今日から記念日
(タークス)
「イリス」
「社長、お疲れ様です」
神羅ビルのエレベーターに真っ白のスーツを着た彼は乗り込んできた。何故このタイミングで社長に鉢合わせするのか。
「ああ。今帰りか? 家まで送ろう」
「いえ、自分一人で帰れますので」
こんなにもエレベーターが遅いと感じたのは初めてだ。仕事終わりに社長の接待とは、残業代を請求してやろうか。
「つれないな。ならば言い方を変えよう、この後食事でもどうだ」
「すみません、たった今、社員食堂で済ませてしまいました」
「社員食堂は今日は休業のはずだが?」
「……」
社員食堂など利用しない社長が何故そんなことを知っているのか。ひょっとしたら鎌をかけられたのかもしれない。
そう気付いたときには既に黙りこんでしまっていた。どのみちこちらの嘘はバレたのだ。
「あからさまに嫌そうな顔をするな」
「社長と食事に行くといつ帰してもらえるかわかりませんから」
「馬鹿を言うな、これほどの紳士が他にいるか?」
社長の視線は痛いほど感じるが、決して目を合わすまいと、ひたすらガラス張りの窓からミッドガルの夜を見つめる。
「男は惚れた女性ほど大事にするものだ」
「そうですか」
「イリス、いい加減に俺の女になれ」
突然窓に手を突かれて、思わず彼を振り返った。間近に迫る瞳に、怯えた自分が映っている。
「何度もお断りした筈です」
「何が気に入らない?」
「……」
口調は先程と全く変わらないというのに、彼の言葉にはどこか刺のようなものを感じる。思わず逸らした目線を、顎に手を添え、無理矢理戻される。
「何をそんなに恐れている」
「恐れてなんて、」
「イリス」
「……」
「俺の女になれ」
幾度となくこの台詞を聞いてきたというのに、今日の彼はどこか違う。こんなにも真剣な目をして言われたのは初めてだ、それも、帰りのエレベーターの中で。
「社長」
幸か不幸か、エレベーターは目的の1階に着くと、チーンと軽快な音を鳴らして扉を開いた。
乗り込もうと扉の前で待っていたであろう数名の社員は、目の前の光景に唖然としているようだった。
「チッ……行くぞ」
舌打ちをひとつ、彼は手を掴んではエレベーターの外に出る。社員達の、お疲れ様です、との声には愛想笑いさえ浮かべない。
足早に外に出れば、彼の自慢の愛車がとまっている。
「強引すぎます」
「そうかな」
「これのどこが紳士ですか」
「……惚れられているという自覚はあるようだな」
「なっ、」
跪き、握った手の甲に口付ける優雅な仕草に、真っ赤な顔を悟られないようそっぽを向いた。
「からかわないでください!それも、こんな、よりにもよって会社の真ん前で」
「会社の前でなければいいんだな?」
なんという屁理屈だろう。それでいて此方の核心を突いてくるのだからたちが悪い。空いた片手で口元を隠すことで精一杯だった。
「社長、こんなのって」
「ルーファウスだ」
「そんな、呼べません」
「呼べるようになるまで帰せんな」
「ほら、やっぱり」
やっぱり、なかなか帰してもらえないじゃないですか。
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