SWAN LAKE BULLET:WT | ナノ
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -



序幕


どこかから音楽が聞こえてくる。
聞いたことのあるメロディーを、思わず口ずさむと「白鳥の湖か」と隣を歩いていた男が口を開いた。白鳥の湖。言われて思い至った、チャイコフスキーの作曲したバレエの名曲だ。それが、かすかに流れている。

「・・・・警視庁って、音楽掛けたりしませんよね」
「するわけがないだろう」

にべもない返事だ。単純に、答えだけ。別段この男が不機嫌なわけでも怒っているわけでもないのを知っているので、春の方も特段気にはしていない。

「それがどうかしたのか」
「さっきから、聞こえてるんですよね。そのメロディー」
「・・・・・・」

男の眉間にぐっと皺が寄った。

「それはどういう意味があるんだ?」と春の何となくの発言に一体どんな深い意味があるのかと真剣に検討を始めているのが見て取れた。

「聞こえるのはどこでだ」
「警視庁ですね」
「どの程度? 頻繁に聞こえるのか? 最初に聞こえ出したのはいつだ」
「・・・・ええっと、」

何とはなしに発言したので返答につまる。ここで即答できないところが自分の記憶力の無さである。降谷なら即答できたに違いない。そして目の前にいる人も、春よりかは遥かに明確に答えを導ける人だ。

「まだ、かすかに聞こえてるような気がするっていうか。風が遠くの音を運んできてる?くらいで。最初に聞こえたのがいつか・・・・は、ちょっと覚えがないです。はっきり気になりだしたのはついさっきなんですけど」

「・・・現在館内にいる人物のリストを作っておくから後で確認しておいてくれ」

現在の館内、をぐるりと見渡した。結構な人の量である。これを全部。リストにする。のは大変そうだし、そんな面倒なことを自分の何気ない発言でさえ作ると即座に判断するのに躊躇もない。実際リストが出来上がって確認するのは自分だが、今からちょっとぞっとする作業量だ。ふと、見知った顔をみつけて会釈した。大きな丸眼鏡をかけた女性は、以前少しだけ世話をやいてもらった人だ。その女性に春を任せた当の本人は素知らぬ顔をしているので、春もそれに習って通り過ぎ会話を続けた。

「・・・・そこまでしなくてもいいんじゃ」
「何かあってからだと意味がない」
「何もないこともあるし・・・意味はない、かもだし・・・・」

びくびくと申告する。何となく思い出して脳内で自分が再生していただけかもしれない。もしかしたら、昨夜転寝をしていた時につけっぱなしにしていたテレビで白鳥の湖がやっていてそれを能が覚えていただけかもしれない。そう言うと、すかさず端末で調べ上げたのか「昨夜はどのチャンネル、ラジオでもその曲を流してはいないはずだ」と言うからもろ手を挙げるよりほかない。しまった。余計な仕事を増やしてしまったかもしれない。

「気になったんだろう」

前を歩いていた人が、立ち止まって春を見た。まっすぐに。
相変わらずの仏頂面を浮かべて、携帯で新たな指示を出す横顔を盗み見る。


「白鳥の湖を観劇したことは?」

「ないです」

「なら丁度いい、東都劇場でやっている。チケットの手配をするから見てこい」

「え。でもそれってチケット完売御礼ってニュースになってたやつじゃ」

というかそのCMの記憶が残っていただけの気もしてきた。

「なんとかする」

「・・・・・・・こうあんおとくいの、いほーそうさ」

「頭の悪そうな発音はやめろ。降谷さんにも注意されていただろう」

「ニホンゴとってもむずかしーデース。帰国子女とってもタイヘン」

オーバーリアクションをとると露骨に嫌そうな顔をした。嫌いなタイプは『頭の悪い女』とかざっくり言うタイプっぽいなと好みを分析していると、「チケットが用意できた。今夜だ」とこちらのスケジュールなんて聞きもしない。
スラングをぽつりとこぼすと、深い深いため息をつかれた。
眼鏡ごしに、春を見る。

「・・・・・”Language”」

らんげっじ。綺麗な発音だ。
思わず口元が緩んだ。つい最近やっていたアメコミ映画で口の悪い男に向かって注意を促す男が言った台詞だ。映画ネタに食いつきのいい春に合わせてくれるあたりが、この人の人のよさなのだろう。


