もってめいすべし
真夜中の神羅屋敷には、普段通り読書をしているヴィンセントと、珍しく彼の横でココアを飲んでいるイリスの姿があった。寝室の、ベッドの脇の小さなテーブルに、向かい合って座っている。
いつもならばとっくに寝ているはずの時間であり、更に、つい最近までの遠出で疲れているであろうイリスも、今夜ばかりは眠る訳にはいかないと起きている。
一度激しい睡魔に襲われたが、それを乗り切った頃から目が冴えてきた。これならば、日付が変わるまで起きていられそうだと、ココアに口を付ける。足下にはあのリュックサックを置いて、時計を何度も見上げる。
「無理をするなよ」
本から目を上げて、イリスを見ながらそう言うヴィンセントは、いつも通り冷静そのものだった。うん、と短く返事をすると、彼は再び本に視線を戻した。
少しあからさま過ぎただろうか。誕生日の前日に限って、彼の隣で起きているというのは。きっと、自分がしようとしていることも、彼はお見通しなのだろう。しかし、イリスは別段それを気には留めなかった。別に構わないではないか。彼が予測していても、いなくても、ただ、彼の喜ぶ顔が見たいだけだ。
あと10分ほどで24時になる、という時になって、彼は徐に、栞を挟んで本を閉じた。その本をテーブルに置くと、イリスの飲みかけていたココアを少し飲んだ。彼にはいささか甘すぎたのか、少し顔をしかめている。
「眠らないのか?」
彼の置いたココアのカップを凝視していたイリスは、ぱっと顔をあげた。やはり、だ。彼の顔にはうっすらと笑みが浮かんでいる。なんという確信犯だろう。
「まだ、寝ない」
「ほう……」
そのまま笑みを残して、彼は黙りこんだ。イリスもそれに対抗するように、少しだけ頬を膨らませて彼を睨む。解っているくせに。
悔しい思いをしながら、沈黙の中で、壁にかかった時計の秒針の音を聞くのは少々残酷だった。わずか10分足らずの時間が、酷く長く感じられた。
しかし、それでも、時間は確実に前へ進んでいる。少しずつ、少しずつ、10月13日を迎えようとしている。それに伴い、イリスの心拍数も速くなる。彼に聞こえてしまうのではないか、というほどに彼女の心臓はうるさく音をたてていた。
カチッと、時計の針が動く音が聞こえた。結局、どちらも口を開くことなく時を過ごした。しかし、決して居心地の悪い10分間ではなかった。期待と不安の入り交じったイリスを意地悪く眺めるヴィンセントは、どこか楽しそうですらあった。
そして今、短針と、長針と、そして秒針が、全て時計の]Uを指している。
「ヴィンセント、お誕生日、おめでとう」
「ありがとう」
ゆっくりと、一言ひとことを噛みしめるように言葉を紡ぎ出したイリスに、ヴィンセントもゆっくりと感謝を口にした。二人の間に温かな空気が流れる。
「これ、誕生日プレゼント」
リュックサックからごそごそと取り出したそれは、綺麗な包装紙に包まれていた。それを、押し付けるように、ぐいっとヴィンセントに渡す。
「開けても?」
「ど、うぞ」
緊張でイリスの声が少し上ずった。ヴィンセントは、テープでとめられている箇所を、包装紙を破かないように、慎重に開いていく。その手つきは実に丁寧で、彼女もじっとその様子を見つめる。
「……」
中から取り出したものは、写真立ての中に、仲間の集合写真が入れられたものだった。
ヴィンセントはそれを、極めて慎重に取り出すと、イリスが教会でしたのと同じ様に、部屋の明かりにかざして、様々な角度から眺めた。
「これは……もしや作ったのか?」
「う、ん」
「美しいな。これは一体……」
「それは、ニブルヘイムの魔晄の泉から採ってきたの。写真は、前に携帯電話を買った時に、みんなでセブンスヘブンに集まったでしょ? その時に撮ったやつを、ティファに一枚、貰ったの」
自信なさげにそう答えたイリスは、自分の役割は果たしたというように、ヴィンセントを見つめて口を閉じた。
「美しいな」
彼はもう一度そう言った。それは決してお世辞には聞こえなかった。事実、それは本当に美しく出来ていた。
写真立ての骨格は、シドに貰ったスチールの板を繋ぎ合わせたものだった。そこに、魔晄の泉から採ってきた、天然のマテリアの小さな欠片を、形を整えて接着した。隙間が出来ないように、骨格の全てをマテリアの欠片で覆った。更に、触れた時に怪我をしないようにと、ヤスリで綺麗に磨いた。
「#イリス
#」
そう名前を呼べば、彼女は居心地悪そうに顔をあげた。どこか苦い顔をしている。
そんな彼女の左頬に手を添えると、ヴィンセントは身を乗り出して、テーブル越しに口付けた。
「ありがとう」
そう言って微笑んだヴィンセントの顔を見て、ようやくイリスの顔も綻んだ。
「よかった……!」
今にも泣きそうな声でそう言ったイリスの頭を、ヴィンセントは優しく撫でる。
彼はそっと、写真立てをテーブルに置くと、立ち上がってイリスの隣に立った。緊張が解けたからか、とても眠そうな顔をした彼女を、徐に横抱きにした。
「えっ、ちょっと、待ってヴィンセント」
じたばたと暴れるイリスをもろともせず、ヴィンセントは優しく彼女をベッドにおろす。そのまま彼も、覆い被さるようにしてベッドに入ると、今度は深く口付けをした。
暫くしてから、ようやく彼は唇を離した。息を切らせて涙目になった彼女は、潤んだ瞳で抗議する。
「もう!」
恥ずかしそうに布団を引っ張り上げて顔を埋めたイリスに、ヴィンセントは彼女を抱き締めるようにして横になった。
「イリス、ありがとう」
耳元で低くそう囁くと、彼女がはにかみながら頷いたのがわかった。
優しく穏やかな夜が、二人を包んだ。テーブルの上の写真立ては、月明かりに照らされて美しく光っていた。
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