もない、どこまでも続く暗闇の中を彷徨っていた。光すら届かないこの闇の空間は、まるで天も地もないような、宇宙の中に放り投げ出されたかのような空間だった。

自分はこれに似た感覚を知っていた。随分と長い間、こうして似たような暗闇の中を漂っていた気がする。いつ終わるとも知れない悪夢のような時間の中に、たった独りで放り出されていた。

そんな暗闇を、彼の刀が破ったことを思い出した。自分には眩しすぎるほどの光を照らし、外の世界へと連れ戻してくれたあの時の彼を思い出した。

「――……ロス、……さ」

常闇のこの空間の中で、遠くに美しい銀色が見えた気がした。思わず彼の名前を呼んだが、それが声になって彼に届いているのかわからなかった。

「――セフィ、……ス、……ん」

走っているのか、泳いでいるのか、身体中の感覚がなくなってしまったかのような、妙な気分だった。それでも、意識を彼の元へと飛ばすようにして、彼に近付いてゆく。

「セフィロス、さん、」

やっと近付いた彼は、身体中を傷だらけにして、額からは血を流して、瞳を閉じたまま闇の底へと落ちていっているように見えた。

「セフィロスさん……!」

落ちてゆく彼の腕を思わず掴んだ。今度こそ、彼を呼んだ声が届いた気がした。そして、こちらの声に反応するようにして、彼は目を開けた。

あのはじまりの日と立場が逆転しているような状況に、どこか心は穏やかだった。眠っていた自分を起こしたのは、他でもない彼だった。そして今は、目を閉じて落ちてゆく彼を、自分が呼び覚ましている。

「セフィロスさん……本物の、セフィロスさん、」

「イリス……」

彼は苦しそうに顔を歪めながら、それでも少しだけ口角を上げて、名前を呼び返した。

自分の命を救ってくれた英雄の彼は、同じ血を分けた兄は、いつしかあの日の彼とはかけ離れた存在になっていた。

旅の先々で見た惨劇や、冷徹で感情をなくしたような彼は、ついには大切な仲間の命をも奪ったのだ。

「……どうして」

どうしてあの日、自分を救ったのか。どうして自分を置いて行ったのか。そうかと思えば攫うようにして仲間から引き離し、また突き放すようにして置いて行ったのか。

どうして憎しみと共に生きてしまったのか。どうして彼女を――エアリスの命を奪ったのか。どうして全てのライフストリームを取り込んでまで復讐をしようとしたのか。

どうして今、あの日のように穏やかな笑みを浮かべているのか。

「……どうして、ですか、セフィロスさん、」

彼に対する疑問はあまりに多く、そのどれもが言葉にならなかった。ただひたすら、「どうして」と問いながら、目に涙を溜めて彼の腕を掴んでいる。

それでも、彼には全てを見透かされているように感じた。

彼に何を言えばよいのか、自分でもわからなかった。彼への複雑な想いはこれでもかというほどあるというのに、そのひとつひとつを伝えるには、きっと時間が足りない。いつもそうだった。彼と共に居られる時間はいつも限られていた。

「私……セフィロスさんのこと、許せないんです……」

「……」

エアリスの最期の瞬間を思い返しながら、彼にそう言った。彼は驚くでもなく、反論をするでもなく、ただ静かにこちらの言葉を聞いているようだった。

「エアリスさんは……私にとって大事な人で、かけがえのない人で……預けられたエアリスさんの腕輪だってもう、返せないんです……あの日、約束したのに……。だから私、セフィロスさんのこと、許せないんです」