「チケットって何枚ですか?」

「二枚用意できたそうだが。誰か誘えばいい」

「今夜突然誘える相手っていわれてもいないです。あ、秀兄を誘おうかな」

「・・・・・・・・公安が用意したチケットでFBIを誘うのか?!」

「じゃあ風見さん付き合ってくださいよ」

スーツの裾をつかんで、にやりと笑う。風見は優秀な人だが、赤井や降谷を相手にしているよりはくみしやすい相手だ。

「何故。他に選択肢は」

「・・・・・・」

「ないのか?!」

「その可哀そうな子見る目やめてくださいよ・・・・だって、あれこれ忙しいし、色々聞かれすぎると困るし、蘭ちゃんや園子ちゃんは今日は映画行くって言ってたし、コナン君は小学生だし・・・・」

「同級生は」

「・・・・急に誘えるほど仲のいいこっていないし」

もごもごと言葉につまる。帝丹高校も3年次編入で、少しばかり浮いている。奇妙な編入時期とて「家庭の都合で・・・」としか言えない。言えないことが多くなると、うまく距離は縮まらない。

「・・・・・・・・・もう少しきちんと学校に通ったほうがいいんじゃないのかお前は」

「酷っ、こんなに真面目に手伝ってるのに?!」

「学生の本分は学業だ」

「明日実はテストがあったんだー、こりゃ観劇は無理ですかねー。勉強しなくては」

「・・・・・・」

「ほら、困るでしょ。いいんですよ、学校行くのが全てじゃないし」

「だが、」

「あーもー、そのへんは組織のこと解決しなきゃ無理ですから!わたし、あの連中に目を付けられているし、公安やFBIに協力するのは勿論『あの二人』がいるからなのもあるけど、安全と保障を買う目的でもあるんです」

しょうがないと言い訳する。いつどこで見られているかもわからない。深入りすれば、弱みになる。
安全も、保障も、自分に欲しいわけではなく、自分に関わったせいで危険になる人へ欲しいのだ。

「そういうのを気にしながら友人やるのはそもそも面倒だし、おしごとのおつきあいのほうが気が楽なんです。だから『護衛役』で『仕事』で風見さんが付き合ってください観劇」

「・・・・・了解した」

「おつかれのとこお手数かけてすいません」

問題ない、と降谷が部下の中でもかなり重用している眼鏡の公安刑事――風見裕也は答えた。眼鏡の奥にある目がきゅっと細められて、特徴的な眉毛が寄っている。まったくもって、いいひとだ。ばさりとスーツを脱いで小脇に抱えなおして歩き出す風見は「ちょうどいい、職権乱用だが息抜きにはなる。横で寝ているかもしれないが、お前は寝ないように」と続けた。
仕事ではなく、息抜きで付き合うと。そうさりげなく言われてしまうと、なんだかどうにも照れくさい。思わず視線をそらして、自分の靴のさきをじっと見た。いつのまにか警視庁の出口まで来ていて、自分たちとは逆に入ってこようとする人の波に流されそうになる。ぐいっ、と腰をつかまれかばうように引き寄せられる。風見が自分を壁にして、波から春を保護しながら空いた方ので手の腕時計で時間を確認していた。こういうところが、風見のことを降谷が気に入っているところなんだろう。公安刑事なんかよりも、SPとかあたりでもこの人はきっとうまく働くに違いない。










観劇の合間も、生真面目に風見は舞台をにらみつけていた。幕が下り、劇場の明かりが戻ると客席のあちこちで人が立ち上がりだす。自分の目の前に差し出された手を、たっぷり三秒見つめていた。

「八嶋?」
「・・・・・・・」

あたりまえのように手を差し出されてまごついた。女性をエスコートする上でのマナーなのか。この人は結構育ちがいいのかもしれない。
その手をとらずに、自分で席を立ち上がる。手を無視されたことに気分を悪くしただろうかと横目で伺ったが、特に気にした風でもなく出口を確認していた。

「・・・・・こういうとこなんだよなぁ」

「なにかいったか」

「なんにも!」

「悪いが仕事が入ったので送れない。何か参考になったか」

「おきづかいなくー。うーん、真実の愛とすれ違いって悲劇的ですね。はっ、まさか警視庁に悲劇が・・・・?痴情がもつれそうな人が警視庁を修羅場にやりあう?」

職場でそんなことがあってたまるかと露骨に風見は嫌そうな顔をした。そんなの春とて同じである。やれやれと頭をかいた。外に出ると足早に人が駆け寄ってくる。一人は降谷よりも若く見え20代で、もう一人は壮年の男性だ。


「会澤さん、お疲れ様です。山本、引き継ぎを」
「了解しました」

返事をしたのは若い方の男だ。どうやら春の送迎役を用意していたらしい。会澤さんと呼ばれた男は、何度か公安の仕事の時に顔を見たことがある。


「降谷さんから呼び出しですか? 私は? いらない事件ですか?」
「君に要請は出ていない。いいから大人しく帰宅しろ」
「手伝うのに・・・・」
「明日はテストなんじゃなかったのか」

