その距離はゼロ
ティファの部屋をそっと出て、ドアの音を立てないように静かに閉めた。
廊下に出れば、壁に背を預けたヴィンセントが待っていた。何となく彼ならば心配して待ってくれているような気がしていたが、いざその姿を見ると緊張してしまう。
「……」
静かに部屋から出てきたことで、ティファが眠りについていることを悟ったのか、彼は目で部屋へ行くぞと訴えた。こちらも無言で頷き、彼に続く。
表情の読めないと思っていた彼と、無言の会話が成立するようにまでなったことに、嬉しさを覚える。
「ティファの様子はどうだ」
「心も身体も疲れきってしまってる、という感じですね……今は眠っています」
二人の部屋に戻ってくると、彼は扉を閉めてそう聞いた。今のティファに出来ることは身体を休めること、そして自分達にできることは、クラウドの居そうな場所の見当をつけることだろう。
「ナナキの言ってた、ライフストリームが吹き出す場所に心当たりはありませんか?」
立ったまま彼を見上げてそう聞いてみた。彼はじっとこちらを見つめながら、無言で何か考えている。
「……イリスも少し休んだほうが良い」
「私なら大丈夫です。それよりティファさんが──」
言い終わるよりも先に、彼にそっと抱き締められた。彼の心音が聞こえてくる。そんなことをされたら何も言えなくなってしまうということを、彼はきっとわかっている。
「イリスも疲れているはずだ」
彼は回していた腕を解くと、今度は手を引いてベッドに腰掛けるよう促した。彼に倣って隣に座ると、相変わらず握られたままの手から、彼の体温が伝わってくる。
「私なら本当に、大丈夫ですよ」
緊張で声が震えないように話したつもりだったが、いつもより小さく弱々しい声になってしまった。
先程まさにこの場所でした会話を思い出してしまう。先に言われてしまったなと、私もイリスを想っていると、そう言った彼の言葉が何度も頭の中で響いている。
「強くなったのか、頑固になったのか」
彼はふっと笑いながらそう言った。向けられた笑顔が眩しすぎて泣きそうになる。
「……ティファさん、すごく不安だと思うんです。クラウドさんが居なくて、不安で仕方ないと思うんです」
「そうだな」
「私だったらいてもたってもいられないと思うんです、もしヴィンセントさんが居なくなってしまったら。だから……」
そこまで言ってからはっと我に返った。また彼に告白をしているような口ぶりで話をしてしまった。これでは、あなたのことが好きですと、また言っているようなものだ。
「その気持ちは痛いほどわかる」
彼は握っていた手を一度少し離すと、今度は指を絡めて握り締めた。指と指の間に、彼の細く長い指を感じる。
「私もこの7日間、いてもたってもいられなかった」
どこまで本気なのか、彼は少し困ったように笑いながらそう言った。
彼が言ってくれた、自分を想っているという気持ちが、自分のものと同じくらい大きなものだとしたら、それはとてつもなく不安だったに違いない。
「……あの、……」
何と応えるのが正解なのかわからず口ごもってしまった。そう思えるほど自分に自信がない。自意識過剰だと、心の中で思ってしまう。
「だから、会えてよかった」
「……はい。私もです」
真っ直ぐに見つめられてしまうと、そんな葛藤も吹き飛んでしまうほど素直に言葉が出た。
会えてよかった、その言葉の重みが今になってやっとわかった気がする。
「共にいることが当たり前だと思っていたお前が、神羅に囚われた。しかも私の目の前でだ。時期を待てと言われて待機していた時間は悪夢のように長かったな」
遠くを見るように語る彼の言葉が、偽りを含んでいるようには聞こえなかった。だからこそ胸が熱くなった。
共にいることが当たり前だと、そう思っていたのは自分だけではなかった。
「こんなこと言うのは申し訳ないんですけど、でも、嬉しいです。想ってくれていたんだなって」
言いながら恥ずかしくなってきてしまう。それでも伝えなければならないと思った。耐えて、そして約束通り連れ戻してくれた彼への感謝を、どうやったら返していけるだろうか。
「ありがとうございます」
日が落ちかけている。部屋には眩しい西日が差し込んで、彼の白い肌がいつもより赤く見える。
「イリスが無事でいることが何よりも嬉しい」
嬉しい、などという言葉を彼の口から聞く日が来ようとは思ってもいなかった。心がまた熱くなる。
頬には彼の手が添えられ、いつにも増して赤い彼の瞳がゆっくりと近付いた。思わず目をきつく閉じてしまう。
ゆっくりと、唇が触れるのを感じた。
自分の想っている相手、そして想われている相手とする口付けが、これほどまでに幸せなものだとは知らなかった。
「何故泣く」
手は頬に添えたまま、彼は流れた涙を拭った。泣いているつもりなど微塵もなかったが、涙が溢れてしまっても不思議ではないと思った。
「幸せだから、です」
やっと目を開けて見た彼は、いつも通りの涼しげで余裕な顔をしていたが、優しく笑っているのがわかった。
「幸せです」
再度口にすると、本当に自分が今幸せなのだということを実感した。これが、人を愛する幸せなのだと、初めて抱くあたたかな気持ちに包まれた。
「私もだ」
そう言った彼もまた、口元を綻ばせた。彼も同じ気持ちでいてくれているのだろうか。そうだったらいいのにと、我が儘な気持ちが芽生えてきてしまう。
それでも、目の前の愛しい彼の笑顔を見ていたら、この笑顔を信じようという気持ちになった。彼の言葉を信じればいい。自分のことを信じられなくとも、彼のことならば信じられる気がした。
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