惚れる
(01焦がれる 前夜)
「イリスはやく寝るのよ」
「また子供扱いして!」
「恋人が居ないと眠れないような人は子供です」
「じゃあ今のティファも子供だね」
「そ、そんなこと」
言い負かしてやったと冗談めかして笑えば、見上げた彼女は少し顔を赤らめていた。
はやく寝るのよ、と再度口にすると、此方に背を向けては黒髪を揺らして階段を降りて行った。
廊下の窓から見えた星に少しばかり寂しさを覚えてしまった。ティファの言い付け通り、借りた部屋の扉を閉めてはベッドに潜り込んだ。
今日はいつもよりシーツが冷たい。そのせいか、布団を被っていても少し寒い。手足をぐっと伸ばせば、シーツの更に冷たい部分に触れてしまった。
こんなに寒いのはベッドに一人だから、そんなことは考えないようにしよう。そう思いつつも、枕元の携帯電話に手を伸ばす。
「ヴィンセント」
彼と色違いで購入した携帯電話は新品同様だった。彼とは常に行動を共にしているし、彼以外に連絡をとるべき用事は多くない。
そんな携帯電話を、両手で握り締める。どうか無事で帰ってくるようにと、祈るようにじっと見つめた。
「わっ!」
見つめていた真っ暗な画面が突然明るくなった。今まさに考えていた彼の名前と、着信の文字が表示されている。
こちらの内心を読み取ったかのようなタイミングに、慌てて応答ボタンを押す。
「もしもし……」
「さしずめ画面を見ていた、というところか」
「なっ」
本当に彼はどこかで自分を見ているのではないか、というほどに此方の動向を読まれている。
「無事か?」
「うん」
「そうか、ならば安心した」
「うん、」
「帰る日を心待ちにしている」
自分が言う筈だった言葉を、彼は全て話してしまった。こちらも何か話すべきなのだろうが、言葉が続かない。
相手の顔が見えない会話というのは、どうしてこうも緊張してしまうのだろうか。
「ゆっくり休め」
「う、うん」
遠出で疲れている彼の方こそゆっくり休むべきなのだ。それなのに、気の利いたことを何も言えないまま、短い会話はもうすぐ切れてしまう。
「イリス?」
「あのね、ヴィンセント、あの……」
言いたいことは山ほどあるというのに、言葉が出てこない。とても一言では言い表せない。
「会えるの楽しみに待ってるよ」
それでもこちらが話すのをじっと待っている彼に、思わず言葉がこぼれた。言った直後に恥ずかしさが顔に熱を集める。
「……ヴィンセント?」
彼の方まで黙りこんでしまっては、ますます恥ずかしさを煽られる。
「……夢で会える」
低く囁くような声に、まるで本当に隣にいるかのような感覚さえする。そして、彼の口から聞いた言葉に、心臓がうるさく音をたてる。
「おやすみイリス」
「う、うん、おやすみなさい」
「……イリスが切ってくれ」
それは、彼もまだ話していたい気持ちがあるのかもしれないと、自惚れてしまってもよいのだろうか。
再度おやすみと声を掛けてから、そっと通話終了のボタンを押した。
未だに耳にこだまする彼の言葉に、思わず布団を引き上げた。
「夢で会える、か」
会いに来てね、と心のなかで彼にねだった。ふわりと頭を撫でられたような気がして、ゆっくりと眠りについた。
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