「それならば何故この手を離さない」

ずっと表情の読めない瞳をしていた彼と、やっと視線を交わした。あの日と同じ、低く静かで、穏やかな声だった。

そして彼の言う通り、その腕を離すことができずにいる自分がいた。彼を責める言葉を吐き出しながら涙を流しているのは、エアリスを想っての悲しみだけではない。

彼を心から責め、憎み、恨んでいるならば、彼の腕を掴むことなどきっとしない。

「許せないんです……本当に、エアリスさんのこと、許せないんです……でも、」

ここへきて、彼への想いが少しわかった気がした。矛盾する想いが心でひしめき合っている。両立しないはずの想いが、ずっと心に巣食っていた。

「でも……あの日、セフィロスさんに助けてもらえなかったら、私はあのまま死んでいたかもしれない……そうしたら、エアリスさんにも、ヴィンセントさんにも、みんなにも会えなかったんだって、そう思ったら……そう思ったら、セフィロスさんに感謝してしまう自分がいて……」

やはり、こちらの葛藤も見透かしていたかのように、彼は一度ふっと笑った。旅の途中で見た、残忍な笑みとは違う。あの日見た穏やかな笑みだった。

「許せないはずなのに、でも感謝している自分もいるんです……ずっと、わからなかったんです、何が正しいのか。心の底から憎むことができたら、迷わずに済んだのかもしれないって……でも、そんなこと、できなくて……」

あの日の彼には、追い付くことができなかった。必死に伸ばした手は彼のマントには届かず、ただ闇夜に消えた彼の背中を見つめることしかできなかった。

その彼が今、自分の目の前にいる。瀕死の状態で、しかし、あの日のままで。



「クラウドさんが、言ってました……セフィロスさんが与えた怒りも憎しみも、全部、セフィロスさんのことを忘れないようにした贈り物だ、って……セフィロスさんを追っていたんじゃなくて、呼ばれていたんだって……」

いつか、あの絶壁の先で、クラウドが自分を見失った時、そう言っていたことを思い出す。そして自分も納得してしまった。怒り、憎しみ、愛情、全てはリユニオンのために、彼が自分達に植え付けた感情でしかないのだと、そう思えば合点がいった。

「それなのに、まだ、セフィロスさんに感謝してしまうんです……エアリスさんのことを許せない上に、偽りの愛情だったと知ったのに…………それでも、私は、セフィロスさんのおかげで生を全うできたんだって、」

仲間の前では決して、この言葉を言ってはいけない気がしていた。誰もが彼を憎み、恨み、倒そうと闘志を燃やしていたあの皆には、彼に感謝しているなどとは口が裂けても言えなかった。

ひょっとしたらこの感謝の気持ちも、彼の"贈り物"のひとつなのかもしれないと、そう思うことで、この感情をひた隠しにしてきた。彼を許せないという気持ちだけを全面に押し出して、皆に溶け込もうとしていたのかもしれない。

そうだとすれば、彼の企みは結局、成功したのだ。こうして、どこなのかもわからない無限の闇の中で、最後に彼の元へリユニオンしたのは自分だったということなのだ。

「フッ……」

ひたすら終わりのない落下を続けていた彼は、徐にその半身を起こすと、こちらの腕を握り返して笑った。泣きじゃくっている自分を、まるで子を見る親のような目で見つめている。

「それは違う」

何もわかっていない、そんなことを言いたげな表情で目を細めている。作った笑みでもない、負の感情を含んだ笑みでもない。彼も純粋な笑みを見せることがあるのだと、皆はきっと知らない。

「言ったはずだ。いつか迎えに行く日まで、逃げて生きろ、と」

そのまま彼は、こちらの背に腕を回して、一度だけ抱き締めた。自分が初めて感じたあの安心感と懐かしさに、また泣き出しそうになる。

耳元で聞こえた彼の声は、やはり穏やかで優しいものだった。

「星と共に生きろ、イリス」

抱き締めていた腕を解くと、彼はこちらの左手を取った。そうしてそのまま、彼の胸にあてがうように手を引かれ、彼の胸に触れた。

彼の意識が、その手を通して伝わってくるようだっだ。彼の想いや感情、彼の見た光景までもが、自分の意識に流れ込んでくるのを感じた。

涙が頬を伝い、左腕の腕輪は煌めいていた。

「――星と共に生きろ、イリス」

再度、彼の言葉が聞こえたかと思えば、目の前に居たはずの彼は姿を消していた。今の今まで彼の腕を掴んでいたというのに、また彼は自分を独り残して去ってしまった。

ようやく彼の意識を感じ取れたというのに、また彼は闇の中へと消えてしまう。

神羅屋敷に残された時とは違うのだ。ここはどこなのか、いつなのか、一体何の空間なのかもわからない。延々と闇が続いているだけで、彼が居なくなった今、自分の足元すら見ることができない。それほど深い闇の中へ独り、取り残されてしまった。





