道を照らす赤
「私、またなにかおかしなことしてました……?」
ふと気が付けば彼の腕に抱かれていた。じっとこちらを見つめている彼に、恥ずかしさから思わず視線を逸らして辺りを見回す。
そこはやはり、忘らるる都の祭壇のある、あの広い空間のようだった。辺りは変わらずしんと静まり返っており、先程までいたはずの仲間の姿は見えなかった。
「静かに眠っていた。クラウド達は例の鍵の探索に出掛けた。イリスに感謝もしていたな」
「そうですか……あれだけだと、あんまり手掛かりにならなかったですよね」
「いや、皆で議論して海底に向かったようだ」
だからよくやったと、そう言いながら、彼は髪を一度さらりと撫でた。あの僅かな情報で鍵を見付けられるのだろうかと、不安に思いながら意識を手放してしまったが、どうやら少しは仲間の役に立っていたらしい。
「それなら……よかったです」
この静かで広い空間に彼と二人きりで、それも彼の腕の中に居ながら会話を続けることに耐えられなくなり、そっと身体を起こした。それに気付いた彼も、背中に手を回して身体を支えてくれている。
「すごく静かですね」
「ああ、今ここに居るのは私達だけだからな……。ブーゲンハーゲンも古代種の意識を聞くと言ってどこかへ行ってしまった」
「ヴィンセントさんと二人きりなんて久しぶりな気がします」
そう口にして初めて、この状況を改めて理解した。ここにいるのは自分と彼の二人だけなのだ。
これ程までに切迫した状況下にありながら、彼と二人でゆっくりとした時を過ごすことができるのは、ひょっとしたらこれが最後の機会になるのかもしれない。
そんなことを考えていると、ここ数日、胸を締め付けていた不安の種を話してしまいたくなる。他の仲間に気を遣うこともなく、彼だけに言うことができるのは、きっと今しかない。
「……」
「どうした」
何と言って話し始めたらよいのかわからずに口ごもってしまう。そんな自分を、彼はいつものような優しい視線で見つめている。
こんなにも優しく穏やかな彼に、自分の不安をぶつけてしまってよいものだろうか。ここまできたならば、彼にも打ち明けずに、胸の内にしまっておく方が良いのかもしれない。
「イリス、私にまで隠し事をしなくて良い」
「えっ……」
話すべきか考えあぐねているところへ、彼はそんな言葉を口にした。どこか寂しげな眼でこちらを見ている。言いたいことがあることも、それを言うべきか悩んでいることも、全て察した上で、彼はそんな表情をしているのかもしれない。
そんな切なげな視線を送られてしまえば、話さない訳にはいかない。彼にそんな顔をさせたくて黙っている訳ではないのだから。
「口にした方が楽になるのならば、私にも教えてはくれないか」
口元を少しばかり緩めて笑みを向けた彼だったが、その瞳は変わらず不安の色を映していた。こんな彼の顔を見たことがない。これまで見た中で最も人間らしく表情豊かな彼をこんな状況で見るなど、なんと皮肉なのだろうかと、彼の手に自分の手をそっと重ねた。彼の手も自分の手も、僅かに震えているようだった。
「ヴィンセントさんはきっと気付いていると思うんですけど……最近の私、ちょっと変だなと感じていました」
「……」
「もちろん前からおかしなことだらけだったんですけど……でも、最近はただ体調が悪くなるだけじゃないというか……私が私でなくなってしまうような感覚がずっとあるんです」
祭壇の前に二人、並んで座り込んでいた。まとまりのない言葉で話し始めたのを、彼はじっと静かに聞いている。
初めて彼に出会ったときにも、こんな風にまとまりのない言葉で自身のことを話した。当時は言葉を詰まらせる度に、彼は時間を惜しむようにして話の先を急いた。或いは、二人で陥った沈黙に気まずさを感じてもいた。
そんな彼が、じっと次の言葉を待ってくれている。沈黙すら愛しいというように、そして落ち着かせるように手を取りながら、決して急かすことはない。
「私のこと、ニブルヘイムの屋敷の地下にあった資料に書いてあったと思うんですけど」
「ああ」
「それにあの人……北の大地で会ったあの宝条という人にも、それにルクレツィアさんにも言われた通り……その通りのことが起きるんじゃないかって……」
言葉を紡いでいく内に、それが現実のものになってしまう恐怖に飲み込まれそうになった。身体の震えを感じ取った彼は、繋いでいた手を解き、肩を抱いている。彼もきっと、言葉の先を察している。
