堅氷は砕ける

洞窟内には再び静寂が訪れていた。ヴィンセントの思いがけない言葉の続きを待って、ルクレツィアは涙に濡れたままの瞳を彼に向け、イリスは隣に立つ彼をじっと見上げていた。

「セフィロスの企ては私達が阻止する。憎しみを深めたセフィロス……メテオの衝突を食い止めることができればルクレツィアの罪悪感も少しは軽減されるか?」

「ヴィンセントが……? 食い止めるなんてできるの……?」

「試してみなければわからない」

彼はルクレツィアを宥めるかのように、ゆっくりと慎重に言葉を発した。対して彼女の方は、どこか不安そうに、そして苦しそうに顔を歪めて、彼を見つめている。

セフィロスが生きていること、この星を破壊しようとしていること、それだけを彼女に伝えるのはあまりに残酷に思えた。しかし彼は、それを伝えた上でセフィロスを食い止めると、力強く宣言した。

「でも……あの子を、セフィロスを食い止めたところで、私の罪は変わらないわ……」

「罪は変わらなくとも、罪の意識は変わり得る」

未だ納得のいかない様子で縋るルクレツィアに、ヴィンセントは淡々とそう返した。彼の言葉は、彼自身にも向けられているかのように、ひどく冷静だった。



「イリスは私が命に代えても護る」

「……っ」

徐に自分の名前が呼ばれたことに息を呑んだ。燃えるような赤い瞳を一度しっかりとこちらに向けて、またルクレツィアに向き直る。

生半可な気持ちではないと、その言葉と彼の瞳が物語っていた。それも、長年想い続けていた彼女に対して伝えるのはどれほどの決意が必要だったのだろう。

「イリスに対する罪の意識が軽くなることを祈る」

彼はもう、ルクレツィアに対する想いを断ち切ったのだろうか。そうでなければ、本人を前にして、他の女性の話などしたくはないはずだった。或いは、彼もまた、自分に対する罪悪感からそう告げているのだろうか。

「ルクレツィアさん……上手く言えないんですけれど、私には何の罪悪感も抱かなくて大丈夫です」

いずれにしても、彼の言葉に勇気付けられたのは事実だった。ここで自分が怯えてばかりではいけない。

「私はちゃんと生きて、素敵な人達に出会えて、今とても幸せです。だから──」

「わかったわ」

言葉を遮ってそう言った彼女は、涙を拭って彼を見据えた。笑顔を見せず、決して自分と目を合わせようとしない。彼女の世界に自分は存在していないのかもしれない。

「ヴィンセントの言いたいことはわかったわ。でも……」

考えあぐねている様子で下唇を噛む彼女は、言葉の続きを発することを躊躇っているようだった。また少しの間沈黙が流れる。

先程までとは異なる居心地の悪さを感じていた。疎外感から来るものとも違う、ルクレツィアの自分に対する冷たい空気に胸を痛めた。

「ヴィンセントは……? 貴方の罪の意識はそれで軽くなるの?」

「私は……私の罪と向き合う」

その言葉に思わず彼を見上げた。それは、初めて聞いた彼の決意であり、覚悟でもあった。前進しようとしてくれているその気持ちが、空気を震わせて伝わってくる。

「イリスはありのままの私を受け入れてくれた。だから私もこの罪と向き合い、イリスと共に歩んでゆく」

繋がれた手は熱く、視界は滲んでいった。彼に自分の想いが届いていたことを、こんな形で再認識させられるとは思ってもいなかった。

第三者を目の前にして、間接的に愛を告白しているような言葉だった。それでも彼の声には、恥ずかしさも一切の戸惑いも感じられない。ただルクレツィアに向けて彼自身の思いをぶつけている。今の彼女にそんな言葉を投げ掛けるのは、ある意味彼の優しさから来る拒絶だったのかもしれない。



「セフィロスを止めなければ、この星そのものが壊されてしまうのよね……?」

彼の言葉に、ルクレツィアは特に何の返答もしなかった。ただ、先程からの話を整理するように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「ああ」

「それならば一刻を争うわ。二人とも、こんなところで時間を無駄にしては駄目よ」

やっと微かな笑みを浮かべて、彼女はそう言った。早くセフィロスの元へ向かえと、背中を押してくれているようだった。何か言いたげな表情を隠して一歩後ずさり、早く行って、と目で訴えている。

「必ずセフィロスを止める」

「……私も約束します」

震える声で彼に続けてそう言った。きっと何を言っても自分の言葉は彼女に届かない。それでも自分の意思を告げなければならない気がした。

「……話せて良かった、ルクレツィア」

そう言うと彼は、繋いだ手を引いて身を翻した。振り返ることもせず、ただ光の漏れている方向へと足を向けた。





「もう、いいんですか……?」

「私が伝えたいことは伝えた」

ルクレツィアをその場に残して、薄暗い洞窟を出口に向かって歩いていた。彼の声にも表情にも、心残りは感じられない。

「そっか……ありがとうございます、ヴィンセントさん」

「……寧ろ腹を立てるべき場面だったと思うが」

感謝を述べると、彼は申し訳なさそうに眉を下げて立ち止まる。

「確かに、ルクレツィアさんとのことはすごく気にしてはいたんですけど」

「すまない。先にお前に話すべきだった」

「そのことを責めてる訳じゃなくって!……ヴィンセントさんが言ってくれたことが嬉しかったんです。私がどんなヴィンセントさんのことも好きだ、って伝わってたんだなって」

「……」

「それに、もうルクレツィアさんのことを──」

言葉の続きを発するより先に手を引かれた。マントを引き下げ、いつも隠れている口元が弧を描いているのが見える。彼はぐいと顔を近付け、一瞬唇に触れると、笑みを浮かべたまま頭を撫でる。

「私は思い違いをしていたのかもしれない」

「お、思い違い……ですか?」

慣れない口付けに頬が熱くなるのを感じながら、それでも彼の瞳から目を離すことが出来ずにいた。

「お前と旅をしている間、私はお前への愛を、罪悪感と履き違えていたのだろう」

「……」

「そしていつからか、ルクレツィアへの罪悪感もまた、愛と履き違えていたのかもしれない」

少し屈んで目線を合わせたまま、こてんと首を傾けて目を細める彼に、思わず腕を回した。ひょっとしたら、自分達で気が付くよりもずっと前から、お互いに惹かれ合っていたのかもしれない。そんなことを考えると、目の前にいる彼への愛しさが溢れてしまいそうになる。

「とっても、とっても好きですよヴィンセントさん」

「ああ、知っている」

くすぐったそうに笑いながら、彼もまた背中に腕を回した。もう彼との間には少しの距離もなければ、何の障壁もない。ただ真っ直ぐに、心のままに愛を伝えることができる気がした。

「私も、誰よりもイリスを想っている」

耳元で囁かれた低く優しい声が、全身にゆっくりと流れ込んでいくようだった。


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