put on a tie
「む、んん?」
「どしたのレオくん」
正装のタイが上手く結べず格闘していると、今回もお留守番、と先ほどまで拗ねていたアリスがひょっこり顔を出した。
「ネクタイ?結んであげよーか?」
え、まだ死にたくない。
「……レオくん、顔に出てる。いっとくけどうっかり首絞めたりしないよ!ちゃんとネクタイ結びの作法くらい知ってますー」
宣言するなりタイをレオナルドから奪い取る。言うだけあって、多少ぎこちなくもあるがするするとアリスはタイを結び始めた。
「あ、ちゃんとできるんだ」と意外に思ったのは仕方ない。不器用でうっかり屋の名を欲しいままにしているアリスである。
きゅ、といい感じにタイが締められる。お礼だけでなく謝罪もしなくちゃなと思っていた矢先、レオの頬に柔らかな何かが触れた。
「え」
「ん?」
にっこり笑って「おしごと頑張ってねレオくん」と自慢げにタイをポンとアリスが叩く。え?
レオナルドは頭の上にクエスチョンマークを乱立させている。今、この人ちゅうしませんでした?
「……アリス、さん」
「なーに?」
「いまの、なんすか」
そういえば、以前ローゼンシュタインの女性のキスには加護があるとかなんとか言っていたが。
「何って“ネクタイ結びの作法”でしょ?キレイに結んで、キスして、無事をお祈りするのが世間の常識なんだって知らないの?」
「……へ、へぇ〜、ものしりっすね」
だ、れ、だ、よ、そんな大嘘このお嬢様に教えた奴は!
初耳だよそんな作法!
いや誰だよ、というか犯人は聞かなくてもだいたいわかっている。だからこそレオナルドは懸命にも口をつぐみ突っ込みを飲み込んだのだ。背後から、なんだか薄ら寒い視線をひしひしと感じた。
「少年は賢いなぁ」
「いま褒められたの私なのに?!」
レオナルドの背後にたつ人とアリスが会話を始めた。
「はいはい、アリスも賢い賢い。」
「てきとう!こころがこもってない!」
「ところで少年、その結びゆるいんじゃないのか」
背後からにゅっと手が伸びてきて、あっという間に結び目が解かれてしまう。
「ああっ!ちゃんとできてたのに!」
「できてないだろ。ほら少年、よく見てろよ」
器用な手が迷いなく動く。アリスの何倍も早く正確なその動きに思わず義眼を開いて見惚れてしまう。スマートな大人の男のスキルというやつを間近で見せ付けられて、感嘆する。なるほど、これに比べてしまうと先ほどのできばえは“できてない”と評されても仕方ない。
「ほらな。さっきよりも良くなったろ」
「ほんとですね」
「ううっ、がんばったのに」
そして、
「ああ、忘れてた」と付け加えた伊達男が、先ほどアリスの唇がふれた同じ場所へかろやかなキスをおとしていった。ちょっとまて、ちょっとまて、ちょっと待ってくれよ!はくはくと、口を開いたり閉じたり。レオナルドは言葉にならない悲鳴をあげた。
「俺のタイでリベンジするかい?」
「しますよ!ほらっ、かがんでくんないと届かないです」
「まぁ相手を絞め殺そうとしなくなったぶんは進歩してるな。教育の賜物だ」
「そーですねスティーブン大センセイっ」
「……」
じりじりとレオナルドは二人から距離をとる。というか完全にこれは体よく追い払われた形である。まったく大人の男ってやつは最低である。その最低な大人に捕まってしまった哀れな生贄に合掌した。
「これくらいできるようになったらクラウスさんのネクタイも締めれますかねっ」
「……クラウスのタイでうっかりを発動して君は弁償できるのか」
「うぐ」
「まぁいいから、しばらくは僕ので練習しておきなさい。ギルベルトさんレベルになったら僕からクラウスに推薦状書いてあげてもいい」
「推薦状?!」
「そうそう。だから、ほら練習」
ああでもない、こうでもないと口出ししながら満足そうにそれを眺めている。うわぁーなんつーわかりやすい人なんだこれまじでスティーブンさん?にせものじゃなく?
「じゃあ、おしごとがんばってください!」
背伸びをしてアリス0がキスをした。当たり前のようにスティーブンもそれを受け入れて。たちがわるすぎる。
一体いくつのでまかせを『世間の常識』と偽ってあの世間知らずのお嬢様に吹き込んできたのか。それは世間の常識ではなく新婚さんだのいちゃいちゃカップルの常識である。
まだまだ当分推薦状なんて書く気なんかサラサラなさそうな顔をした上司は少しばかり歪んだネクタイをご機嫌に触れている。
つまるところ、この人はアリスが自分以外のタイを結ぶことを許容する気などさらさらないのだろう。
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