きれる
「そしたら俺様がよぉ、」
弾む会話に、
「ふふっ、なにそれ、」
響く笑い声。
「それで、俺様は言ってやったのよ」
更に弾む会話に、
「あはは、シドは相変わらずだなぁ」
更に響く笑い声に、
「あは……いった」
呻き声。
突然静かになったイリスに、ヴィンセントは首を傾げる。静かになったどころか、口元を手で押さえている。
シドの武勇伝に聞き入る皆からは、少し距離のある部屋の隅で、彼女の異変に気付いたのは彼一人だった。我ながら呆れる程の過保護ぶりだと、頭の片隅でそんなことを思いながら彼女の方へと足を向ける。
「いったぁー……」
「どうした」
そっと彼女の手どけると、唇に鮮明な赤が流れていた。中途半端に口を開き、痛みを堪えながら涙目で見つめ返される。
「わらったひょうしに、きれた」
唇を大きく動かすのが痛いのか、彼女は小さく言った。確かに、見ているだけで痛くなるほど、血を垂らして切れてしまっている。
「これまた、盛大に切れたな」
「かんそうしてると、すぐきれちゃう」
唇をかばいながら喋る彼女は、奥の部屋から救急箱を持ってきて漁り出したが、どうやら目当ての物はないらしい。
「んー、」
えいっ、と言わんばかりの勢いで、彼女は切れた箇所を舌で舐めた。しかし傷口を唾液で濡らしたことが余程痛かったのか、また顔をしかめる。
「舐めると余計に乾燥する」
「おーきゅーそちです!」
その後、少しずつ痛みに慣れてきたのか、舌を覗かせながらちろちろと傷を舐めている。
「え、」
「応急措置、だろう?」
「え、え、」
口を開けたまま、舌まで出しておいて、何もされないと思う無防備さがあどけない。彼女の頬に片手を添えると、一瞬だけ唇に触れた。そして唇を離す際に、傷口をぺろりと舐めた。
「いっっったあい!」
突然大きな声で抗議するイリスの声に、シドの武勇伝は中断され、皆の視線は彼女に向けられた。その先には、両手で口元を押さえて涙目になっているイリスと、涼しい顔をしたヴィンセントが居た。
「どうしたんだあ、イリス」
シドが心配そうに声を掛けると、皆の注意が完全にこちらに向いてしまった。
「なんだ、どっか痛ぇのか」
「イリス、泣いてるの…?」
目に涙を浮かべて口元を手で覆っていれば、泣いているように見えて無理もない。心配をしたエアリスが駆け寄ってくる。
「いや! ちがうちがう! ヴィンセントが、」
「ヴィンセントがどうしたの?」
「……な、なんでもない」
ヴィンセントが傷口を舐めたなどと言えるはずもなく、首を横に振る。何でもない、大丈夫だと、必死で皆の注意から逃れる。
「もう! みんなにバレちゃったのかと思った」
「あのイリスは妖艶だった」
「よ、よう、いたっ」
妖艶などと、自分にはあまり当てはまらないような形容詞を使われ、今度は慌てふためいてまた唇を切ってしまう。
「応急措置が必要か?」
「からかってるでしょ!」
顔を真っ赤にしながらそそくさと部屋を出ていくイリスに、少しやり過ぎたかと反省をした。しかし、悪い虫がつかないようこんなことをするのも、たまには悪くない。
「かーっ、視界の端でイチャコラしてんのが見えた時は焦ったぜ!」
「ヴィンセント、気付いてたよ」
「なにぃ?」
「シドが気付いてることを、ヴィンセントも気付いてたよってこと」
「本当かエアリス!?」
「シド、何か、ヴィンセント怒らせることした?」
「い、いや……心当たりがあり過ぎてわからねえ」
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