心の制御

パチパチと焚き火の音が夜の雪山に響いていた。控え目な炎の他には明かりになるようなものは無く、焚き火を囲まなければ仲間の顔もよく見えない。

「ごめんよティファ……オイラが仲間に噛み付くなんて……」

「いいのよ、仕方ないもの」

回復魔法で既に傷跡も消えたティファの腕に、レッド]Vは申し訳なさそうに鼻先を擦り付けている。

先程のややグロテスクなモンスターとの戦闘は苦戦を強いられた。重傷者こそ出なかったものの、悪性ステータスに侵され、皆の調子は完全に狂っていた。

「オイラもユフィみたいに眠ってたらよかったのにな……よりによって混乱なんて」

「本当に、レッド]Vが気にするほど大袈裟なことじゃなかったわ」

「そ、そうなの……? オイラ何も覚えてないからさ」

しゅんとなって耳と尻尾を垂らしているレッド]Vを慰めるティファは、自分のことよりもイリスとヴィンセントのことが気掛かりでならなかった。

「ボクはステータス異常なりませんからね〜助かりましたわ」

「おい、ケット・シー」

「あ、すんません」

冗談めかして言ったケット・シーをクラウドがたしなめた。

その場で話していた皆でイリスとヴィンセントをちらりと見ると、今にも泣き出しそうな顔の彼女が目に入った。



先程は、戦闘が終わるなり、ティファからレッド]Vを引き剥がした。歯形のついた腕を回復し、レッド]Vの混乱状態も治した。

バレット達も毒に侵されていたが、これまでも何度かその経験があったので、大事には至らなかった。

雪に頭を突っ込んで眠っているユフィを叩き起こすところまでは順調そのものだったが、問題は皆から少し離れたところで抱き合っていたイリスとヴィンセントだった。

「ルクレツィア、聞いてくれ」

「聞きたくない、聞きたくないです!」

見たことのないほど人間らしい表情をしたヴィンセントが、イリスを抱き締めたまま「ルクレツィア」と名前を呼んでいた。

彼女も彼女で、嫌だ、やめて、と彼を引き剥がそうともがいていたが、そのうち泣き崩れてしまう。放心状態のまま、雪にぺったりと座り込んだ。

「えらいこっちゃ! ヴィンセントはん、目ぇ覚まし!」

「お前いい加減にしろよ!」

ケット・シーとバレットがヴィンセントを押さえ、回復魔法でやっと混乱状態はおさまった。少し間が空いた後、彼は正常な意識を取り戻し、何事かと辺りを見回した。

「ヴィンセント! マジで何のつもりだよ!」

今にも殴りかかるのではないかという剣幕でヴィンセントの胸ぐらを掴むユフィを、皆でなんとか宥めたものの、多かれ少なかれユフィの意見に賛同はしていた。

「私は……何をしていたんだ」

「混乱してたんだ、仕方ない」

「仕方なくないだろ! 誰だよルクレツィアって!」

クラウドの制止もきかずにユフィは彼に怒鳴り付ける。その名前を聞いた彼の方も、何故ルクレツィアの名前が出たのかわからないというように目を丸くしている。

「……私がイリスにそう言ったのか?」

「そうだよ、ふざけんなよ! イリスは……! イリスはアンタを信頼してんだよ……」

二人の間に固い絆があることは、誰の目から見ても明らかだった。それが友情なのか恋愛感情なのかとよく囃し立てたりしたが、少なくともイリスがヴィンセントに心を開いているのはわかった。

街で聞いた、ヴィンセントに好きな人がいる、というのもきっとそのルクレツィアという女性のことだろう。そう思うとユフィの怒りが再び熱を帯び始める。

「ユフィ、一旦落ち着こう。ヴィンセントは混乱してたんだ、責めても仕方ない」

「でもイリスは……一番聞きたくない名前を、一番聞きたくない奴から聞いたんだよ」

そう言うとユフィは手を離して、意識が朦朧として看病されているイリスの元へ向かった。



そんな事態から小一時間が経っていた。皆とは少し離れたところでイリスとヴィンセントは隣り合って座っていた。

「先程はすまなかった」

「いえ……」

明るく振る舞おうとはしているものの、どうしてもそれが出来ずにいた。彼の口からルクレツィアという名前を聞くことが、そして自分をそのルクレツィアだと思って話し掛けられたことが、混乱状態だったとはいえひどく心にのし掛かった。

これまでの彼の言動の全てが、そのルクレツィアという女性に向けられていたのではないか、とまで思ってしまう。

全ては彼女のため、彼女への愛と、彼女への償いのために、自分を護ってくれていたのではないか。一度疑心暗鬼になった心はとまらない。

「不快な思いをさせてしまった」

彼はどこか勘違いをしている。今回のこの件が不快だったという訳ではない。このことで、これまで彼と築き上げてきたものが全て、自分に向けられた好意ではなかった、と思い至ることが悲しかった。

「大丈夫です。私もいけないんです」

きっと何もかも自分の勘違いだったのだ。思えば出会った頃から自分を気に掛けてくれた彼の気持ちを勝手に想像して、勝手に勘違いをしていた。その怒りを彼にぶつけるのはお門違いというものだ。

「イリスが謝ることは何もない」

「違うんです、そうじゃなくて……私がいけなかったんです」

初めて見せる自暴自棄な自分を、彼はまた呆れるだろうか。何がどう違うと説明もせず、自分の殻に閉じ籠っている。それがまた彼を困惑させてしまう。

「護ると言っておきながら、私がイリスに迷惑をかけた」

そうではない、そんなことを気にしているのではない。何故こんなにも心がもやもやするのか。

ここへ来て、その答えに気付いてしまった。

彼に恋をしている。

「……大丈夫ですよ、本当に、気にしないでください。私もパニックになってて、今は全然平気です」

無理矢理にっこりと笑って彼を見れば、申し訳なさそうに眉を下げる顔が目に入った。彼の感じている申し訳なさは、決して自分の感じているやるせなさには届かない。

彼はきっと、今でもルクレツィアを愛しているのだろう。

決して期待していた訳ではない。ただ、彼と共に過ごす内に、彼に特別な想いを抱いてしまっていた。そのことに気が付いた。報われないとわかってはいても、これほど早く打ち砕かれるとは思っていなかった。それだけのことだ。

「わかった。……本当にすまない」

彼はすっと立ち上がると、座っている自分に手を差し出した。立ち上がるのを助けるつもりなのだろう。

いつもならば照れくささと恥ずかしさで一杯になりながら掴む彼の手を、今は悲しみに包まれながら掴んだ。

立ち上がっても尚握られたままの手を、振りほどかなければと思っているのに、どうしてもそれが出来なかった。


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