breaking the ...

彼は頬に両手を添えたまま、じっとこちらを見つめていた。恥ずかしさよりも、彼の決意に魅せられ、その視線を外すことなど到底できない。

顔を持ち上げられたかと思えば、いつもより少しばかり荒々しく口付けられる。彼の薄い唇が押し付けられ、頬がまた熱くなる。目を閉じて縮こまっていると、閉じていた唇を割られ、口内に彼の熱い舌を感じた。

「……ふ……っ、」

硬口蓋をなぞられ、思わず息が漏れる。呼吸を整える暇も与えない程、後頭部を支えられながら舌を絡め取られる。

酸素を十分に取り入れられずに、だんだんと頭がぼうっとしてくる。彼の身体に身を預けるようにして、それでも彼は口付けをやめない。

「ん、」

彼も、これまでに自分の死について考えていなかった訳ではないのだろう。恐らく自分以上にそのことについて考え、悩み、そして覚悟を決めてくれていたのだ。そんな思いをぶつけるように、彼は舌を絡め続けていた。

彼の想いと彼の愛情を感じて、閉じていた瞼の隙間から涙が頬を伝った。



「お前は本当によく泣くな」

「これはっ、ちがいます……」

唇を離した後も、彼はその手を退けることはしなかった。ふっと笑いながら、頬を濡らした涙に口付けられる。その痕をなぞるようにして、何度も優しく唇を押し当てられている。

「私は死ぬことも老いることも出来ない」

ずっと甘い口付けを降らせていた彼は、徐に肩を抱き寄せ、不意を突くようにしてそう言った。耳元に響く彼の声は、極めて落ち着いている。身体を離そうとしてもまた強い力で抱き締められ、彼の表情を窺うことはできない。

「イリスはその魔力を……生命エネルギーを使い果たせば命が尽きる」

「は、い」

やはり落ち着き払った声でそんなことを言われ、涙を流す暇もなく返事をした。淡々と事実を述べる彼だったが、その二つの事実はひどく残酷に重なった。

彼は永遠に生き続け、自分は天寿を全うすることなく死ぬ。改めてそんなことを口にされてしまえば、また恐怖で涙がせり上がってくるのだろうと思ったが、心は非常に穏やかだった。

それは、彼の覚悟を聞いたからか、或いは彼の口付けのせいなのか。彼の腕の中で彼の吐息を耳元に感じながら聞いた言葉は、決して心を掻き乱すことはしなかった。

「近い将来、私とイリスに別れが来るのだろうとばかり思っていた」

「それは、私も思っていました」

そんなことを考えないほど、自分も彼も愚かではなかったということか、或いは事実を積み重ねた必然の結果とでも言うべきなのだろうか。口にしてはいけないような気がしていた思いを、ここへきて彼と共有していた。

そんな話題を口にしているにもかかわらず、背中に回された腕は優しく身体を撫で、まるで甘い会話の続きをしているかのような雰囲気すら感じていた。

「しかし、何故だろうな……今の私にそんな未来は見えない」

ひと際強く抱き締めながら、彼はそう呟いた。彼の言葉が鼓膜を震わせ、少しずつその意味を理解してゆく。

そんな未来は見えない。目の前に現れた事実を積み重ねた結果は自明のことだというのに、それでも、そんな未来は見えない。彼の言わんとしていることを理解すれば、また胸が熱くなってゆく。

「方法がきっとある。私はそれを見付ける」

「ヴィンセントさんなら、本当にみつけてきてくれる気がします」

「"気がする"だけか?」

ようやく腕を解かれ、見つめ合った彼の表情は、どこか笑ってもいた。およそ死についての会話をしているようには感じられない。それほどまでに彼の意思は堅く、自分もそれを受け取っていた。

「私は私のことをあんまり信じられないんですけど、でも、ヴィンセントさんのことは信じられます」

「……今はそれでいい。いつか自分のことも信じられるようになる。それまでは私を信じておけ」

いつも以上に大人の雰囲気を漂わせながら、彼は口元にやわらかな笑みを浮かべている。今度はその瞳にも、あたたかな光を宿していた。



「実を言うと、私がいなくなったら、その……ルクレツィアさんがまたヴィンセントさんと一緒になりたいと考えるんじゃないかな、とか……。そんなこと考えてしまっていました」