風見と会話をしながら、若い捜査官をちらりと見る。これが普通だよなぁ、とその距離の不自然な取り方にため息をつきそうになるのを堪えた。春の能力を『知って』いたならそれが正解だ。極力離れる。触らない、触らせない。一方で壮年の男性の方はベテランらしく気配をつかませない。しぶしぶ後部座席に乗り込みながら、もう降谷の元へと向かっているであろう背中を見送った。


「どこまで送りましょうか」と聞かれてアパートにお願いする。ここで工藤邸を言ってしまうとまたあとで降谷に叱られるので大人しく現在の寝床を指定した。

「忙しそうですね。すいません、余計な手間を」
「仕事ですから」
「・・・・・・降谷さんのほうにこのまま応援とか、」
「駄目です。貴方を家に送り届けるのが最優先事項です」
「・・・・・・・でも、何か役に、」
「だめです」

とりつくしまがない。公安の人は優秀な人ばかりだ。後部座席にずるずるともたれかかる。

「一緒に仕事がしたいなら、もっと話は簡単なルートがありますよ」と口を開いたのは会澤だ。
「・・・・敬語、使わなくってもだいじょうぶですよ」
「そういわけにもいかんのですよ。大事な『協力者』ですし」

誰の協力者だと思われているのか。果たして自分にも番号がついていたりするのだろうか。公安刑事は捜査協力をしてくれる協力者を持ち、協力者は番号によって管理されているという。そんな契約を結んだ覚えはないし、どちらかというと保護された迷子のような扱いを降谷あたりから受けている気もした。迷子、いや迷い猫か犬か。少しばかり役に立つから、まだおいてもらえているだけで。
流れていく景色を窓越しに見た。街を行く人々は、今この瞬間にもスーツを戦闘服として身に纏って走り回る人たちのことを知る由もない。

「一緒に仕事がしたいなら話は簡単だ」
「・・・・・・会澤さん、おしゃべりが過ぎると降谷さんにどやされますよ」
「だーいじょうぶだって、ボスもあれこれどうせ企んでるだろ」

おかしな能力を警戒してはいても、どうにもこの捜査官は人好きのする笑みを絶やさない。企んでるってなんだ。


「試験を受けて、警察官になればいい。公安の人間なら『門限』もなく朝から晩までもっと働けますよ」

「・・・・今でもたまに仕事漬けですけど」

「それは言えてますが、今日みたいにのけ者扱いにはされずにすみますよ」

「それはけっこー、みりょくてき」

「卒業後の進路はどうするんです? ああ見えてボスは気にしてるんですよ?」

「・・・・・・組織の問題がなんとかならないことには」

「ああ、そうか。そうだった。だがまぁ、ボスなら何とかしますよ。ゼロのエース最年少記録を塗り替えたくらいだ」

「記録?」

首を春がひねると、会澤の横で一心に運転していた山本が口を開いた。少しばかり声に熱がこもっている。

「長らく、うちの『エース』と目される人は出てこなかったんですよ。その前にそう呼ばれていた人物が急に退職して以来空席で。・・・ってこんな話もしていいんですか、内部情報ですよ会澤さん」

「山本好きだよなぁ、その話」

「捜査官としては憧れますよ。公安に入って、資料が前より閲覧できるようになってさえその人の関わる事件の多くはまだ『閲覧不可』が多い・・・・」

「八嶋のお嬢さんはボスに聞いたこたぁないんですか?」

だいぶ口調が崩れだして居る会澤にバックミラーごしに伺われて、頷いた。そういう話はあまり降谷はしない。そもそもしていたらそれは自慢話である。

「でも公安って、そう簡単に辞めれるような仕事でしたっけ・・・?」

裏の仕事も多い部署だ。簡単に辞めるなんて言えない圧力なんて平気で駆けそうなものだ。それも降谷ばりに優秀な人材なら猶のことだ。

「辞めたんです。だから余計に伝説なんですよ」

「伝説のエース・・・・RPGみたい」

「言い得て妙ですけどね。そういう人たちの手足になれるのは幸運だ」と山本が熱っぽく言う。
「その人って今なにしてるんですか?」

山本は知らないと答えた。隣の席の会澤は自分の発言がこの一連の話の発端の割にこれ以上は話す気が無いらしく鼻唄まじりにラジオのボリュームをあげている。

「会澤さん・・・・同期じゃなかったですっけ」と実はこれまで聞きたくて仕方なかったことを恐る恐るといった風に山本が口にした。伝説の公安部エース、その人と同期でバディを組んでいたこともあるともっぱらの噂だったのがこの会澤なのだ。
出世よりも現場仕事を好む変わり者の壮年刑事は、ふんふんと鼻唄をうたって誤魔化す。やはり答える気はないらしい。