どこまでも続く闇の中をひたすら走っていた。どちらが北で、どちらが上で、どの方向が正しいのか、まるでわからなかった。それでも走り続けた。立ち止まってはいけないと、心の中で警鐘が鳴っていた。

この闇に終わりはないのかもしれないと、心はそんな気持ちに襲われ始めていた。どれだけ走っても、抜け出すことなどできないのかもしれない。

実験台、失敗作、嫌な言葉が頭の中に響く。これが失敗作としての最期なのだとしたら、これほど恐ろしいことはない。永遠と闇の中を彷徨うことしかできないなど、想像もしたくない。

「――……せ、……」

ふと、遠くで声が聞こえた気がした。ぴたりと足を止めて、その声がどこから聞こえているのかを探ろうとした。

「――…………を、」

やはり、誰かが自分を呼んでいる。あの日のように。あの全てが始まった日のように。

声を頼りに進もうと耳を澄ませても、どこから聞こえてきているのかわからない。その声は確かに届いているというのに、どこから発せられているのか、何と言っているのかわからない。

「――……、」

だんだんとその声が遠のいてゆく気配を感じ、恐怖に襲われた。この暗闇で、道しるべになるものはこの声しかないというのに、声までもが消えてしまったら今度こそ迷ってしまう。

「――……、!」

出口を探して、早くこの空間から脱出しなければならない。直感がそう叫んでいる。

「……イリス、」

名前を呼ぶ声に、はっと心臓が止まりそうになった。この声の主を知っている。この低く、穏やかで、優しい声の主を知っている。

「――イリス、」

「――イリス、しっかり!」

「――イリス!」

彼を鮮明に思い出すと、次から次へと声が聞こえてきた。皆が自分を呼んでいる。皆の声が聞こえてくる。懐かしい仲間の声が、はっきりと聞こえてくる。

帰らなければ。出口を探すのではない、仲間を探すのだ。仲間の元へと帰るのだ。

懐かしい声に涙を拭うこともしないで、声のする方へと駆けた。名前を呼ぶ声を頼りに、何も見えないこの暗闇を駆けた。

「――……」

「――……、」

きっとすぐ近くに居る。皆はすぐそこに居るはずだと、確信していた。あとほんの少しで、皆の元へ帰ることができそうだというのに、また声が遠のいてゆく。

不安から、恐怖から、涙が滲んだ。懐かしさから、愛しさから、涙が溢れた。

あと少し、あと少し。

「イリス」

「……っ!」

突然、懐かしい声に名前を呼ばれた。もう随分と長い間、彼女の声を聴いていなかった。

いつものように、少しはにかみながら、茶色の髪を揺らして、彼女が名前を呼んでいる姿が目に浮かぶ。

「エアリス、さん」

彼女の名前を口にするだけで、安心感が広がるようだった。彼女はいつもあたたかな感情をくれる。まるで太陽のように、全てを包むようにあたたかい。

「イリス、たくさん、がんばったね」

頭を撫でられているような感覚に、また涙が頬を伝う。彼女はずっと、共に居てくれたのだ。見えないところでもずっと。今もこうして、自分を導いてくれている。

「もう、だいじょうぶ」

彼女と最後に会話を交わした時、彼女の腕輪を片方預かった。右腕につけたそれは、いつでも彼女を思い出させてくれていた。

「帰ろう、みんなのとこ」

その右手を、彼女に引かれた。しっかりと手を繋いだまま、二人で駆けた。彼女は暗闇をやわらかく照らし、皆の声のする方へと導いてくれていた。あの日星に還ったはずの、太陽のような、天使のような彼女がまた、光へと導いてくれていた。


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