「私、もうすぐ……もうすぐ死んでしまうんじゃ、ないかって、」
「イリス」
彼に名前を呼ばれたことで、ずっと堪えていた涙が溢れ出してしまう。もう泣くまいと、そう心に決めていたというのに、どうしても堪えることができなかった。
死を意識していなかった訳ではない。初めて意識を取り戻したあの日から、自分は"普通"とは違うと感じていた。それはこれまでに見聞きし、得てきた情報から確信に変わった。
「ごめん、なさい……私、泣いてばかりですね」
いつか来る死を、受け入れていたはずだった。そのことに恐怖はあれど、この世に未練などないはずだった。それが、仲間に出会い、友人ができ、愛する人ができたことで、恐怖はこれまでとは形を変えて襲ってきた。
自分の肉体が滅びることよりも、大切な人とこれ以上時間を共にできないことの方が恐ろしかった。
「もう泣きません、これで泣くのは最後にします。本当に、さいごにしますから……」
ユフィに海を見せてもらうのだと約束をした。今度ゴールドソーサーに行ったときには、レッド]Vとケット・シーも入れて、四人であの可愛らしい写真機に入るのだとも話した。
バレットは、愛娘のマリンに会わせるといつも言っていた。ティファがセブンスヘヴンのカウンターに立っているところを見てみたいと言えば、お酒を出してあげると笑っていたのを思い出す。あの不愛想なクラウドが、バイクの後ろに乗せて行ってくれるとも言っていた。
シドは飛空艇で世界一周をさせてやるのだと豪語し、そのときは自分も呼べと、皆が口を揃えて言っていた。
「皆さんが未来の約束をしてくれるのが、すごくうれしかったんです」
エアリスに腕輪を返せなかったように、自分もその約束を果たせない日が来るのかもしれない。そう思うと、未来を思い描くことが恐ろしくなってしまった。
ユフィに海を見せると言われた時、涙を流したのはきっと、彼女の未来に自分がいることが嬉しかったのではないだろうかと、今になって思う。皆の未来に自分がいることは、奇跡のようなことなのだ。
「私、ヴィンセントさんのことが好きです」
「私もイリスを、誰よりも想っている」
低く穏やかな彼の声が耳元で響いた。そんな言葉を聞いてしまえば、最期の日がより一層恐ろしくなってしまう。それなのに、彼の言葉を欲してしまう自分もいる。
彼の未来に、あとどれくらいの間、自分は居続けることができるのだろうか。
「イリスを死なせはしない」
「……はい、」
「気休めを言っているのではない」
やや語気を強めてそう言った彼に、思わず彼の方を見た。叱咤するような声は、生を諦めようとしている自分を叱ってくれているようだった。同時に、彼の本心を曝け出しているようでもあった。
そんな力強い言葉をもらってしまえば、彼との未来を思い描いてしまう。叶わないことを願うことほど虚しいことはないというのに。
「忘れたのか、イリスを護ると誓った言葉を」
「そんな、忘れてなんか……」
「命に代えてもイリスを護る。私の、この命をかけて、お前を護る」
彼は両手を頬に添え、しっかりと視線を合わせながらそう言った。その言葉を心に刻み込めといわんばかりに、ゆっくりと力強く繰り返す。
「私の未来にはいつもイリスがいる」
「……は、い」
真っ直ぐな瞳で、そんな言葉を投げ掛けられる。そんなことは不可能だと、反論をする余地もなければ考える余地すら与えさせない。彼は本気なのだと、心の底からそう願い、実現させようとしてくれているのだとわかった。
「イリスの恋人になった時から、私も覚悟を決めた」
「かくご、ですか?」
ニブルヘイムで、覚悟はあるのかと、幾度となく言われた。覚悟がなければ先へ進むことはできないと、覚悟がないならば進まないという手段もあるのだと、そんなことまで言っていた。
そんな彼が、今は彼自身の覚悟について話している。きっと彼にとっての「覚悟」は、その言葉の持つ意味以上に深く、揺るぎないものなのだとわかる。
「イリスと未来を生きる覚悟だ。お前の未来を奪わせはしない。二人で未来を歩むためならば、どんな悪夢でも受け入れる覚悟だ」
彼のその深紅の瞳が、潤んでいるように見えた。或いは自分の視界が滲んでいるから、そう見えるのかもしれない。
悲しみに滲んだ世界で、しかし彼だけは、深い紅色に光って見えた。どんなに道に迷っても、彼を見付けることはきっとできると、そんな気がした。
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