「・・・・狸」
「でないと公安で長生きはできないんですよ。山本、お前も風見もそのあたりはまだまだ甘い。ボスは、まぁ八嶋のお嬢さんとこの保護者さんに対してのアレがなきゃ安心なんだが。ま、これからだな」

山本が不服そうに眉をよせたのがバックミラーごしに見えた。


ラジオで夜のニュースが流れている。近頃の話題のひとつは5月にある『東京サミット』だ。アメリカやイギリスなどの主要国の首脳が集う会議、その件で風見も降谷も、引っ張り出されているのだろう。サミットに合わせて各界のパーティーも各所で催されるらしく、何か所か事前の下見に付き合った。
ふいに、ぞくりとかすかに背筋が冷えた。薄着をし過ぎたのか、それとも、


「あ」


ラジオのニュースが切り替わり、話題の公演の宣伝が流れた。
――白鳥の湖。
その静かなメロディが、ラジオの音声よりもずっと大きく聞こえて耳の中に響いた気がした。


「どうかしましたか」


不審に思ったのか路肩に車を止めた男が後部座席を振り返る。座席に足をあげて三角座りになって身を縮こませていれば、不審にも思う。ひざ小僧に春は額をこすりつけた。
どうしようもない不安に追いかけられているような、嫌な感覚だ。足先が急に冷えていく。


「・・・・いきさき、変更してもいいですか」

「それは勿論かまいませんが」


その夜は、阿笠博士の家へと送ってもらった。「ありがとうございます、おやすみなさい」と送迎をしてくれた二人に頭を下げた。助手席にいた会澤が玄関先までついてきた。最後まできっちりと送れと指示されているのだろう。かすかに、視界の隅っこを青い糸がちらついた。驚いて振り向くと会澤が怪訝な顔をした。あたりを見渡しても、一瞬のことだったのかもう何も視えない。かすかに、遠くからベートーベンの『運命』が聞こえた気がした。誰かがレコードでも流しているのだろうか。挙動不審の春のことを訝しむこともなく、淡々と会澤は春が玄関のドアを開けるのを待っていた。
真夜中に近い時間に起こしてしまうのは申し訳なくて、いつ来ても構わないと渡してもらっている合鍵でこっそり入る。玄関を開けてはいる直前まで、門の前の車は止まっていて。玄関にカギを締めたところで、エンジンの音がして車が去っていくのがわかった。なんだか酷く疲れていた。
それでも誰もいない自分の部屋に戻ったら、もっと何か酷い夢を見て疲れてしまいそうな気がしたのだ。重たい体を引きずって、ソファに倒れこむ。しんと静まり返っているけれど、博士と灰原哀がいると思えば気にはならない。
ふと、ソファの横に誰かの気配を感じた。行儀悪くそのまま寝返りをうつ。誰がそこにいるかなんて、わかっていた。嗅ぎなれた、煙草の匂いが鼻先をくすぐった。



「しゅうにい」

「遅かったな」

「・・・・・公安の人がちゃんと送ってくれた」

「そうか」

「きょうは沖矢さんの変装してなくていいの」

「もう寝るだけだからな」

「そっか」

ぎしりとソファが沈み込む。

「せまいよ」と抗議する。ソファのはしに腰をかけた赤井の指先が伸びてきて、前髪を弄ぶのを、猫がむずがるように春は首をふって嫌がる。


「哀ちゃんが起きてきちゃうってば。お隣にかえりなよ『沖矢さん』」

「彼女と博士は少年探偵団とキャンプだ」

なんだ、いなかったのかと落胆する。いるような気がしたのは、赤井の気配だったらしい。自分の感も大したことないなと、ため息がでた。結局、この人に甘えているのも自分でどうかと思った。許せない、許しがたい。手酷い裏切り行為だった。どんな拷問を受けることによりも、あの頭の中が空っぽになってしまった日々を思い出す方がつらかった。胸ががきりきりと痛む。
顔を見たくなくて、ソファの背に顔をすりよせた。

触れる手があたたかい。
まとわりついた不安が少し薄れていく。この手の傍なら安心だと、自分の心はあっさりと懐柔されてしまうのだ。そういう風に馴らされてしまっている。
目を閉じた春は気が付かなかった。
青い糸が、投げ出された春の指先に触れて絡まるように揺蕩い、そして消えた。










prev / next