彼との雰囲気に呑まれてしまったのか、例の祠を訪れてから感じていた思いを吐露していた。

彼も、そしてあの祠に居た彼女も、二人とも不老不死の身体になってしまったのだと聞いた。更に、彼女の言葉選びや表情は、彼を想っているのではないかと感じさせるものだった。

自分が意識を取り戻すよりもずっと前から、二人の仲は築かれてきたのだ。彼は長い間彼女を想い続け、罪の意識に苛まれ、その自責の念から暗い地下で悪夢を見ていた。彼女もまた、彼の想いを知りながら、あの祠で涙ながらに想いを吐き出していた。

「私が居なくなることよりも、そうなることの方がつらいというか……うまく言葉にできないんですけれど」

そんな二人ならばきっとまた、以前のように、或いは以前よりもより一層親密な関係を築くかもしれない。そしてそれは再び二人の心を近付け、叶わなかった想いを今度こそ成就させるかもしれないと、そんなことを考えてしまう自分がいた。

彼の想いを信じていない訳ではない。しかし、ほとんど永遠に近い時間を二人だけが共有できるのだとしたら、心は移り変わってしまうかもしれない。先のことなど誰にもわからないのだから。

そこまで考えて、醜い自分の心を曝け出してしまったことを後悔した。はっと我に返って彼を見れば、意外にも、目を丸くしてこちらをじっと見つめている彼と目が合う。

「あ、の……すみません、なんていうか……」

彼の気持ちを無碍にするようなつもりもなければ、彼を信じていない訳でもない。しかし一度言葉にしてしまった以上、そんなものは言い訳にしかならないのかもしれない。それでも誤解は解かなければいけない。

慌ただしく思考を巡らせて、どれも言葉にすることができないままに、あたふたと狼狽えてしまっていた。

「……」

しかし、彼もどこか狼狽えたように視線を逸らした。片手で口元を覆うようにしたかと思えば、一度咳払いをして向き直る。

「……そんなことにはならない」

じっとこちらを見つめながら静かにそう言って、また咳払いをしている。怒っているでもなく、呆れている様子もない。やや面食らったような表情をする彼も珍しい。

「私はイリスを想っている、それはこの先変わることはない」

「それは私も同じです。でも……」

「ルクレツィアへの心の呪縛は解かれた」

以前の彼ならば、彼女に対してもっと別の表現をしていた。愛する人、長年想い続けている女性と、深い愛情を表すはずだった。それが、一度は求婚までした女性に対して、その想いを呪縛と表現したことに、こちらが困惑してしまう。

「以前も話したと思うが……私はいつからか、彼女に対する罪悪感を愛情と履き違えてのかもしれない。その真偽は私にもわからないが……」

つい先程まで、力強く揺るぎない言葉を投げ掛けてくれた彼が、若干言葉を詰まらせながら話している様子をじっと見つめていた。彼の言っていることは理解しているつもりだが、何に狼狽えているのかが掴みきれない。

はあ、と深い溜息を溢した彼に、びくりと肩を揺らした。それは一体何に対する溜息で、この先に何を言われるのか、やや目を伏せている彼の表情からそれを読み取ることができない。

「私の心は随分と長い間凍り付いていた。膨れ上がる罪の意識に蝕まれ、徐々に凍てつき、決して融解することのない氷のようにひどく冷たくなっていた」

「……」

いつも以上に婉曲的な言い回しをされてしまい、余計に混乱する。ただ、彼の先程の溜息は、自分に対する消極的なものではなかったらしい。彼も心の内を白状しているのだとわかると、先程までの様子が途端に愛しく感じられる。

「私の凍てついた心をとかしたのはイリスだ。再度凍り付くことはない」

「はい……!」

彼のわかりにくい愛情表現を受け取り、思わず笑みが零れてしまった。どこかむっとした表情でこちらを見つめる彼が、これ以上ないほど愛しかった。


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